第1章: 怠惰な姫君

巨大な部屋の中央に、赤い小さな球体が黄金の台座の上で輝いていた。その輝きは断続的に光り、やがて消えかけていく。


「これは……まずいぞ!」


姿は見えないが、百もの声が恐怖に震えながら囁いていた。


「急げ!急げ!」


「早く姫様に知らせねば!」


「核が……核が死んでしまう……」


「迷宮が崩れる!」


声は一斉に響き、その部屋に何度も反響していた。赤い光が次第に弱まりながらも、声は止むことがなかった。



---


「美味いのう!」


美しい装飾が施された豪華な城の内部、長い廊下に響く声。それは外へと続く大広間から発せられていた。バルコニーからは見事な景色が広がり、その場の中央、ふかふかの座布団の上に座っていたのは、一人の若く美しい女性。彼女の周りには、彼女に仕える小さな精霊たちと豪華な料理が並べられていた。


この場の絶対的な支配者、迷宮の姫君――イクナである。


「うむ!この味、口の中で広がって、全身が震えるわ!後味に少しピリリとした辛さが残るが、それがまた良いのじゃ!」


イクナは一口食べると、喜びの声をあげた。その突然の仕草に驚いた精霊たちは、慌てて柱の陰に隠れてしまった。


イクナの向かいに座っていた白い小さな狐、キロコは、ため息をついていた。彼はイクナの忠実な側近であり、幼少から彼女を育ててきた、唯一の家族のような存在である。


「酒じゃ!キロコ、もっと持ってくるのじゃ!」


イクナは両手を高々と上げ、片手に持った酒瓶を振り回しながら命じた。その拍子に、中の酒がキロコの顔に飛び散った。


「姫様……」キロコは疲れた様子でため息をつき、指を鳴らしてゴーレムたちに合図を送る。黒い石でできたゴーレムたちが酒瓶を運んでくると、イクナはそれらを嬉々として受け取った。


「待ち望んでおったわ!この酒こそ、ヤマト一番の逸品じゃ!」


彼女は酒瓶を頬に擦りつけ、顔を真っ赤に染めたまま、満足げに微笑んだ。


イクナは日常的に、迷宮の防衛や物資の管理、各階層の状態を確認する仕事を怠っていた。彼女の迷宮は、山の頂に隠され、その下には廃れた都市が広がっていた。


その山は、ヤマトの南方に位置し、無限の美しさと豊かさを誇る大地であった。漁村や農村では、質素な生活にもかかわらず、人々は笑顔で満ちていた。


迷宮の入り口は神殿であり、通常の神道の神社よりも大きく、立派な彫刻が施されていたが、草木に覆われ、時の流れが感じられた。


「姫様、今朝、下層からの報告がありました。第32階層で崩落があり、岩によって道が塞がれているようです。早急に対処せねば……」


「ふあああ……これこそが至福じゃのう……」


キロコの言葉は、イクナの大きなあくびによって遮られた。迷宮は全40階層に渡るが、21階層以降は放棄されており、機能しているのは最初の20階層のみだった。


「今は面倒な話など聞きたくないわ!それより、この珍しい料理が美味いのじゃ。人間たちの間でも人気があるそうじゃのう。もっと持ってまいれ!」


イクナは空になった皿を掲げ、キロコは深いため息をついた。


「はい、承知いたしました……」


「うむ!」


イクナが幸せそうにしているのを見て、キロコも少しだけ安堵するが、その怠惰な態度に限界を感じていた。


キロコは再び深く息をつき、従者の魔物に指示を出すと、その従者は深くお辞儀をし、空いた皿を持って大広間を後にした。


迷宮の各階層には多種多様な環境が広がっていたが、ほとんどが荒廃し、特に言及するほどではなかった。しかし、唯一の例外は第15階層であった。そこが、イクナの居城のある場所だった。


そこに足を踏み入れると、まず感じるのは暖かな陽光。そして青い空が広がり、さわやかな風が吹き抜けていた。


地底にあるとは到底思えぬ光景であった。


この階層には、小さな都市が存在し、精霊や魔物たちが住んでおり、穏やかで落ち着いた空気が流れていた。すべては迷宮の核によって生成されたものであり、イクナとキロコの指示のもと、効率的に物資を供給する仕組みが整っていた。


「姫様、迷宮の現状について、本当に何か手を打たねばなりませぬ。このままでは……」


キロコは再び注意を促したが、イクナはすでにふかふかの座布団の上に横たわり、片手に酒杯、もう片方には青い表紙の本を持っていた。


「後じゃ!今は忙しいのじゃ。この本、実に面白いぞ。キロコ、そなたも読むべきじゃ!」


「姫様……」


「これは、人間と魔物の深い愛の物語じゃ。種族の違いを乗り越え、危険に立ち向かい、周囲の反対にも負けず、愛を貫くのじゃ!」


イクナは興奮して本を持ち上げて見せた。


『月下の赤い糸』――それが彼女が読んでいた本の題名であり、今、人間と魔族の間で非常に人気を博している作品だった。


「はあ……やはりツキノミ先生の作品は最高じゃな……」


イクナは満足げに微笑んだが、その一方でキロコは、迷宮の未来に対する不安を隠しきれなかった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎週 日・水 03:00 予定は変更される可能性があります

落ちこぼれ迷宮のイクナ:廃れたダンジョンから最強ヘ! 復活物語 Riel @riel0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ