第9話 異形の残した爪痕3

 店から外に出て大きな路地を二つ越えれば、すぐ目の前が事件のあった中央の噴水広場だ。

 遠目に見える景色は四角く見えた一昨日と打って変わって、殺風景な空が広がっている。

 それに昨日の事件の影響を受け、他の店々も軒並み酷い有様だった。

 食料や日用品を買い込む者で普段は閑散としている路地も人で溢れ、一瞬ばかりクリエス自身も騒然とした空気に飲み込まれそうになってしまった。

「買えなかったら、自分で狩るしかないか」

 日中は畑に出る人の活気で魔獣たちも積極的には近寄りはしないが、先日のように人気の少ない時間帯に、雑食性の魔獣が餌を求めて畑を荒らしに来ることもしばしばある。

 野犬アルボロフォの群れにまた遭遇する可能性も考えてしまえば気も塞ぐが、それ以外の魔獣ならある程度、狩るだけの力がクリエスにはあった。

 最終手段の一つとして考えておかないと、と自分に言い聞かせて混乱の賑わいを見せる人並みの中へと足を進めて行った。

 中央広場に近い店の殆どは品物はなく、運良く買い物を済ませた馴染みの客と店主が立ち話をしている程度だ。

 店の前を通り過ぎる度に聞こえるのは、直ぐには深刻な食糧不足に陥る心配が少ないと言うものと“爆発事故の原因が何か”という推測の話題が溢れていた。

「おーい、クウってばよ!」

 完全にクリエスの意識は店の状況へと向けられていて、突然後ろから肩を掴まれ、思わず「うわっ」と悲鳴を上げてしまった。

「アドル……心臓に悪い」

 振り返れば肩を掴んだ相手が友人と分かり、クリエスは早鐘を打つ心臓を宥めるように手を当てた。

「いや、そんなに驚くとは思わんかった。ごめんなー」

 あまり悪びれた風情の無いアドルに、クリエスは脱力するように息を吐き、ふと視線をその後ろに向ければ、遠慮なく笑ってるスヴェルムと微かに顔を逸らして笑いを堪えてるシュガの姿を捉えた。

「おはようございます」

「おう。おはようさん、これから買い物か?」

 後ろの二人へ向かい挨拶をすれば、スヴェルムは普段と変わらぬ笑みを向けてきた。

「はい。でもやっぱりどこも食料品関係は品薄みたいで」

「なら、北通りの方へ行ってみると良い。向こうはこちらより落ち着いていた」

 次はどの辺りへ向かうか悩むクリエスに、シュガが周囲を憚るように小さな声で教えてくれた。

「ああ、そうだな。俺たちも隊舎に戻るし、途中まで一緒に行くか?」

 身体を強張らせ、迷うように視線を逸らしたクリエスを、スヴェルムが行くぞと言うように軽く背中を押して、四人で混雑する路地を歩き始めた。

「そういや、シエルリーサは店、どうするって?」

 スヴェルムは後ろでそわそわとしているアドルに気付いていたが、彼は敢えてクリエスの隣に立って声を掛ける。

「ハーちゃんの診察が終わった後で開けるって言ってました」

「そうか。なら夜に行くって伝えといてもらえるか?」

 以前からシエルリーサ自身が仕事で忙しく、中々二人だけの時間が取れていないと知っているだけに、クリエスは大きく頷いてみせる。

「買い物終わったら、直ぐにお前さんも店の手伝いに入るのか?」

「ボクは買い物帰りに診療所へ立ち寄ろうと思ってます」

 一昨日から事件が立て続いてただけに、少し落ち着いた様子で答えるクリエスにスヴェルムは内心で安堵した。

「例の男の様子見に行くのか?」

 スヴェルムはそう言いながら、昨日町に戻ったときのことを思い出していた。

 早朝からの護衛の任務を終え、あとは帰るだけのはずが、遠目に見えたのは町から明らかに尋常ではない魔法と土煙が舞い上がった瞬間だった。

 その異変に彼らも慌てて駆け戻り、騒然とする町民らの避難と状況確認に少し手間取った。

 混乱する町中を掻き分け、最初に見えた中央広場の残骸と、その中を泣きながら必死に逃げて来た様子のシエルリーサを抱き留めた時の、心底安堵した記憶は新しい。

「はい。それに、きっと診療所から薬の依頼が上がって来ると思うので」

 きっぱりとしたクリエスの返事の声に、スヴェルムは、はっとしたように視線を彼に戻した。

「それで、スヴェルムさん……こんな時ですけど、採取に出てもいいですか?」

 先程の返事とは打って変わり、怒られるとでも思ったのか、彼から迷い犬のように上目遣いに見上げられてしまった。

「構わねえよ。それなら少し多めに採って隊の方にも回してくれると助かる」

「分かりましたっ。出来る事は一つずつ確かめてから、だもんね」

 ぱっと表情を明るくし、最後の言葉はきっと無意識のうちに零れたのだろう。

 その言葉がクリエスの中でどれだけ大きな支えになっているのか、普段から口癖のように言うあの娘ハーシェル自身が何処まで理解しているかは甚だ疑問だが、指摘するのは野暮だろうと口を閉ざした。

「なぁクウ……」

 二人の会話の途切れ目を狙ってか、後ろから気遣うようなアドルの声がクリエスの背中に掛けられた。

 この前から心配を掛け続けている相手はここにも居たなと、思い返しクリエスが視線を移した時、かつて町と憲兵隊舎を隔てていたはずの煉瓦壁も無残な姿が視界に飛び込み、ぎくりと身体を強張らせた。

 普段は外から見えない広い練兵場に、緊急用の天幕が幾つも張られているのが見え、日常が崩れ去ったと道行く人たちへと突き付けてるように見えてしまう。

 憲兵隊の彼らにとっても、普段の任務から戻ってきただけなはずなのに、町中には見た事も無い光景が広がり、気の合う同僚たちを亡くした事実が周囲を更に暗く見せていた。

 その事件の一端を――咄嗟の判断とは言え、自分が担ってしまったという後ろめたさに、クリエスは右手を気付かぬうちに、胸の中でぎゅっと握りしめる。

 後悔に足元が縫い付けられそうになったクリエスだったが、背中に添えられていたスヴェルムの大きな手で、そっと押されるように前に進まされる。

 そして足早にアドルが隣に並んで来たが、少し言葉を選ぶように空へ顔を上げてしまった。

 普段明るい調子を崩さないアドルに、こんな心配そうな顔をさせるほどかと思いながら、知らぬうちに詰まっていた不安の溜息をクリエスはそっと外へ吐き出した。

 そして、不意に響いた瓦礫の音に、クリエスは閃くように異形の持っていた謎の結晶体の事を思い出した。

 夕べ、スヴェルムらが聴取しに来た時、結晶体が落ちていなかったかとクリエスは問い掛けたが、彼らは見ていないと言っていた。

 他の誰かが拾ってしまったという可能性もあるが、魔力結晶体の加工は魔装具技師や加工士以外は出来ない。

 クリエスは、魔法暴走の影響を受け気絶する前の事を、右腕を抱えたままで必死に記憶を探る。

 微細な義手の中で、確かに丸い結晶体が崩れるのを感じたことから、あの結晶体は並大抵の技術者では手に負えず、憲兵隊の誰かが保管したのなら必ずシエルリーサの元に来るはずだ。

 けど、それよりも前――何をしたときに結晶体が崩壊する感覚を覚えたのか。

 この惨状を後押ししてしまった荒れ狂った自分の風魔法だ。それに反応するように結晶から溢れた魔力でヒビが入り、そして砕けた。

 その破片は暴風に巻き上げられ――森の方へと飛んで行った。

 もしかしたら、森に手掛かりがあるかも知れない。

 クリエスはそう気付いた瞬間顔を上げ、不意に目の前で止まったシュガの背中にぶつかりそうになった。

 何事があったのかとシュガの向ける視線の先、少し距離はあるが中央広場にあった詰所跡の前で瓦礫を片付けていた年若い憲兵に、年嵩の町人たちが大きな声で詰め寄っている姿が見えた。

「アドル行くぞ。スヴェン、お前は先に依頼品状況の確認をしてきてくれ」

「分かった。そっちは任せる」

 シュガの言葉に戸惑ったのはクリエスだけで、アドルは歩く速度を速めた先輩の背中を追いかけざまに、「あんま一人で思い詰めんなよ」と悩んだ末の言葉と共に手を振っていく。

 その姿にクリエスも、返事を考える余裕もなく頷き返すだけが精一杯だった。

 そしてスヴェルムは「任せろ」と言うように片腕を上げて仲間を見送り、北通りの方へと足を向けた。

「良かったんですか?」

「意外とシュガの方が上手く収めるもんだぜ」

 いつもならシュガではなくスヴェルムが収めに行くはずなのにと思ったが、師匠は特段心配する素振りも見せない。

 思わずクリエスは二人が向かった方へ顔を向けると、シュガは詰め寄っていた町の人へ向かい実直な礼を見せ、そのまま町人らの後についていくようだった。

「まあ、向こうはあいつに任せて良いんだよ」

 心配ないと言い置くスヴェルムと共にクリエスは北通りへ向かいながら、今し方思い出した結晶体の事も相談すると、師匠の表情が僅かに難しく歪められた。

「それが本当なら、早いうちに回収したいところだな」

「ハーちゃんが、目を覚ますきっかけにもなるかも知れません」

 スヴェルムは気がいているように早口になっていたクリエスを見下ろし、少しの間沈黙したまま路地を歩く。

 スヴェルム自身は魔法が使えないが知識は職務柄、最低限は持っている。

 もし、クリエスの記憶通りに町の一部を吹き飛ばすようなものが森に落ちているのなら、場所によっては今回被害を免れた畑にまで影響を及ぼすだろう。

 広い森の中で魔力結晶体を探すにはどうしても魔力感知という魔法が必要になる。

 それを広範囲で使える人物は、スヴェルムの思い浮かぶ魔法士達の中でもかなり人数が限られてしまい、同僚のシュガを除けば目の前のクリエスはその候補の中に入っている。

 だからこそ、憲兵隊の訓練にも引き込んだのだが……ロフォ系の魔獣にさえ遭遇しなければ、戦闘技能も安定していた。

 ちらりと横目に隣を歩く青年を見下ろせば、黒い眼差しには決意の籠った視線が返された。

 状況的にも砕けたという結晶体は放置は出来ない。自由に動けるのは彼しかいないとスヴェルムはそう決心するとクリエスの前で足を止めた。

「よし分かった。買い物は俺に任せてお前は行ってこい」

「本当ですかっ」

「ただし先に診療所に寄って依頼受けてこい。それと、無理は絶対にすんなよ」

「はいっ!」

 心配が残るというのがスヴェルムの本音だったが、クリエスはしっかりとした返事を残して走って行った。

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