第11話 雪見大福、ついに出勤を果たす

 遠回りしたがニャコの会社にたどり着けた。


 追手は無事に撒けたようである。

 少し進んでは追手の警戒を繰り返す逃避行。

 何度、尻尾を目印にくるりくるりと回ったか。

 吾輩は別に人間を恐れているわけではない。


 だがパパラッチは恐ろしいのだ。

 スマホを持ってパシャリする人間の集団がパパラッチである。

 パパラッチは至る所に爆弾を仕掛けて、炎上させる恐ろしい集団なのだ。

 テレビでそう紹介していた。

 警戒するに越したことはない。


『それにしても背の高くて奇妙な建物である』


 吾輩は猫背をピンと伸ばして、空を見上げるようにニャコの勤め先を眺める。

 レディースマンションよりも高いだろう。

 ガラスに覆われていて空を黒く反射している。

 ビジネスビルというらしい。

 この辺りには同じようなビジネスビルが大量に並んでいる。

 このような不思議で奇天烈な建物が好みとは、人間とは変わった生態をしている。


『さて……まずは気合いを入れるのである!』


 マンションやお店の自動ドアと異なり、ビジネスビルの自動ドアの反応は悪い。

 無駄にガラスの面積が広く重いからかもしれない。

 不摂生で不真面目な奴である。

 平然と猫を無視してくる。

 猫無視ドアである。

 まったく自動ではない。

 たまにマンションの自動ドアにも無視される。

 吾輩はそのようなときの対応方法をすでに学んでいる。


 気合いである!


 自動ドアは猫の気合いに反応する。

 ちょっと弱気になって『開かないかも』などと考えている猫は容易く自動ドアに無視されてしまう。

 吾輩を無視するな。

 開いて当然。

 そんな精神が大事である。


 もしかすると自動ドアとやらの動力源に猫の気持ちが含まれているのかもしれない。

 そんなわけで吾輩はふんぬと気合いを入れて、四本の足でスタスタと自動ドアに立ち向かった。


 ――ウニャーン


 さすがは吾輩の気合い。

 自動ドアは無視できなかったようである。

 そのままスタスタと進むと後ろで閉まる音がする。

 途端に空間が密閉されていることを理解した。

 音の反響。

 空気の流れ。

 建物の中で全てが閉じている。


 この高い天井の開けた場所はロビーだ。

 秘書課に所属しているニャコはロビーで受付嬢という業務をすることがあるらしい。

 以前、缶チューハイ一本目のニャコが自慢気に語っていた。

 上機嫌で「花形だよ〜」と無駄に自慢気だったことを覚えている。

 もちろん飼い猫の権利として顔に猫パンチした。


 受付台の向こう側には二人組の受付嬢がいる。

 二人ともちっちゃいニャコより背が高い。

 ヘタレなニャコよりしっかりした感じがする。

 つまり受付嬢はニャコではない。


 せっかく吾輩が職場に来てやったというのに出迎えもしないとはサボりである。

 仕事と飼い主の役目。

 両方のサボタージュである。

 相変わらずニャコはダメダメな飼い主だ。

 こうなったらビル内を探索するしかない。


 しかし社内を歩き回るには来客用のゲストカードをもらわなければならない。

 そうしないと不審者ならぬ不審猫になってしまう。

 本来はアポというものが必要なのだ。

 飛び込み営業と嫌われるらしい。

 以前、缶チューハイ二本目のくたびれたニャコがそうこぼしていた。

 疲れた様子だったので飼い猫として頬に気合注入の猫パンチをした。

 あの日は吾輩の猫パンチが冴え渡ったのだ。


 そんなわけで吾輩は颯爽と受付に向かう。

 吾輩の飼い主はニャコだ。

 身元確認は大丈夫だろう。


「にゃん。にゃにゃん」


 受付台に跳び乗り『吾輩は雪見大福である。飼い主はニャコである』と挨拶する。

 人間に猫の言葉がわかるとは思えぬ。

 しかしツネ婆という前例もある。

 挨拶を怠っては円滑なコミュニケーションもできぬであろう。

 案の定、二人組の受付嬢には通じなかったみたいであるが。


「白猫のお客様!?」


「猫が自動ドアから入ってきた」


「先輩……今日猫のお客様の予定ありましたか?」


「ない。あったらカレンダーに猫の印をつけてる」


 吾輩を無視して二人で話し込み始めた。

 否、無視はされていない。

 むしろ視線は吾輩が引くぐらい釘付けである。

 ガン見である。

 ジロジロというよりギロギロである。

 そんなに猫の来客が珍しいというのか!


「ど、どうしましょう。猫のお客様マニュアルとか読んだことないんですけど。あります?」


「今度作る」


「さすが先輩です」


「それよりも今は対応しないと。……でもこの子どこかで見たような」


「そういえば私も見覚えあるような。首輪しているし誰かの飼い猫かな?」


「飼い猫で真っ白なメインクーン……あっ! この子は猫守さんが飼ってる雪見大福ちゃんだ。本物は初めて見るけど」


「本当だ! 菜々子ちゃんに画像を見せてもらったことある」


「にゃん」


 ようやく吾輩が雪見大福だと認識できたか。

 わかったのであれば早く受付の仕事をするのである。

 催促するためにふわふわの尻尾で受付台をペシペシした。


「名前を呼ばれて反応した」


「これは雪見大福ちゃんで正解ですね」


「でもどうして雪見大福ちゃんがここにいるのでしょうか? 菜々子ちゃんが会社に連れてきた?」


「それはない。猫入りのケージを持って出社してきたら私が気づく」


「ですよね。先輩は筋金入りの猫好きですから」


「それにさっき雪見大福ちゃんは自動ドアを通って外から現れた」


「そういえば……どうやってここまで来たのでしょう?」


「わからない。とりあえず猫守さんに連絡してみる」


 先輩と呼ばれている受付嬢がスマホを取り出して操作する。

 けれどその手がすぐに固まってしまう。

 固まったまま何度も吾輩とスマホを見比べて行き来する。

 仕事ができそうな雰囲気だったが、見た目だけだったのかもしれない。

 スマホと吾輩をキョロキョロするとは失礼な奴である。

 不審に思ったのか後輩の受付嬢も首を傾げた。


「どうしたんですか先輩?」


「どうも雪見大福ちゃんは一人……じゃなくて一匹で電車に乗ってここまで来たみたい」


「そうですか。賢いですね。猫が一匹で電車に乗って会社までくるなんて。……ん? もう一回言ってくれますか」


「私が説明するより動画を見た方が早い。今NNNで雪見大福ちゃんが大バズリ中。話題を席巻していると言っていい。これは他のSNSに波及する勢い」


「待ってください先輩。珍しくテンションが上がっていることはわかるのですが情報が多いです! まずNNNってなんですか?」


「愛猫家専用の有料会員制SNS。正式名称はねこ猫ネッコワーク。自分語りより猫を貼れ。猫以外の話題を出したら即アカウント凍結。月額は280円。にゃおで覚えてね」


「なんて流暢な宣伝文句!? ……お安くてちょっと入ってみたいかも」


「そして話題の動画がこれ。天才白賢猫様が教える電車マナー講座」


 先輩が後輩に向けてスマホを見せている。

 吾輩をいったいいつまで待たせるつもりなのか。

 けれど吾輩は寛容な猫であるのであくびをしながら待ってやろう。


「本当に雪見大福ちゃんが電車乗ってる。……しかも妊婦に声をかけて席を譲ってる」


「それでは次の動画。大きな福を招いてくれそうな招き猫大福」


「真っ白で大きな大福……いえ長椅子で丸まって寝てる雪見大福ちゃん。この店構えの団子屋は近くの商店街にあるくるまやですよね」


「どちらも今日の日付で撮影されたもの。電車で最寄り駅まで来て、休憩してからこっちに来たみたい」


「本当に通勤コースみたいですね」


「あと動画はないけど、雪見大福ちゃんと思われる白猫がエレベーターに乗り、自分でボタンを押して行き来していたという証言もある」


「そんなものまで! さすがにそれは嘘ですよね?」


「あの子……えーと発信者は愛猫家界隈で有名な猫配信者だから高確率で本当。変な冗談を言わないから。それに動画が出回る前から、エレベーター猫を目撃したと騒いでいたから便乗商法も考えにくい。信憑性は高い」


「ほへ〜。それじゃあ本当に一匹で飼い主まで会いに来たんだ。雪見大福ちゃん凄い! ……で済ませていいんですかこの賢さ!?」


「猫は謎に満ちているから猫。あと一応猫守さんにはNNN経由でダイレクトメール送った。でもすぐに気付くとは思えないし、今はお客様対応しないと」


「……NNNで送るんだ。そして菜々子ちゃんも当たり前のようにNNN会員なのですね。寂しいので私も後で会員登録しておきます」


「布教成功。それじゃあ受付業務しよっか。私はゲストカードの準備をするから、雪見大福ちゃんのご用件を確認して」


「お猫様からご用件の確認!? ゆ……雪見大福様。本日はどのようなご用件でしょうか?」


「みゃ〜。にゃんにゃにゃにゃん」


「先輩! 猫の言葉がわかりません!?」


 なぜわからぬのだ!

 吾輩はわかりやすいように『用件は猫婚である。ニャコの呪いを解くために氷帝を倒しに来た』と伝えたのに。

 猫と人間のコミュニケーション不全は深刻らしい。

 後輩から助けを求められた先輩はやはり仕事ができるらしい。

 淡々と吾輩用のゲストカードを作成しながら、四角い色紙とスタンプインクを用意している。


「あの先輩? それは一体」


「肉球拓の準備」


「にくきゅうたく?」


「魚拓は知っているよね。あれの猫の肉球版。愛猫家の中で流行っているの。御朱印集め感覚」


「そんな流行まであるんですね」


「ちなみにお猫様の肉球のことを考えて、この赤色のインクは肌に優しく水拭きで簡単に取れるもの。保存用の加工は色紙してあって割とお高い」


「さすが愛猫家。お猫様ファーストですね。けれどどうしてその用意が今ここにあるのでしょうか」


「猫守さんには定期的に雪見大福の肉球を取ってもらっているから今日ちょうど持ってた。これならば雪見大福ちゃんも慣れているはずだし」


 なるほど。

 たまにニャコが持って帰ってくる色紙とインクは受付の作法だったのだな。

 いつも拝み倒されて理由もわからず渋々肉球判子を押していたが、ニャコの仕事の練習だったのであれば納得である。

 先輩とやら早くインクと色紙を置くのだ。


「はい」


「にゃん」


 ――ぺたん……ベタン


 吾輩はたまに家でやっている通り肉球を押してやった。

 ふむ本日の肉球は完璧である。

 一切のブレもなく、明瞭にくっきり押せているではないか。

 吾輩は押した右前足を浮かせたまま、器用に胸を張った。

 ほれ早くインクをぬぐうのだ。


「わぁ~本当に慣れた感じで綺麗に取れてますね」


「他の猫ちゃんだと手を取って無理やり誘導とか必要なのに、置くだけでこんなに綺麗に取れるなんて。しかもインクを拭くように浮かせて待ってくれる」


「本当に頭がいいですね。私が拭いていいですか。肉球もフニフニしたい」


「やり……ううん、いいよ。私はその間に色紙を入念に色紙を保管して雪見大福ちゃんの首にゲストカードつけるから」


「やった」


 後輩がウエットティッシュで吾輩の右前足を丹念に拭ってくる。

 時折、吾輩に肉球をフニフニしてくるがこの程度許容してやろう。

 ニャコもよくフニフニしてくるし、ニャコの同僚ならば特別サービスしてやらんこともない。

 その間に先輩が吾輩の首輪にゲストカードとやらを装着しておる。

 これでようやくビル内を自由に歩き回れるというものだ。


「雪見大福ちゃん。猫守さんを呼び出しているからこのまま……あっ、ダメ!」


「ちょっと待って! もう少し肉球触らせて」


「違う!」


 先輩と後輩がなにか言っているが吾輩には関係ない。

 意気揚々とエレベーターの『↑』のボタンをジャンプして猫パンチする。


「えっ!? 本当にエレベーターに乗るの!?」


「動画撮影しなきゃ!」


「先輩そういうことを言っている場合じゃないですよ! あと場所的にSNSなどの投稿NGです」


「大丈夫。私の観賞用だから。あと学術的見地で記録取っておかないと!」


「学術的見地と言われたら確かに反論できないかも!?」


 後ろでごちゃごちゃ話し声が聞こえている間にエレベーターが降りてきた。

 誰も乗っておらぬ。

 役員室は……ふむ『8』であるな。

 吾輩は二度ジャンプして『8』と『閉』に猫パンチする。


 その頃、ロビーでは。


「本当に行っちゃった」


「どこに向かって…………八階で止まった」


「役員室ってことは本当に菜々子ちゃんに会いに来たんだ」


「雪見大福ちゃんが今そっちに向かったよ。……と送信。雪見大福ちゃんは本当に頭がいい」


「それで済ませていいレベルですか?」


「猫は人間の二歳から三歳児の知能があると言われているからありえないことじゃない」


「人間でも三歳で電車乗ってエレベーターに乗って目的地に行けたら天才児です」


「まさに猫の神秘」


 ――チーン


 エレベーターが一階に降りてきた。

 雪見大福が乗ったエレベーターではない。

 隣のエレベーターだ。

 中から小柄なスーツ姿の女性が転げるように飛び出してきた。

 小柄で童顔。

 たまに学生と間違われることが悩みらしい。


「あっ……菜々子ちゃん」


「飼い主と飼い猫が右と左のエレベーターですれ違う悲劇」


 雪見大福の飼い主である猫守菜々子である。

 そのまま転げそうになりつんのめりながらも受付に駆け込んでくる。

 そして意味のわからないことを叫んだ。


「先輩! うちの雪見大福が世界中で大バズリしてとってもバブリー凱旋帰国して、うちの会社を訪問しているってどういう状況ですか!? このまま飼い主を捨ててスターダムにのし上がるんですか!? 雪見大福はどこですか!?」


 後輩はなにを言われたのかわからない。

 けれど原因は察した。


「……先輩。菜々子ちゃんになにを送ったんですか?」


「今バズっているから雪見大福ちゃんのワールドツアーの可能性を千文字ほど」


「あの短時間でそんな壮大な妄想ストーリーを送りつけたの!?」


―――――――――――――――――――――――

カクヨムコン10

100%趣味で書かれた猫視点の猫小説です。

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