マッチョシャツ!

月井 忠

一話完結

 秋である。

 なんだか微妙に暑さが残っていて、そんな気はしないが秋である。


 秋といえば筋トレの秋である。


 理由は簡単。

 暑くも寒くもないから筋トレがはかどるのだ。


 同様に春も筋トレの春である。


 では、冬や夏はと言うと……同じく筋トレの夏であり、筋トレの冬である。

 要は年がら年中筋トレの季節である。


 冬はちょっと寒いけど筋トレすれば暖かくなるので、まあいいかぐらいの感じと言える。


 夏は……正直キツイ。

 ただでさえ暑くて汗が出るのに、筋トレでさらに汗が出てビッショビショ。


 ならばなぜ筋トレの夏と言えるのか。

 そこには夏にしかない理由がある。


 暑いからこそ裸でいられるということだ。


 いや、これでは誤解を招いてしまうので説明が必要だろう。

 誰もが皆、風呂に入る前裸になる。


 その際、私は自らの裸体を鏡に映し、我が筋肉を際立たせるため、しばしポーズを取る。

 いわゆる筋肉との対話というやつだ。


 別に毎日というわけではない。

 気が向いた時だけだ。


 しかし、これをするのは暑い夏に限る。

 寒くなるとそんな気も起きないし、やったとしたら風邪を引いてしまう。


 至極当然ではあるが、これは重要なことだ。

 なのでもう一度言わせてもらおう。


 寒くなると筋トレははかどるものの、対話する機会も減る。

 夏は暑くて筋トレには向かないものの、筋肉たちとの対話が増える。


 そこで表題のマッチョシャツである。

 君はソレが何かといぶかるだろう。


 だが、しばし待ってほしい。

 先に断っておきたいのだ。


 マッチョシャツとは筋肉の画像がプリントされたシャツのことではない。

 断じて違う。


 別に私はそういった類いのシャツを否定するわけではない。

 君が筋肉プリントシャツを着ていても、一緒に笑う度量はあるつもりだ。


 しかし、私は決して筋肉プリントシャツを着ない。

 絶対にだ。


 すまない、少し感情的になってしまったようだ。

 頭を冷やすために、君が抱いたであろう疑問に答えておこう。


 私は以前うるさいぐらいにジムに行けと言ったことがある。

 ここで君は不思議に思うはずだ。


 空調が完備されたジムで季節を感じることはあるのか、と。


 告白しよう。

 私はジムに行ったことがない。


 筋トレ詐欺だ! と君は即座にいきり立つだろうか。

 だが、待ってほしい。


 私がさきほどしたように、私は君にも冷静さを求める。

 答えはいとも簡単なのだから。


 私は家でトレーニングをする派だ。

 ここでもう一つ告白をしておこうと思う。


 私は出不精だ。

 別の言い方をするならインドア派だ。


 可能なら一歩たりとも外に出たくない。

 そんな私がジムと契約したところで三日坊主になるのは明白だ。


 何もせずに年会費を払うという、ある意味お得意様になってしまう。

 だから私はベンチを買い、ダンベルを買い、狭い自宅に押し込んだ。


 実際筋トレにはこれだけで十分なのだ。


 家にダンベルがある生活を想像してみてほしい。

 おはようダンベル、ただいまプロテイン、おやすみ大胸筋、そんな生活だ。


 理想的だろう?


 おっとマッチョシャツだったね。

 しかし、ここまで待ったのだ。


 君には今少しマッチョシャツの謎を抱いたままウズウズしてほしい。

 私は焦らすのが好きなのだ。


 まずは経緯から話そう。

 告白というほどではないが、私はダサい。


 普段からファッションに気を使ってこなかったから壊滅的にダサい。

 ダサいから余計に服を選ぶ気も失せる。


 そんな不毛な無限ループを繰り返している。


 しかし、そんなダサい私でも、破れそうな服を着て街を歩くほどの勇気はない。

 そこで渋々いつもお世話になっているネットショップをクリックする。


 私はインドア派なので、服もネットで買うようにしている。

 簡単に多くの候補を比較できるのも便利だ。


 私は何気なくスクロールを繰り返し、安くて良さげな服をピックアップしていく。


 そこで私の目は釘付けとなった。

 普通ならスラッとしたモデル風の男がいるはずの場所にゴリマッチョがいたのだ!


 しかも着ているシャツはピッチピチで筋肉の形がくっきりと浮き出ている。


 マッチョシャツだ!

 私は知らず叫んでいた。


 そう、マッチョシャツとは私が勝手に呼んでいるだけで正式名称というわけではない。

 だがこのシャツを見たら誰もがマッチョシャツだ、と叫ぶだろう。


 私は自分でも意識しないままにこのシャツの画像をクリックし、長ったらしい説明を熟読していた。


 このシャツが普通のものと違うのは、その伸縮性にあるらしい。

 胸の部分と腕の部分はピッチピチになるように設計されているようだ。


 私は再度、画像を見た。


 ゴリマッチョやないか。

 ピッチピチやんけ。


 断っておくが私は関西出身ではないし、関西在住でもない。

 だが口からはそんな言葉が自然と漏れていたのだ。


 気づくとカートには色違いのマッチョシャツが二枚あり、注文確定ボタンを押していた。


 私は少しだけ冷静さを取り戻す。

 残念ながら私はゴリマッチョではないし、並マッチョでもない。


 ややマッチョだ。


 そんな自分にあのマッチョシャツは着こなせるだろうか。

 正直不安があった。


 しかし、その何倍もの期待感が私の大胸筋をパンプアップさせた。


 筋肉にぴっちり張り付くシャツの感触はどんなものか。

 着用した際のシルエットはどんなものか。


 商品が届くまで、大胸筋のパンプアップは続いた。


 いざ当日。


 配達員からひったくるように荷物を奪うと、ドアを勢いよく閉め、力任せに包を破く。

 そこには一見なんの変哲もない、色違いのシャツが二枚あった。


 期待で大胸筋が張り裂けそうになりながら、タグを外し、羽織る。


 ひんやり。


 第一印象はそれだった。

 さらさらの生地のせいか、冷たく感じたのだ。


 すっと袖を通す。

 ピタッ。


 ややマッチョの私でも腕に締め付けを感じるほどのタイトさ。

 だが、伸縮性のおかげで苦しくはない。


 前のボタンをかけながら鏡へと向かう。


 ピッチピチやんけ。


 私はややマッチョだ。

 しかし、シャツは胸にピッタリくっつき大胸筋の輪郭がはっきりとわかる。


 なんか、エロい。


 なぜかわからないが自らのシルエットに色気を感じた。

 夏場、風呂に入る時スッポンポンで鏡の前に立つのとは違う不思議な感覚だ。


 私は初めてドレスを着た少女のように、鏡の前で右へ左へ体をくるりと回す。


 ええやんけ。

 予想以上にええやんけ。


 一枚目のシャツを脱いで別の色の二枚目も着る。

 これも、ええやんけ。


 気づくと私はマッチョシャツの虜になっていた。

 いや、実際にはネットショップでゴリマッチョの画像を見たときすでに虜になっていたのだろう。


 何度も言うが、私はややマッチョだ。

 しかし、ゴリマッチョに憧れているわけではない。


 これは負け惜しみではない。

 できれば並マッチョぐらいにはなりたいが、ゴリマッチョはちょっと……なのだ。


 正直言うと、ネットショップで見たピッチピチでパッツパツのゴリマッチョシャツは正直やり過ぎにも見えた。

 それに比べて、鏡のややマッチョはどうだろう。


 ちょうどええやんけ。


 ゴリマッチョほどではないが、筋肉がないわけでもない。

 大胸筋と僧帽筋のシルエットがさり気ないのだ。


 つまり、ちょうどええ。


 もちろんこれは手前味噌だ。

 誰もが皆、自分の筋肉が愛おしい。


 いや、だからこそと言うべきか。

 こうして改めて自分の筋肉に愛を注ぐきっかけをくれたマッチョシャツに感謝を!


 私は無上の喜びを感じながら頭の中でエンドルフィンの滴る音を聞いていた。

 だが、なぜこうもエロいのだろう。


 正直自分の裸は大好きだ。

 いや、誤解を招かぬよう言葉を追加すると裸の筋肉が好きだ。


 しかし、ここに矛盾が生まれる。

 裸で街を歩くとお巡りさんに捕まってしまうということだ。


 私は大好きな裸の筋肉を服で隠し、外出しなければならない。


 もちろん、これを回避する方法はある。

 タンクトップと短パンで外出するのだ。


 こうすれば、全てではないものの自らの筋肉を見せつけることができる。

 だが、私はそれを好まない。


 私はそれを筋肉の誇示と考えるからだ。

 それが悪いとまでは言わないが、好かない。


 第一、私はややマッチョだ。

 誇示すべきものを持っていないということもある。


 それと単純に寒い。

 夏限定の服装なのだ。


 ゆえにタンクトップと短パンは却下である。


 別の選択肢としてコンプレッションウェアというものがある。

 加圧シャツと言った方が一般的だろうか。


 適度に圧をかけていろんな効果を出すという代物だ。

 ピッチピチ具合は正直ヤバい。


 そう、私はこれを買い、着たこともある。

 だがあくまでインナーという位置づけなので、そのまま外出というよりはこの上に一枚羽織る感じだ。


 そして地味に脱ぎにくいのがちょっと苦手でもある。


 そこへ行くと、このマッチョシャツはどうだろう。

 筋肉を誇示するほどの自己主張はないのに、大胸筋のエロさは感じる。


 要はさりげないのだ。

 わびさびと言ってもいい。


 さらには加圧シャツのように脱ぎにくいということもない。

 ボタンを外せば、普通のシャツなのだ。


 最高やないか。


 そこで私は、はたと気づく。

 筋肉こそが最高のオシャレなのではないかと。


 服の形状やら色やらは些末なことでしかない。

 服は所詮、肉体、いや筋肉にまとわせる布でしかない。


 ならば、マッチョシャツこそが至高の存在なのではないか。


 ああ、わかっている。

 君に指摘されずとも、これが暴論であるのは承知だ。


 こうした発言が本物のオシャレさんに見つかれば罵倒ではすまない。

 罰として5リットルのプロテインを飲まされることも覚悟しなければならないだろう。


 しかし、それでもダサい私が、ほんの少しでもダサいという感覚を捨てさせてくれる存在。


 それがマッチョシャツなのだ。


 こうして私は一通りの理論武装を終え、外出の機会を待つのだった。


 いざ当日。


 なんとも奇異なことではある。

 インドア派の私が外出を心待ちにするとは。


 靴を履く前に鏡を見る。

 やはりエロい。


 以前より少しだけ胸を、いや大胸筋を張って家のドアを開ける。


 私は筋肉の誇示を好まない。

 そのため、マッチョシャツを見せびらかすようなことはしない。


 だが、道すがら窓に反射する己の姿を見る機会は増えた。


 その度に私は大胸筋を見る。

 大胸筋も私を見る。


 私は大胸筋と目を合わせる。


 街中でポーズを取るという野暮なことはしない。

 筋肉を誇示し、一人足を止めて対話を始めるような恥知らずではない。


 あくまで密かに大胸筋と視線を交わすだけだ。

 それは知ったばかりの恋に身を焦がす恋人たちのような関係でもあった。


 この経験は改めてマッチョシャツの威力を再認識させた。


 たかが布切れ一枚にここまで大きく心を揺さぶられるとは。

 されどマッチョシャツなのである。


 先に言っておくが別に私はマッチョシャツの回し者ではない。

 証明できないので、強くは言わないが違う。


 これはあくまで私の経験だが、君にも起きるかもしれない出来事なのだ。

 故にこれはエールでもある。


 君がもし何かに悩み、うつむきながら歩いているなら、まずは筋トレをしてみてはどうだろう。

 鍛えられた大胸筋は、そんな君の背中を後押しし、胸を張って歩くことを迫るだろう。


 そして、もしマッチョシャツを着て街を歩いたなら、私と同じ感動を味わうことになるだろう。

 今まで灰色にくすんでいた街並みが一変するはずだ。


 街には数多のジムがあり、それらすべてが君に、いや君の筋肉に訴えかけてくる。

 街はまるで筋肉色に輝く、筋トレ天国だ。


 まだ決心がつかないなら、あえて問おう。

 君には誇れる身体的特徴はあるか?


 なくても落ち込む必要はない。

 そもそも私にだってそんなものはなかった。


 だが私のように冴えないおっさんですら、筋肉をつければ言われなくとも鏡の前でポージングを取ってしまう。


 筋肉とはそういうものなのだ。


 いつか君はマッチョになる。

 そして知らず、夏場の脱衣所ですっぽんぽんになって、鏡に映る自分にうっとりすることになる。


 だが、それは夏場だけの豪華な時間。

 蝉が儚い命を散らすように、その蜜月は終わりを告げる。


 足りない。

 これじゃ満足できない。


 君の筋肉は君の心に訴える。

 いつも心に筋肉を、そんな言葉が蘇る。


 そんな夢を叶えてくれる存在。

 それがマッチョシャツだ。


 重ねて言おう。

 私はマッチョシャツの回し者ではない。


 しかし、筋肉の回し者ではあるかもしれない。


 故に何度も言うのだ。

 私はインドア派だが言うのだ。


 ジムに行け。

 プロテインを忘れるな。

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