3話
夕方。
ダイニングのテーブルに置いてあるデジタル時計には「8月20日 17:00」と表示されていた。夏真っ最中の外は天気が晴れであるのも相まってまだ明るかった。
「ただいま」玄関から大荷物を持って現れたのは夏目と東野。二人は今日の夕飯のパーティーの買い出しに行っていたのだった。主に野菜や肉を買ってきたため非常に大荷物となっていた。
「おかえりなさいっ」と、とたとたと二人に駆け寄るのは藤咲。そしてその騒ぎを聞いて宮野と水希も下に降りてきた。藤咲は先ほどとは異なり、きちんと襟のついたシャツを着て整った身なりをしていた。先ほどの血液の付着したパジャマとは大違いだった。
「はいはい、主役は座ってなさい。ほら、他のみんなは夕飯の支度、始めるわよ??」東野は人を取りまとめるのが苦手な夏目に代わって、住人たちに声をかけ協力を仰いだ。夏目の抱えている重そうな袋を藤咲が受け取りダイニングに持っていき、夏目がホットプレートを引っ張り出そうとしているのを、宮野が手伝った。
東野は自分の袋に入っていた肉たちをいったん冷蔵庫のチルド室へ入れると、買ってきた野菜をダイニングのカウンターに乗せた。それらの野菜はこれから手分けして下ごしらえする予定である。
ソファーに座った水希は、本当に何もしなくていいのかという気持ちになりながらも、今度夕飯をふるまったりすればよいかと今日は素直に歓迎されることにした。水希は特段料理が得意という訳ではなかったが、普通にインターネットで作り方さえ見ることができれば普通に調理することができる。水希の母親はあまり料理が得意ではなかった方なので、水希は実家にいたころも定期的に料理していたからだろう。
水希のスマホの通知が鳴った。無料チャットサービスの通知で母からのようだった。『そっちはどう?いい人たちだった?』水希の身を案じるようなメッセージだった。水希の母は非常に心配症で、水希が何かする度にいつも心配のメールをしてくる。それこそ大学の受験当日も、入学式当日も途中まで同伴したにもかかわらず心配のメールを定期的に送信してきたほどだった。それこそ、受験の日には各教科のテストが終わるたびに連絡するほどの頻度で連絡をしてきていた。
そんな母へのチャットの返信を打っていると横に人の気配を感じた。
「あなたが水希さん」尋ねる様にではなく、まるで水希であることに対して確信があるような言い方をした。その声の主は宮野だった。
「そうです。新入りの水希です。あなたは?」水希は急に自分の隣に座ってきた見知らぬ女性に対して、返信する指を止め相手の方に向き直り、名前を尋ねた。
「私な宮野。ここの家主と反対側の端の部屋の。始めまして。これからよろしく」表情が乏しく半分棒読みの宮野は、握手を求めることもせずに水希の顔をじっと見つめていた。
「私の顔になにかついてます?」そんな宮野に不思議に思った水希は自分の顔になにか付いているんじゃないかと考え、宮野に尋ねたが、宮野はまるで聞こえていないかのように無言であった。
しばらくして宮野が口を開いた。「ああ、ごめん。なんでもない」宮野のその言葉に水希は不思議に思って首を傾げた。水希は頭の上にはてなマークを浮かべるような表情で、首を少し傾げていた。
「私、向こう手伝ってくるね。それじゃ」そのまま宮野は不思議そうな顔をした水希を置いて立ち上がり、ダイニングの方に向かっていった。
ダイニングでは東野が野菜の下処理をしているところだった。宮野は彼の手伝いを今からするのだろう。何しろ大人複数人分の結構な量のある野菜だ。
水希が母への返信を打ち終わった頃、部屋の入口のドア辺りから水希の方をちらっと覗いている影がいた。水希はそれに気がついて、自分の隣に座るように手招きをした。
そこにいた影はトタトタと音を立てて、水希の座っているソファーの方へ向かってきた。襟の付いた服を着ている青年だった。恐らく同年代だろう。手首も身体も全体的に細く、肌が少し青白い。
「座っていいですか?」青年はそう尋ねると、水希の顔をじっと見た。水希その青年の澄んだ瞳に少し圧倒されながらもこくりと頷き、彼が自分の隣に座ることを許した。
「ありがとうございます、あ、僕藤咲って言うんです。藤咲。お姉さんは新しく来たって夏目さんが言ってた方ですか?」座った途端凄まじい勢いで水希に話しかける藤咲。水希は少し困惑しながらも「あ、そうです。隣の部屋の水希と申します」と自らも名乗り、藤咲がこの後どのように出てくるのか伺う様子だった。
「東野さんも夏目さんも、優しくてみんないい人なので、僕も……僕も仲良くしてくれたら嬉しいっていうか……」藤咲は勢いで話し始めたようで、次第に支離滅裂になっていき
、恥ずかしそうに下を向いてしまった。水希はそんな藤咲の様子をみて、「よろしくね。藤咲くん」と挨拶をした。
その挨拶の声を聞いて藤崎の顔がぱあっと明るくなり、水希の顔を見てうんうんと頷いた。この瞬間だけ何となく、水希には先程まで同年代の男性に見えていた藤咲が少し年下のあどけない少年に見えた気もした。
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