第10話 異形の残した爪痕4

 大きな通りを跨ぐように住宅街を駆け抜けると、不意に広い空間に出る。

 診療所はザリオートの町では比較的大きな作りで、入院患者向けと通院患者向けの棟が二つ作られている。

 昨日の事件に巻き込まれた者やその家族が訪れていると容易に想像が付くように、門前は人の出入りが多く、皆一様に重たく緊張した空気を纏わせていた。

 クリエスは、その騒然とした空気に飲み込まれないように、ゆっくりと人の流れに沿って門を通り抜けると、入院棟の方へと足を伸ばした。

 いつもなら閑散としているはずの建物は人で溢れ、事務員たちが必死に押し寄せる人達を宥め、病棟に雪崩込むのを防いでいる。

 クリエスはその様子に思わず足を止めてしまった。

 一つ間違えていれば自分も押し寄せる側に回っていたと、罪悪感に似た感情にチクチクと胸が痛むのを感じながら、彼は人々に見つからないよう通院棟の裏口から中へと入り込んだ。

 事件から一日経ち、室内は落ち着いたように見えたが、それでもいつも以上に、ツンッとした消毒液の独特の匂いと怪我人たちが溢れていた。

 クリエスはもしかしたら此処で昨日の大男に会えないかと、淡い期待を抱きつつ歩いたが、やはりこちらではその姿は見えなかった。

 そして忙しなく走り回る医術士の中にはクリエスに気付いた者もいたが、ちらりとこちらを一瞥するだけでクリエスが声を掛ける間もなく、何も言わずに通り過ぎていく。

 いつもなら軽い挨拶も交わすが、この異常事態にはその余裕が誰にも無いと改めて思い知る。

 そのままクリエスは入院棟へ移動すると、普段は数人の患者が居るだけの二十床程度のベッドが全て埋まっているだけでなく、ベッドとベッドの間にも人が寝かされており、被害の深刻さを初めて目の当たりにした。

 クリエスは思わず身震いするように両腕を抱えながら、改めてその一人一人を確認して進んだ。しかし、そこには求めた人の姿は何処にも見えなかった。

「……あの、すみません」

 近くに居た医術士の一人を捉まえれば一瞬ぎょっとした顔を向けられた。

 それも当然だ、今入院棟には診療所の関係者しかいないはずなのだから。

 しかし、その医術士はクリエスの顔を見ると「なんだお前さんか」と興味を失ったように、目の前の患者へ治癒魔法を施していく。

「お前さんの主治医なら今客の対応に行ってるよ。事務室に行ってみな」

「それもそうなんですけど、昨日こっちに運ばれた人を探していて」

 普段から診療所の依頼を引き受けていたクリエスは、怒られずに済んだと少しばかりほっとしつつ、命の恩人の特徴と所在を聞けば目の前の医術士は何とも云いにくそうな表情を浮かべ、ふいっと視線を逸らしてしまった。

「居ないよ」

「えっ……」

 あまりに微かな返事に、クリエスが思わず聞き返しそうになり、再び医術士が周囲を見ろと言うように顔だけを動かした。

「あんな怪我で直ぐに動けるわけ……」

「って言うか、実際に居ないだろ。悪いけど仕事に戻らせてくれ」

 忙しそうにする医術士が他の患者の治療を再開してしまい、クリエスは立っていた場所を押し退けられるように譲った。

 ぱっと振り返ると、室内が全て見渡せる。その中にあの目立つ大男の姿は確かに無く、彼は外に治療を受けられるような場所があるのか訊ねれば、冷たく「裏庭、見て来る方が早い」と突き放されてしまった。

 クリエスはこれ以上医術士たちの邪魔もするわけにもいかず、寝ている人たちを刺激しないようにそっと抜け出し、医術士に言われた裏庭へ回ったとき、そこに広がる慟哭の声に愕然と立ち竦んでしまった。

 昼前――この町で一番活気のある時間帯に引き起こされた事件だっただけに、整然と並べられた人々の傍らで、悲しみに暮れる者たちの嗚咽が庭を埋め尽くしていた。

 自分自身が巻き起こした魔法に巻き込まれてしまった人も、少なからずこの中に居るのかも知れない。

 それを目の当たりにして、呼吸が一瞬のうちに浅くなり、息が上手く吸えなくなりそうだった。

 自分たちが助かるだけの為に、他の人を蔑ろにしてしまったのでは。

 そんな“もしかしたら”という思いがクリエスの胸中を過ぎる中、視線を彷徨わせると、自身の主治医であるロギィが数名の神官たちとこちらへ向かってくるのが見えた。

 その瞬間、悲しみに臥していた人々が彼らを取り囲み、突然奪われた大切な人や日常へのやるせない怒りをぶつけるように、治療を求める声や、嘆きながら罵声を浴びせる者がいた。

 神官たちはそうした人々の悲しみを受け止めながら宥め、手分けをして一人一人、地面に膝を付き祈りを捧げ始めた。

「クリエス。きみまでこっちに来てどうしたんだい。工房にはマニエル先生が向かっただろう?」

 建物の傍で立ち尽くしていた青年クリエスに気が付いた、ロギィはそっと祈りの場を邪魔しないように彼を人々から離れた影へと招いた。

「ロギィ先生……実は」

 この場の緊張を引きずった表情でクリエスは自分が訪れた目的を告げると、町の人々へそっと視線を向け、苦しそうに視線を地面に落とした。

 胸の内につかえる感情を言葉にしてしまって良いのか迷い口篭もってしまった。

「ボクの……せいで」

 微かに零れた言葉と共に震える義手を抱え込んだクリエスに、ロギィは一度だけ周囲に視線を巡らせると、やんわりと彼の肩に手を置いた。

「落ち着いて。ゆっくりでいいから話してごらん」

 その言葉にクリエスは僅かに瞳を瞬かせて、恐怖心が解れるような吐息を漏らした。

 クリエスにとって目の前の医術士はスヴェルム以外で唯一、自分が片腕となった仔細を知っているだけに、少しだけ甘えさせて貰うことにした。

 訥々と昨日のことを語る青年に、ロギィはただ優しい頷きの相槌を打つ。

 そして、事件の最後の話を聞き、医術士はなるほどと頷き、再び視線を裏庭へと向けた。

「クリエス。一つだけ私からはっきりと言える事を伝えるよ」

 ロギィから両手を取られ、クリエスが恐る恐ると顔を上げると目の前には真摯な眼差しが向けられていた。

「君たちがその異形を遠ざけなければ、町はもっと酷い事になっていたよ」

「でも……」

「言いたい事は分かるよ。私だって医術士として、もっと早くに動けていたらと思う患者もいる。それは間違いない。でも、残念ながら私たちには悔やんで足を止める時間も無い。だから、今は目の前のことを精一杯やるしかないんだよ」

 ロギィからゆっくりと諭すように告げられ、その言葉を何とか飲み込もうと視線を彷徨わせたクリエスは、優しい皺の刻まれた手を見つめて、くっと唇を噛んだ。

「私は私の。君はきみの、出来る事を一つずつやって行こうじゃないか。彼女ならきっとそう言うだろう」

 ふっふと柔らかな笑みを浮かべていた、ロギィの優しい手が離れた。

 ザリオート町に来たばかりの頃、ハーシェルたちと共に義手の訓練を見てくれたのは目の前の医術士だ。

 それだけに、他の皆には言い難い気持ちを吐露できた事で、クリエスはようやくゆっくりと頷き返せた。

「よし。それなら、薬草採取の必要リストがいるね。少し待っててくれるかい」

 優しい口振りのロギィにクリエスはもう一度頷き返し、建物の影の中、静かに医術士が戻って来るのを待った。

 その合間、視線を庭に向け直すと、神官たちの鎮魂の祈りの声に、遺族となった人たちは大切な人たちの死を受け入れたのか、静かに言葉に耳を傾けている。冷たい風に乗って啜り泣く声に、クリエスも自然と目を瞑り両手を合わせていた。

「お待たせしたね。これが今必要な物のメモだよ」

 戻ってきたロギィの声に、クリエスは両手を解き、折り畳まれたメモ用紙を受け取ると内容へ素早く目を通した。

「早めに戻れるよう頑張ります」

「よろしく頼むね。それと、小耳に挟んだ話だけれど、森の様子が変だ、という話もあったから十分に気を付けるんだよ」

 患者の世間話で聞いた話題なのだろうが、ロギィは少しだけ心配そうに付け加え、クリエスはしっかりと胸に刻むように頷き返した。

「それでロギィ先生……」

「あぁ。顔と腕に火傷を負った大柄な男性の所在って話だったね」

「はい。昨日、スヴェルムさんたち憲兵隊のみんなが、あの人を診療所へ運んでくれたのは間違いないはずなんですけど」

 噴水広場から途中までの道は確かに、クリエスたちと担架に乗せた大男と共に同じ道を歩いていた。その記憶は間違っていないはずだが、診療所の中にもこの裏庭にもそれらしい影は見えなかった。

「そうだね。こちらもかなり、てんやわんやしていたからね……けど、確かにそれらしい人が運ばれたのは覚えているよ」

「ならあの人はどちらに? それとも、もっと大きな病院へ運ばれたってことですか?」

「申し訳ない。君が見た通りに居ないんだ。かなりの大怪我を負っていたため……非情ではあるが、彼はここへ運んだ。それも間違いない」

 力不足だと言うように緩く首を振るうロギィの言わんとする意味が分かったとき、クリエスは一瞬息を詰めた。

 助かる見込みのある者を優先的に治療する。

 その判断をこの診療所の医術士たちは下したのだ。

 だとしたら彼はもう――

 そう最悪な事が過った時、「けれど」とロギィの言葉が続いた。

「明け方頃だったかな。私が裏庭の様子を見に来た時にはもう、彼の姿は見えなかったんだ。あんな大怪我で動けるなんて思いもしなかったし。近くで倒れているかもしれないと一応、周囲は確かめたんだけれどね……」

 もう一度顔を横へと振るったロギィに対し、クリエスは深呼吸をした後にゆっくりと頭を下げた。

「そう……でしたか。教えて下さってありがとうございます」

 あれだけの大怪我を負っていたにも関わらず、一人で姿を消したのかと思えば、再び胸が塞ぐ思いだが、同時に生きていると言う事に安堵もしていた。

「力になれなくてすまないね。それにこちらは君を頼るばかりだ」

「いえ、大丈夫です。直接お礼を言う機会を逃してしまいましたけど、もしかしたら、ひょんなトコで会えるかもしれないですし」

「そうだね。そうだと良いね……じゃあ、悪いけれど薬草採取の方は任せてしまうね」

「はい。それじゃあ後ほど届けに来ます」

 少しだけ無理をして笑みを浮かべたクリエスに、ロギィは軽く頷くようにすると、医術士は踵を返して鎮魂の祈りが施された人々の傍へとゆっくりと歩いて行った。

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