4話

藤咲と水希の間に数分の沈黙が流れたころ、藤咲は恥ずかしそうにその場を小走りで立ち去って行った。水希はその藤咲の行動を不思議に思ったが、初対面だったし仕方ないか、これから仲良くなっていこうと諦めることにした。


「夏目さんっ、水希さんに挨拶……できた!」藤咲はホットプレートの組み立てを終え、ホットプレートを温めたり油や調味料の準備を始めた夏目の傍らで、邪魔をしないように話しかけていた。「そうか。よくやったな。あ、そうだフーカが野菜切ってるから、こっちに切り終わったやつ、運んできてくれるか?」夏目は藤咲の頭をやさしく撫でると、藤咲に東野の手伝いを依頼した。藤咲は、夏目に褒められたことと、自分に仕事を与え得てくれたことその両方が嬉しくて、少し浮足立った様子で東野のいるキッチンの方に向かっていった。

「おーい、気をつけろよ。こけるんじゃねえぞ」浮足立っている藤咲の姿を見て、まるで父親のように心配している夏目。そのやり取りを遠目から見ている宮野は何やらスマートフォンに文字を打ち込んでいる。彼女はまるで探偵のような鋭い目つきをしており、注意深く何かを観察しているようだった。


「何こっち見てんだ」夏目は宮野がこちらを見ていることは視線から感じ取っていたようで、宮野の方を振り向かず他の人に聞こえないように訊いた。

宮野は初め、気付かれていないと高をくくって居たが、夏目の発言に自分が見ていたことがバレているということに気が付いて、その場で気まずそうにした。夏目はそんな宮野の方へ歩み寄ると、宮野の耳元で囁くように言った。

「嗅ぎまわるのはいいけど、君が思うようなことは何も出ないし、それで他の人の迷惑になるようなことをしたら、君にはここから出て行ってもらうから。よろしく。宮野さん」夏目が忠告するようにそう伝えると、宮野はあからさまに彼のことを無視してその場から立ち去り、ソファーの方へと向かった。


ソファーの方には先ほどとは異なり、水希ではなく藤咲が一人で座っていた。「あら、あなた。1人なんて珍しいのね。藤咲くん」宮野はそんな藤咲に声をかけると許可を得ずに彼の横に腰を落とした。彼は嫌そうな顔こそしなかったが、宮野から少し距離をとるように腰を引いた。

「あら、私のこと避けているの?私何かあなたに悪いことしちゃったかしら?」宮野は不気味な笑みをその顔に浮かべて、あからさまに自らを避けているような態度をとっている宮野に再度声をかけた。宮野は自分が藤咲の周りについてまるでストーカーのように嗅ぎまわっていて、それが相手にとって印象が全くよくないことぐらい分かっていた。

「…さっき夏目さんとなに話してたの?」藤咲は宮野の言葉を聞き、宮野となるべく目を合わせないようにして聞き返した。藤咲の口から飛び出してきた意外な発言に宮野は少し動揺したようで目が泳いでいた。

「……なんでもないわ」宮野は非常に冷静なフリをしていたが、あの姿を見られていただけでなく、会話の内容も聞かれていたんじゃないかと考え、もし知られていたらどうしようと脳内では焦っていた。

また踏み込んだ質問が飛んでくるのではないか、そう考えた宮野はこの場からなるべく早く立ち去るべく、何も言わずにソファーから立ち去って行ってしまった。


ソファーのある広いリビングにひとりぼっちになった。「……みんな隠し事ばっかり。まぁ……僕もだけど」藤崎はぽつりとそう呟くと、自分のガーゼを当て、包帯の巻かれた手首を服の上から優しく撫でて、目を細めた。

東野が丁寧に手当してくれたお陰で、服の上からでは目立たないし、もう痛まない。血も滲んでいない。夏目が手当した時みたいに手首が動かしにくいということもない。東野は本当に手先が器用だ。彼のことを考えていたその時だった。


東野、彼は何者なのだろうか。


ふと藤咲の頭に過った。何故だろう。東野の過去を知りたい。ただ本能的にそう思った。人の過去なんて勝手に詮索してはいけない。自分だって詮索されたら嫌に決まって居る。何しろ自分だって華々しい人生を歩んできたという訳では無いのだから。

それに彼をもっと深く知ったところで、何が変わる訳でも無い。心を開くわけでも無ければ、彼を好く訳でもない。軽蔑はするかもしれないけど、どう転んでも同居人であるという肩書きは変わるはず無い。今の自分には要らないはずの欲求なのに。

分かってるのに、何となく気になった。そういえば昼間も自分は彼に何か尋ねたかもしれない。いや、正しくは僕自身では無いけど僕以外の“誰か”が。きっと尋ねたに違いない。

心の奥深くでこんなにも気になって仕方がないのだ。彼が何者で、ここに来るまでにどのような人生を辿ってきたのか。知りたくて仕方ないのだ。発作的に、脳内が『知りたい』で埋め尽くされる気がする。脳内が占拠されていく……。


「藤咲ー飯だぞ飯」遠くから藤咲を呼ぶ声が聞こえた。響くようで響かない少し低い声。夏目の声だ。どうやら準備が終わったらしい。藤咲は先程までの思考をどこか遠くに全て吹き飛ばす様に首を左右にブンブンと振った。そして1度深く深呼吸した。

そういえばほとんど手伝いしてないな、なんて思いながら藤咲はソファーから重い腰を上げ、声のあったダイニングの方へと向かった。

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白薔薇と彼と僕と俺 月ヶ瀬 千紗 @amamiya_rain

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