第13話 猫守菜々子は猫を被る
「で、どうして猫守さんの飼い猫が会社にいるのか聞いていいか? ゲストカードまで用意して遊びにしてはずいぶんと手が込んでいるように思うが」
「にゃん」
椅子に座った氷帝が冷え冷えとした声でニャコたちを問いただしている。
ちゃんと空気を読んだ吾輩は机の上でキリッとしながら「にゃん」と合わせることにした。
場の仕切り直しである。
吾輩の威容に慄いたのだろう。
先輩はプルプル震えている。
後輩は後ずさりしている。
ニャコはアワアワしている。
「それは……えーと」
ニャコがアワアワしているのは珍しくない。
今朝も吾輩を抱きしめたと思ったら時計を見てアワアワしていたし、飼い猫の吾輩から見てもいつもアワアワしているし、アワアワしているニャコこそがニャコであると言えなくもない。
だから問題ない。
……とはならぬのだ!
ええいしっかりせぬかニャコよ!
推しの異性とやらの前でなにをアワアワしておる。
なんとも歯がゆい。
たまには噛み応えのあるカリカリしたご飯でもいいのだぞ。
吾輩の心の中の叱咤激励が届いたのか、キチリと姿勢を正した。
……ニャコではなく先輩が。
「氷室社長。その件ですが猫守さんが雪見大福ちゃんを会社に連れてきたわけではございません。とても残念なことに、猫守さんは毎日雪見大福ちゃんに家にお留守番を頼んでから出社しています。今日、私のために雪見大福ちゃんを連れてきてくれたことはないのです」
「……とても残念? まあいい。いや……よくはないが」
よくわからん先輩の言葉に氷帝がアワアワしている。
しかしすぐに持ち直した。
アワアワしっぱなしのニャコとは大違いだ。
「どういうことだ? 現に猫守さんの飼い猫は――」
「――雪見大福ちゃんです」
「にゃん」
「…………」
「…………くっ」
名前を呼ばれたので反応したらなぜか視線が集まってくる。
人間とは不思議な反応をするものだ
どうして簡単に話の腰を折るのか。
話とはぎっくり腰を患っておるのか?
猫にはぎっくり腰はないのでよくわからぬが。
「……現に雪見大福ちゃんは会社にいる。まさか猫が一匹でふらりと会社に立ち寄ってきたなどと、バカなことは言わないだろうな」
無駄に圧の強い先輩相手に圧され気味になっていた氷帝は毅然と言い返した。
言い返したのだが。
「正解です」
「凄いです氷室社長!」
「さすが社長。まさか言い当てるなんて」
「なにをバカなことを……えっ? まさか本当に?」
見事に言い当てた氷帝をニャコ達三人が口を揃えて称賛した。
それなのになぜか氷帝が驚いている。
なにを驚くことがあるのだ。
どこであろうと猫はふらりと立ち寄るものだろうに。
氷帝は猫に対する理解が足りないかもしれない。
「そのことに関しては、第三者撮影の動画がねこ猫ネッコワークで本日大バズリ中ですので、参考にしていただければと思います」
「動画が大バズリ中!?」
「賢猫様や大福招き猫で検索すれば簡単に雪見大福ちゃんの雄姿を拝むことができます」
「そ、そうか確認してみよう」
氷帝はスマホを取り出してポチポチし始めた。
ふと後輩に目をやると大きく目を見開いて何やらショックを受けていた。
そして猫以外の耳には届きそうにない小声でなにかを呟いている。
「……まさか猫を飼っていなさそうな氷室社長までねこ猫ネッコワークの会員なの? 私の周りみんなやってるなんて……こんなに流行しているなんて」
流行とやらを気にしているらしい。
人間とは面倒なものである。
「ただ電車に乗るどころか席を妊婦に譲ってる。こっちは……くるまやで寝ている」
「はい社長。だから今回の件は穏便に済ませたほうがよろしいかと。ツネ婆様の機嫌を損ねるわけにもいきませんし」
吾輩が後輩に注目している間に氷帝と先輩の会話が進んでいた。
先ほどまで氷帝は吾輩とスマホの間で視線を行ったり来たりしていたが、今は頭痛がするのか頭を抑えている。
「君は本当に頭がいいのだな」
「みゃん?」
「元より今回の件は大事にするつもりはなかった。社長室に連れてきてからはずいぶんと大人しかったからな。ただ再発防止のために飼い猫を病院に連れて行かなければならないなどの事情がある場合は事前に相談するようにと注意するつもりだったのだが。……飼い猫が勝手に会社に来てしまった場合は再発防止できるのか?」
「再発防止……ゆ、雪見大福! ちゃんと家にいないとダメだからね」
「むみゃ~ぁにゃ」
「あっ……聞く耳持たない返事だ」
「今のは私にもわかった。はぁ……今回の件は不問とする。だから三人とも早く業務に戻りなさい。雪見大福君は――」
「――雪見大福ちゃんです。女の子なので」
「…………」
「…………」
また氷帝とと先輩の間で沈黙が流れた。
呼び名など吾輩はどちらでもいいのだが。
「雪見大福……ちゃんは社長室で預かることにする」
「えっ!? 雪見大福を返していただけないのですか!?」
「社長! いくら何でも横暴だと思います! お猫様は……雪見大福ちゃんは秘書室で預かるべきです!」
「そ、そうです! 私が飼い主ですし! 社長はそんなに悪の組織の首領になりたいんですか!?」
なんと先ほどまでアワアワしてたニャコが毅然とわけのわからぬ主張で氷帝にかみついた。
おそらく頑張り方を間違えているのである。
「なにを言っているんだ三毛野さんだけではなく猫守さんまで。鈴宮さん一つ確認してもいいか?」
「えっ私!? なんでしょう!?」
「率直に答えてほしいのだが、雪見大福……ちゃんを秘書室に移した場合、三毛野さんと猫守さんはちゃんと仕事すると思うか」
「無理だと思われます。ずっと雪見大福ちゃんに構いっぱなしになるかと」
「だろうな。これが社長室で預かる理由だ。反論はあるか」
「……くっ」
「そんなぁ~」
「もう一つ確認するが、三人はこの小一時間業務をサボってずっと猫を探していたなどとは言わないだろうな」
「…………」
「…………」
「……雪見大福~」
先輩と後輩は氷帝から顔を背けて黙秘した。
ニャコだけは話を聞いていなかったのか吾輩にすがるような視線を送ってきている。
「わかったら業務に戻りなさい。定時になればちゃんと返すから」
「はぁ……悔しいけれど無理そうね。戻りましょう」
先輩が大きくため息をついてキリっとした。
つい先ほどまでダメダメなニャコ臭を漂わせていたのに今は仕事ができそうな先輩に見える。
切り替えが早いのだろう。
未練がましく吾輩を見ているニャコとは大違いである。
「……猫守さん。あの……社長、雪見大福ちゃんを社長室で預かる件は承知しました。けれど猫守さんを雪見大福ちゃんと少し触れ合わさせてあげてくださいませんか? 猫の飼い主というものは飼い猫が自分より他の人に懐いているのを見ると耐えられないモノでして。このままでは一日中仕事にならないかと」
「な、なるほど?」
「それに雪見大福ちゃんも猫守さんに会いに遠路はるばる電車に乗って会社まで会いに来たわけですし、なにか用があるはずです」
「そうか。…………そうか?」
氷帝よ。
なぜ吾輩を見て首を傾げるのだ。
確かに先輩の言うことは的外れではある。
だがしかし。
そこで首を傾げるのは吾輩に失礼ではないか。
「猫守さん。この部屋から連れ出さない条件で少しの時間ならば飼い猫と触れ合ってもいいぞ」
「本当ですか氷室社長!?」
落ち込んでいたニャコが光り輝く笑みを浮かべて氷帝にに詰め寄った。
身長差がかなりあるので下から見上げるように。
その勢いに圧されて氷帝が一歩後ずさる。
するとニャコが二歩詰め寄った。
一歩の格差が大きいのである。
「氷室社長、先ほどは悪の組織の首領などと言って申し訳ありませんでした。私は誤解をしていました」
「あ、ああ……誤解が解けたようでなによりだ。あと私が悪の組織の首領ならば、猫守さんも悪の組織の従業員だからな」
「氷室社長はただの悪の組織の首領にあらず。悪の組織の首領でも実は世界を守るために手段を選ばなかっただけとか、顔もプライドも生き様もカッコいいタイプの悪の組織の首領なのですね!」
キラキラした瞳で発せられたニャコの褒め言葉に氷帝はぽかんとした。
吾輩は飼い猫だからわかる。
ニャコの中では最大級の誉め言葉だ。
粗野な悪役は嫌いだが、プライドが高く高貴な感じがする敵役は好きなのだ。
ニチアサという時間帯の変身ライダーも敵役の方を応援しているタイプである。
だがその意図が正しく伝わるとは猫にも思えない。
案の定、その後ろで先輩と後輩が口元を抑えている。
「ぷっ……猫守さんやっぱり面白い子」
「わ、笑っちゃ失礼ですよ先輩。私達悪の組織の従業員なのに」
「……まさか悪の組織の首領のイメージから逃れられないのか」
「さあ雪見大福! カモン!」
氷帝が肩を落としているのも認識せず、ニャコは吾輩の前に立ち、ウズウズした顔で手を広げている。
このまま無視しても長引くだけだろう。
ニャコがいじけてしまうかもしれない。
それに吾輩も本来の目的を思い出した。
猫婚である。
今日のニャコを見て想像以上にニャコがダメダメすぎることを理解した。
だからやらなければならぬ。
吾輩は軽く助走距離を取る。
そして勢いよく走りだし、跳びあがった。
『今日ずっとなにをやっておるのだダメニャコよ! 出会いがないというから、ニャコが推している氷帝社長との接点になってやろうと、吾輩が会社まで来てやったのに! ずっと吾輩の方しか見ないわ。爆笑をかっさらうとはなにごとか!』
そんな万感の想いを込めて「にゃぁーーーー!」と叫んで右後ろ足を前に突き出しながらニャコの額を踏んず蹴る。
「「「猫のドロップキック!?」」」
他の三人がなぜか声を揃えて驚いているが無視である。
なぜならば今の吾輩は飼い猫として恋愛音痴な飼い主を叱らなければならぬ。
ニャコの額を踏み台に、真上に跳びあがってくるりと前と後ろを入れ替える。
そしてニャコの頭の上に着地する。
吾輩のあごがニャコの頭の前部分に、腹はニャコの頭の線に沿って、両後ろ足をニャコの肩を置いている。
体勢は安定しているので両前足は自由に動かせる。
この状態で吾輩はニャコの額に猫パンチを連打した。
「うにゃにゃにゃなやにゃなやなやにゃあにゃやぁーーーーー!」
「いたい! あまり痛くないけどなんか痛い気がするよ雪見大福! どうしたの? なにか今日は機嫌悪い?」
「うにゃーー!」
「うんうん。えーと……来週発売のちゅーとろ豪華版『大間のマグロ激闘編』を買えって?」
「うにゃ!」
「えーでも最近重くなってきたし」
――ペシン
「痛い! 今度は本当に痛い。爪立てたでしょ」
「にゃあ!」
「太ったって言ってごめんね。でも頭の上には乗っけていると重さがね」
「にゃ!」
人間と猫ではコミュニケーションがとりづらい。
まったく六割ほどしか会話が成り立たぬ。
氷帝を含めて呆れておるではないか。
「……さっきまで大人しかったのに」
「菜々子ちゃん凄い! 猫と会話してる!」
「やっぱり飼い主の猫守ちゃんは特別なのね」
吾輩が顔をあげるとなにか言いたげな氷帝と目があった。
正確にはニャコと氷帝の目があった。
ニャコが上を向いている状態のため、吾輩は猫パンチをやめてニャコの額に両前足を置き、ニャコの肩に置いている後ろ足に体重をかけることで安定させていた。
「どうかしましたか?」
「あー……いや。頭に乗せて重くないのかと思って」
「うにゃ!」
重いとは失礼な。
「いえ慣れているので」
「な、なれ?」
「はい! 家では雪見大福を被ったまま一緒にテレビや漫画を見ることも多いですし、このまま家事とかもしてます」
「その割にはふらついているが」
「そうなんですよね……子猫のときは軽かったのですけど。メインクーンは大型ですから。月日が経つごとにだんだん頭に乗せるのが厳しくなってきて。私としても首関節を守るためにダイエットを促しているのですけれど、育ち盛りの雪見大福は最近それが不満みたいで」
「……首関節」
「でも首関節にかかる重みは飼い主の証です! ふふん氷室社長! 私が雪見大福の飼い主ですよ! 雪見大福を悪の組織の首領に飼わせるわけにはいきません!」
――ペチン
「いたっ! 雪見大福どうして今怒ったの?」
まったくどうしたもこうしたもあるまい。
なに渾身のドヤ顔を浮かべて推しを挑発しておるのだ。
これでは色恋沙汰に発展する可能性がなくなってしまうであろうに。
見よ氷帝の呆れ……ん?
なにやら吾輩が想像していた反応ではない。
氷帝の頬が緩んでいる。
そして凄く優しい目でニャコを見ている。
吾輩ではなくニャコの顔を。
う……うぬ……吾輩には人間の機微とやらはよくわからぬ。
わからぬが、これはもしかすると脈ありという奴なのではないか。
肝心のニャコは優しく見つめる視線に全く気づいておらぬが。
「よし! 雪見大福と触れ合ってやる気が出てきました! 仕事頑張りますね」
「ああ……頑張ってくれ」
ニャコをふらつきながら社長室を出ようとする。
その背中に氷帝が声をかけた。
「猫守さん。ちょっといいか?」
「なんでしょうか氷室社長」
「雪見大福は社長室に置いていきなさい」
「……被ったまま仕事しちゃダメですか?」
「ダメだ。礼儀的に猫的にも、特に猫守さんの首関節的にも」
「…………ダメだった」
「にゃん」
こうしてニャコは仕事に戻っていった。
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カクヨムコン10
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