第12話 vs灼熱鳥2
冷たい川風に晒され、ぴくりとも動かない小さな餌を見て、ボリードバードは少しだけ留飲を下げた様子で中空を翼で打ち付けると、態勢を整えるように大空を回り込み滑空し始めた。
気絶したクリエスが倒れる地面すれすれにまで灼熱鳥の爪が迫ったとき、ボリードバードの真横から鋭く影が躍り出た。
翼が噴き上げる炎も意に介さぬよう、それは黒い刃を振るい上げると、真っ直ぐにボリードバードの首元目掛けて振り下ろした。しかし、刃を突き立てられる一瞬、ボリードバードは自らの炎を更に噴き上げ急上昇し、影を振り落とす。
「アースウィップッ!」
ひび割れた声が下から響き、水の尾を引く礫が連なり鞭のようにボリードバードの翼を掠めていく。
風切羽根の一箇所を打ち付けられ、姿勢を崩すように頭を地面に向けるボリードバードだったが、錐揉みのように鋭い回転を掛け月光色の瞳が黒い影を捉えた。
しかし、同じ色の月光色の小さな瞳が逃さぬように向け返され、剣のように伸ばされた黒い腕が喜色と共に突き出された。
「アぁ……オ前で完成さセタいものダ」
高温を有するボリードバードの喉元に、異形の黒い腕が触れた。しかし、苦し気に上げられた悲鳴は大気中を震わせ、その音量にさしもの異形も力を込めきれず、数歩よろめくように引き下がった。
ばしゃばしゃと揺れ動いた水飛沫の冷たさに、クリエスの手がぴくりと砂利を触れて掴む。
暗い意識の中、体中に纏わり付く重さと左手にだけひりひりとした痛みを覚える。
何があったのか、必死に記憶を辿ろうとして思い出せたのは、太陽の光を受けて宝石のように輝く、琥珀色の瞳を見せる彼女の真剣な眼差しだった。
一瞬だったのかそれともそれ以上の時間気を失っていたのか、彼には分からなかった。ただ、冷たさを凌駕する熱い風が頬を撫でていく。その感覚と、水面に反射した赤い炎に意識が繋がった。
そうだ、ボリードバードッ!
起き上がろうと両腕を地面につくが、右腕に力が入らないようにガクンっと姿勢が崩れてしまう。義手を動かそうとしても上手く動かせず、知らぬうちに血の気が引いていく。
「まさか、壊れた……」
呆然と零れた言葉と共に恐怖が全身に震えが走り、息が浅くなっていく。
一緒に作った大事な腕なのに。こんなところで――
「アクヴォバーティッ!」
悄然と混乱に陥る中クリエスの視界の端で、黒く硬質な足が水面を踏みつけ、鋭く紡がれた魔法に一瞬、青い水面が白く凍ったのが見えた。
立て続く理不尽さに、静かに唇を噛んで視線を落としかけたクリエスを嘲笑うかのように、水と高温の熱のぶつかり合う轟音が響いた。
凄まじい風が周囲に生まれ、衝撃に一瞬ばかり水底が剥き出しになった。
「アまり、使わレルと困るノだがナ」
白い蒸気の中に飲み込まれた奥から、水が再び流れを取り戻す音と共に、ひび割れた声がクリエスの耳に届いた。
叩きつけられるような熱波の揺らぎを堪え、顔を上げた視線の先、白に紛れ切れぬ黒い体躯が水面を踏みつけ現れた。
霧に溶け消えるようなざんばらな白髪と対照的に、顔の一部を覆う硬質な黒い全身鎧に似た異装の姿を捉え、クリエスの右手が強く軋む音が響いた。
はっとして義手に視線を向ければ、間違いなく拳を作り、その腕で地面を支えられた。
混乱と焦りで義手の魔力伝達が上手くいっていなかっただけ。そう分かるとクリエスは、短く跳ね続けていた息を止め、思い切り頭を振るう。
焦っちゃだめだ、と両頬を叩いて気合いを入れ直す。
「出来る事は一つずつ、確かめてから」
なら自分がいまやる事は何か。
視線を巡らせるも蒸気で周囲が不明瞭な中、クリエスは素早く混乱していた記憶を整える。
ボリードバードを倒して、あの結晶体を確保する事ッ!
クリエスは魔力感知の魔法を上空へ向けて一瞬だけ展開すると、揺らいだその場所に向かい両腕を翳す。
「エアーブラストッ!」
町中とは違い、そして周囲を気にする必要も無い上空への魔法。
クリエスの前方で風の刃が生み出されると、怒り狂うように蒸気を切り裂き蒼空の炎へと襲い掛かって行った。
ボリードバードは炎を撒き散らしながら、風の刃を飛び躱すと分が悪いと見たのか何処か遠くへ首を巡らせた。
「逃すカッ! アースグレイヴッ」
その仕草に、異形は吠えるように地面を隆起させるとその勢いのままに空へと飛び上がった。
追掛けようにも異形の背を睨むしか出来ないクリエスの視界の先で、木々に匹敵するほど伸びた土槍がピタリと止まった。その瞬間、黒い姿が更に跳ね上がり、高い蒼穹に一つの染みを作り上げると片腕を前へ伸ばす。
月光色の冷たい眼差し同様の魔力の光が、異形の手の平に集まっていくと、殺気を感じ取ったようにボリードバードは前方へと加速し、異形から素早く距離を取っていく。
魔力の塊を鋭く打ち出した異形の腕が振るわれると、何かに阻まれボリードバードはその頭部を強かに打ちつけたらしく、ぐったりと地面へ迫って来る。
炎を散らし落ちて来るボリードバードへ、クリエスは弾かれるように駆け出した。腰の小剣を取ろうと手を伸ばしたが、空を切り思い出す。
さっき落とされたときかっ。
チッと舌打ちを零し、そのまま魔力を左手に込める。
魔法を放つ直前の独特の魔力の膜をそのままに、ボリードバードの喉元で淡く灯る虹色の光に手を伸ばす。
「触れルなッ!」
背後から鋭く迫る異形の言葉と共に振り返れば、水の礫が迫っていた。
クリエスは避けられないと覚悟を決め、炎の消えた羽毛に左手で触れると、睨みつけるように礫とその先に居る異形を見据えた。
「
クリエスが新たな魔法を叫んだ途端、ボリードバードの全身が鮮やかな緋色に燃え上がり、壁となって異形の放った水の礫を一気に焼き払った。
再び上がる白い煙幕の勢いと、咄嗟に使った魔法の影響かクリエスの視界がぐらりと歪んだ。
「くっそ……魔法、使い過ぎたか」
魔力枯渇症に似た脱力感だったが、しかし微妙に違う眩暈に似た感覚に一瞬だけクリエスは戸惑った。
身体の内側から魔力が抜けるような感覚とは真逆に、周囲の空気ごと魔力に押さえつけられ一瞬、力が抜けるようにふらりとよろめいた。
「ハアッ!」
緊張が途切れた刹那、蒸気で遮られた視界を割るように黒い腕が伸びて来た。避ける間もなくクリエスは鳩尾に異形の固い拳を受け、一瞬血を吐いた。
鈍く響く痛みを両腕で抱え、気力だけで踏み止まる。
ここで吹き飛ばされても、気絶してもせっかくの手掛かりを失う。
彼女を助ける手段をみすみす逃す手は無い。その一心でクリエスは、駆け上る吐き気を飲み下すと、左腕を地面に叩きつけた。
「アースウィップ!」
自身の前方に向かい、加減を考える事も止めて目一杯に魔力を流し込む。
鞭のように連なる礫が、今は一抱えもある蛇のように唸り声を上げ、異形の黒い影に向かい走る。
地面を揺るがし迫る魔法に、ボリードバードへ手を伸ばしていた異形が振り返り、微かにその瞳が驚きに
決して浅い一撃で済ませたつもりも無かっただけに、クリエスの反撃魔法は予想外だった。
青年から向けられる、仇をねめつける眼差しを受け止め異形は微かに肩を下げた。
「エルクレプス、
しかし異形は薄く笑うように口元を歪め、ボリードバードの喉を掴んだ腕と反対の腕を土蛇に翳し直すと同時に、緩やかに一律を紡いだ。その瞬間、虹色の光が地面の上を走り土蛇を捉える。
まるで淡黄色の光が網のように覆い被さり、土蛇の頭の方から命脈を奪うように光を徐々に消失させていく。土蛇はのたうち回るように地面に無秩序な軌跡を描く傍らから砂と化し、最後には淡黄色の帯だけがクリエスの手元へと逆流するように迫った。
初めて異形と遭遇した日、ハーシェルが倒れた瞬間がクリエスの脳裏に蘇り、不味いと過った。
地面に送り込んだ魔力の量が多すぎたせいで、身体が硬直してしまっていた。
少しでも光の進路上から逃れようとクリエスが全身を外側へと傾けた瞬間、光の帯との合間に重たい音を立てて鉄の塊が投げ込まれた。
何が起きたのか理解するよりも先に、魔力を持たない小剣に光の帯がぶつかり辺り一面が煌めくと、光は異形の方へと吸い寄せられるように飛んでいく。
「マだ追いかケテ来るか」
些か辟易とした風にも受け取れる異形の苛立つ言葉と視線の先――土埃に汚れた外套衣。顔の殆どを覆い隠す包帯が目を引く大柄な男が、己の身丈に合わせた長剣を携えて現れた。
予想外とも予想していたとも受け取れるように、異形が肩を竦めて見せた。
「ヴェンド……アナタの執念深サは、好まシイがな」
すっと月光色の瞳を細めて告げた異形の言葉に偽りはないのだろう。ヴェンドと呼ばれた大男はずかずかと大股に近付き、その勢いのまま異形へと長剣を振り抜いていた。
唸り声を上げる剣風に異形は自身の硬質な腕で受け流したが、男の返す刃の勢いに今度は受け止めきれずに吹き飛ばされていた。
そして彼は、異形の呼称通り
声無き咆哮に乗せヴェンドが長剣を振り上げた一瞬、金色の眼差しがクリエスへ鋭く向けられた。
言葉はないままだったが、何かを求めるような眼差しを受け、クリエスは背中を押されるように目の前の小剣を掴んで地面を蹴った。
クリエスは、異形の注意を自身に引き付けるヴェンドを横目に見ながら、二人の死角へ走った。その姿を一瞬振り返ると、視界を塞ぐように剣先や峰を巧みに振り翳すその姿から先日の深い傷の跡も見えず、鋭い音を奏でる剣風にクリエスの中で疑問だけが積み重なっていく。
何故、大男が自分を助けてくれたのか分からない。しかし、今は結晶体の確保が己の役目と言うように、止まりかけた思考と足元を振り切るように力を入れる。
色々と気になるが、深く考えてしまえば動きが止まる。それは彼にとって望ましいものではなかった。
黒い刃と長剣のぶつかる鈍い交差音が響いた瞬間、クリエスは視線を引き剥がし、起き上がるボリードバードへ向け直した。
川の流れが一瞬乱れ、よろりと巨体を揺らしたボリードバードが、その半身から冷たい水を滝のように滴らせ激しく身震いをする。明るいオレンジの炎色の冠羽根が、ちらりと空に向かい揺らめくと、瞬く間に熱気が周囲に吹き荒れた。
ボリードバードの身体が僅かに沈み込み、炎と化した翼が素早く宙を打ち付け空へ舞い上がろうとした。
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タイム・クロスオーバー 天貴 新斗 @Tenki358
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