第11話 vs灼熱鳥1
クリエスはつい先日、ハーシェルと共に歩いた道を一人で辿るように、街道から目当ての採取場所に向かっていた。
アルボロフォと遭遇した場所が近付くにつれ、自然と緊張感を覚える。その一方で、スヴェルムらによって斃され、氷漬けとなった記憶も朧気に残っていたが、徐々に歩みが緩くなってしまう。
街道で一度足を止めたクリエスは、じっと前を見据えると「大丈夫」と気合いを入れ直し、森へと足を踏み入れた。
しばらく獣道を進み、無事に小川の流れる場所へと辿り着くと、改めてほっと一息を吐くとクリエスは、医術士ロギィから渡されたメモを取り出して目を通す。
「必要なのは……
いつもと同じ薬の材料ばかりだが、必要とされた分量は通常より多い。
クリエスは少し考えて、小川を遡りつつ採取の依頼と魔力結晶体の探索を並行して行う事を選んだ。
清流の側で自生する草花の中から頼まれた薬草を摘みつつ、その合間に異常な魔力が無いかを確かめるが、近くに結晶体が落ちているような気配は感じられなかった。
マナール草の群生地帯で膝を付いて一つ、二つと葉を摘みながら、採取準備のため店に戻った時の事を思い出していた。
◇◆◇◆◇◆◇
クリエスが店に戻ったとき、買い物を請け負ってくれたスヴェルムの姿は既になかった。
店の中にも工房にも店主であるシエルリーサの姿は無く、クリエスは物音一つしない姉妹の自宅へと引き寄せられるように足を進めた。
深と静まり返る廊下の先、微かに扉が開いていたハーシェルの部屋を覗き込めば、未だに眠り続ける妹の傍らでシエルリーサがその寝顔を見つめたまま。
午後に開けると言っていた店の看板も閉店のまま下げられ、どうしたのかと思っていたが、思い詰めるようなシエルリーサの後ろ姿にノックをすることも憚られてしまった。
それでも、彼女は戻ったクリエスの気配に気付いたのか、微かに顔を扉側へと動かしたが、身動きの取れない彼にその表情はよく見えなかった。
「魔力枯渇症だって。それも重度の……」
ゆっくりと部屋の中に入ったクリエスに向かい、シエルリーサの口元から零れた声は諦念を滲ませたように揺れていた。
「そりゃあ、あたしたち魔装具技師たちでも、魔法使う限り起こり得る事だけれど、信じられないよね……」
深い溜息を零す彼女の小さな背中を眺める事しかクリエスには出来ず、不安に駆られるまま、浅く跳ねる息に手を当て、言葉が続けられることを待つしか出来ない。
「ハーちゃん、このまま目を覚まさなきゃ……本当に」
「シエルさんっ!」
一瞬、シエルリーサから一番聞きたくない言葉が溢れ出そうになっていたと気付いて、思わず大きな声で遮ってしまった。
そのせいで肩を竦めた彼女の手が、ハーシェルが眠るベッドの裾にきつく皺を刻みつけたのを見つけて、しまったと過る。
「ご、ごめんなさい。でも魔力枯渇症なら……魔力が回復すれば、きっと大丈夫ですよね」
「そうだね……」
上辺だけの謝罪となってしまった事に気付かれたのか、シエルリーサがほんの僅かに、こちらを振り向いてくれたが表情はやはり見えないままだった。
それでも、ハーシェルの事で嫌な言葉は聞きたくなかった。
たった一日でこんな事になるなんて考えも出来ず、クリエスは眠り続けるハーシェルに伸ばしたかった左手を握りしめて堪えた。
魔力枯渇症。人が有する魔力が底をついた状態を示す症状だ。クリエスも小さなころに罹患した経験があった。
風邪によく似ていて、自分の時は普段より高い熱が出るだけで済み、魔力を含む滋養のある食事と薬草茶を数度飲むくらいで二、三日大人しくしていれば良かった。しかし重度ともなれば、様相は全く変わってしまう。
体内の魔力が著しく減る事で身体機能の一部不全を起こしてしまう。ツインウェア義装具店にはそんな経緯を持つ顧客もいた。
「ごめんねクウ……ありがと、診療所にお願い出してみる。自分たちで出来る事もしないで俯いてばっかりじゃハーちゃんが起きた時に怒られちゃうよね」
シエルリーサの強張っていた手が彼女自身の不安を引き離すように、そっと皺の寄ったシーツを撫でて伸ばしていく姿と対照的に、クリエスはきりりと拳が痛むほどに握り締めていた。
「まずは……一番手っ取り早くボクが薬草採取してきます。それで少しでもハーちゃんの魔力が戻れば目が覚めるかも知れないし」
それに破片となった魔力結晶体が見つかれば、もしかしたら――
その言葉を今はまだシエルリーサには伝えずに飲み込んで、握りしめた手を開いたクリエスは焦りを背に負い、踵を返していた。
◇◆◇◆◇◆◇
少しの合間だけ薬草を無心に摘み取り続けて、引きずっていた心の奥の焦りが和らいでいたことに気付いた。
日向にいたが清流のひんやりとした空気に身体が冷えていたのか、吹き抜けた風に誘われるように、小さく丸まっていた背中をぐっと伸ばす。
クリエスの思考は今に戻り、足元のマナール草が小さな山となっていたのを見て完全に手を止め、周囲を見渡した。
「摘み過ぎたかな……」
一箇所で摘むには多すぎたと反省しながら森へと目を向ける。
魔力感知は、自分の目の届く範囲にある魔力の波を捉えるものだが、彼は精度が落ちるものの森の奥へと広げ、魔力の塊を捉えようとしていた。
しかし、その感覚が弱くなったような違和感を覚えて立ち上がった。その瞬間、魔力感知の魔法も途切れて、思わずよろめいた。
思いのほか強く全身に広がっていた倦怠感にクリエスは、ふぅっと息を吐き、ひんやりとした空気を吸い込んだ。
ここに着いてから三十分くらいは経ったかな。と考えながら空を仰いだ。
太陽の位置からまだ時間の余裕はあると判断し、彼は足元のマナール草の若葉を摘むと、そのまま口に放り込んだ。
マナール草の若葉は生食でも少しは魔力回復に効果がある。その苦みと爽やかな風味を水で喉の奥に流し込むと、体に纏わり付いていた疲労感もすっきりとした。
クリエスは少しだけ考え、依頼用に採取した薬草類と自分用の薬草が混じらないように包み、まとめて荷袋の中へしまいこんだ。
「もう少し奥、かな……」
荷袋を背負った彼は、小川の奥に広がる森へ緊張を乗せた眼差しを向けた。無意識のうちに腰に差した小剣の鞘に触れ位置を確かめ、気合いを入れ直す。
森の奥に踏み込めば自然と、魔獣たちの縄張りだ。
先日のようにアルボロフォに遭遇する可能性も高まるが、眠り続けるハーシェルの事を思えば、自分の内に巣食う恐怖心は些細な気がしてきた。
一度だけクリエスは呼吸を整えると、小川を越えて森の奥へ入ったが、進むほどに異様に静かになっていく。
日向で熱された影響か微かに吹き付ける風は温かく、時折、さぁっと影を作って獣道の間を駆け抜ける。
ロギィから森の様子が「おかしい」と忠告をされていたが、本当におかしいと視線が彷徨う。
町の人間も森の奥には余程の事が無い限り滅多に近付かない。
森の中心部では動物の姿も見えるはずなのに、一瞬、空を陰らす鳥の影は見えたが、普段なら見かける小動物の気配も感じられなかった。
クリエスは先程とは違い緊張感を保ちながら、ある程度森の奥へ進む度に魔力感知の魔法を使い、破片を探す。
この方がクリエスにとって、余計な魔力を使わずに済むが、感知を切る度にじわじわと疲れを覚えてしまい、マナール草の苦味が口に広がる度に改めてハーシェルの凄さを実感していた。
スヴェルムとハーシェルの素材採取に初めて連れて行ってもらったとき、彼女は森の入り口から森の奥にまでずっと感知魔法を使いっぱなしだったにも関わらず、その時の彼女は、自分のように息切れするような姿を見せなかった。
それに比べて、魔力操作の小手先の技術で何とか姉弟子の後を追いかけてるだけに、クリエスは背中に掛けた荷袋の紐をきつく握りしめていた。
少しずつ採取を続けながらも、感知魔法を使うが地面にそれらしい魔力の感覚も引っ掛からなかった。
引き返すか、それともこのままもう少し奥へ進むか。
風に枝葉の擦れる音を聞きながら迷い、その答えを自ら出す前に空が歪に陰った。
太陽を分厚い雲が覆ったのとは違う影形に、クリエスは反射的に正体を見定めようと空を仰いだ。
「う、うそでしょ……」
彼から零れた言葉は乾いていて、視界を埋め尽くす
ゆったりと羽搏く度に緋色の翼から巻き起こる熱風を周囲に振りまき、月光色の双眸を
思わず後退る青年に、巨大な鳥は高い威嚇音を発して空中を打った。
「なんでボリードバードが!」
半ば悲鳴を上げつつ、足が動いたことだけが奇跡だった。
転びそうになりながらも走れば、急降下したボリードバードの鋭い鉤爪が一瞬前まで己が立っていた地面に突き刺さり、跳ね上げられた小石が熱を帯びて飛び散った。
なんで遠い国の鳥が――
叫ぶよりも先にクリエスは依頼品の入った荷袋を抱え直し、こんなところで丸焦げになれるかと、必死に元の小川を目指した。
ボリードバード。別名灼熱鳥とも呼ばれている鳥だが、ザリオート町近郊に存在しない。
本で見ただけの魔獣が、何故ここにいるのか、クリエスには全く分からない。
ちらりと視線を後ろに投げかけた瞬間、ボリードバードはその場で足を止めたまま喉元を大きく逸らした。
クリエスの視界の端で、胸元が鮮やかに虹色に光り輝き、大きく膨らみ炎を溜めていくのが見えた。
考える余裕も放り投げた彼は、聞こえてくるせせらぎの音を頼りに全力で走り、一瞬途切れた道を大きく蹴りつけた。
クリエスは小川を飛び越えた直後、その背中を追い掛けるようにボリードバードの大きく開かれた嘴から一筋の紅蓮の炎が吐き出された。
「エアーバインドッ!」
振り返りざま、クリエスは眼前に小川から大量の水を空気の層で包むように壁を作り上げ、炎の勢いを削いで躱すと、そのまま下流の広い場所を目指した。
とにかく水辺の近く。そう考えながら走る背後から白い煙が吹き付けて来る。剥き出しの肌に浴びせられた熱い蒸気に、振り返るまでもなくボリードバードが迫ってきていた。
ちらりと上へ視線を向け距離を探るが、まだ赤や黄色の葉が狭い青い空を遮っている。クリエスは一瞬だけ走るリズムに併せて踊る小剣の柄に目をやったが、空を飛ぶ相手に自分の剣では届かない。
そう内心で首を振り、前方に目線を向け直した時、緩やかに道が途切れることに気付いた。
「しまっ――」
突然、身体ががくりと沈み眼前に地面が迫った。クリエスは咄嗟に義手ごと荷袋をきつく抱かえ、地面の上を転がり落ちた。
「いってぇ」
ほんの数歩分の距離だが、強かに半身を打ち付けてしまい直ぐには立ち上がれそうになかった。
痛みを堪えながら、目線だけでボリードバードを追い掛けた。だが、視線の先には姿が見えず、地面を走り迫る影に気付き空を見上げた。
倒れ込んだ自分をみて好機と捉えたのか、ボリードバードは炎の翼を打ち付けて高く舞い上がる。再び喉元の虹色の光が太陽より一瞬、強い輝きを放ちクリエスの瞳を穿った。
真っ白に染まる視界をきつく閉ざしたまま、クリエスは起き上がり記憶の残る方向へと思い切り飛び込む。
一呼吸遅れで足元にひりつくような痛みを覚え、さらに遅れて冷たく刺すような水が体中に纏わり付いた。目論見通りボリードバードの熱線は躱せたが、かわりに水に押し込まれたように音が途切れた。
水に流され、上下の間隔が消え失せてしまい、思い切りクリエスは必死に左手を伸ばす。川面の砂利に手を付いた感触に爪を立て、勢いをつけて身体を跳ね上げた。
クリエスは
「ぁっぶね……」
がっちりと右腕で抱えていた依頼品にほっとする間もなく、再び迫った赤い鉤爪の気配にクリエスは避けようと身体を捻った。しかし、川底の流れで揺れた足元にバランスを崩し、完全に避けきれずそのまま肩口に鋭い痛みが走った。
ぱっと切り裂かれた服の下。義手を支える
高温の炎を纏うのは翼と胴体だけか、ハーネスが燃えることは無かったが、代わりにずぶ濡れの布地から水分を奪う白い煙が立ち上り、素肌が焼け付く痛みを覚える。
「あぁ、くっそ!」
クリエスはボリードバードの羽搏きに引き摺られ、なんとか踏み止まろうとしても、僅かに浮き始めた足元では石を転がし、ついには水面を蹴るだけ。
このまま中空に釣り上げられれば、何も出来ないどころか食い殺される。
一瞬。荷袋に視線を落とす彼の脳裏に、眠ったままの姉弟子の青白い顔と、怪我人の中を奔走する医術士たちの姿が思い浮かんだ。
腹を括るように、クリエスはガチッと音を立てるほどに歯を噛みしめ、荷袋を投げ捨てた。
「セアッ!」
気合いと共に空いた手で小剣の柄を掴み、真っ直ぐにボリードバードの脚元を狙い振り抜く。
骨の硬い感触にぶつかり剣が跳ね返り、衝撃で引っ掛かっていた爪が外れた。同時に、灼熱鳥の高い悲鳴が耳元で響き渡り、直接脳を殴られたように視界が激しく揺れる。
「うぁっ!」
川岸に落ちた衝撃で無理やり息を押し出され、クリエスの視界が黒に塗り潰された。
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