2話
「ちょっと。どこ行くつもりよ。あの子夏目じゃないと……」「……ずっとあいつの傍に居てやれるわけじゃないんだ。お前だってわかってるだろ??」東野に藤咲のことを任せてその場を立ち去ろうとする夏目の手首を掴み、引き留めようとした東野の言葉に食い気味に夏目は言い返すと、そのまま掴む手を振り払って自室を出て行ってしまった。
東野だって分かっていた。彼ら二人が高校の同級生とはいえ、もう二人とも21歳。いつかはここを離れていく時が来るかもしれない。お互いに家族ができて、夏目が藤咲の面倒を見てやれなくなる日が来るかもしれない。そんなのは頭の中では理解していた。理解しているつもりだった。
夏目の苦悩を、藤咲のやり場のない感情を二人の関係性を、一番近くで見守ってきたのが自分自身で、二人の関係性の変化だって受け入れなきゃいけないことぐらいわかっていたのだ。
東野はやり場のない気持ちを胸に、2階の物置にある救急セットを片手に、藤咲の部屋に向かった。
震える手で弱弱しいノックをして、声をかける。やはり返事はない。夏目がノックしたっていつもそうだ。藤咲、彼は返事をしない。
「失礼します」と形式上つぶやくように口に出し、ドアを開ける。さっき夏目が津で汚れた方の手で触ったのかドアノブには少し血痕が付いていた。いつも通り鍵は開いたままだ。
窓からは一筋の光すら取り入れられず、かすかに漏れる光が部屋の中をぼんやりと明るくしていた。踏み場のない床。ほんのり香る鉄のような、いや乾いた血の匂い。そして一か所山のように盛り上がっている布団。藤咲はきっとこの布団の下にいる。
布団の横にしゃがみこみ、布団の様子を注意深く観察した。どう見ても彼は東野を警戒しているようだった。
「藤咲くん、夏目の代わりに来たけど……傷……見せて?」東野の言葉に布団の塊は動く様子がなかった。東野は困ってスマートフォンを取り出した。夏目に自分じゃやっぱり無理だと連絡しようと思ったのだ。
「……まって」東野がスマートフォンに文字を打とうとすると、布団の中からにゅうっと腕が生えてきて東野の手首を弱弱しく掴んだ。「夏目さんに連絡しないで……」彼の声は震えていた。彼は慌ててスマートフォンの画面を消し、ポケットにしまった。
「じゃあ、あなたの傷を見せて。藤咲くん」交換条件で半ば強制的に見せさせるようであまりいい気はしなかったが、彼を治療するにはこれしかなかったのだと東野は自分の心の中に言い聞かせた。
「見えないでしょ。こんなに暗かったら」藤咲はそう言うと掴んでいた手を離して起き上がると、すぐ横の窓のカーテンを思いっきり開けた。夏の日差しが一気に部屋に降り注ぐ。眩しくて東野は目をぱちぱちさせた。
目が慣れてきてしっかりと目を開けると目の前には腕から血を流した青白い肌の青年がいた。彼は東野の目には自分より一回りも二回りも小さく見えた。それもそうだ。藤咲の体重は現在43キロ程度、身長は167センチ。小さく見えるに決まっている。それこそご飯時も2日に1回下に降りてくればいい方だった。ほとんど食べていないのだろう。
そんな彼の細い腕に手当てを器用に施していく東野。その光景を見た藤咲が思わず「上手だね。夏目よりも」と彼を誉めたほどだった。ほとんど出血は止まっていたので、薬を塗ってガーゼを当て、包帯を巻き、留めるだけの簡単な手当てで2,3分で終了した。
「東野……だっけ?どこかで習ったの?これ」手当を終え、自分の腕に綺麗に巻かれた包帯を指さして東野に問いかけた。東野は最初ぼうっとしていたのか何も答えなかった。藤咲は彼の口から回答が聞きたくて、彼の目の前で手をフリフリした。
「あっ…ああ。いや?特に??」東野は少し物悲しそうなトーンで藤咲の質問に答えた。藤咲はそれに気が付いていないようで「じゃあ天才じゃん。今度夏目にも教えてやってよ」と言った。「ふふ、そうね」そう答えると救急箱を片付け終わった東野は立ち上がった。
「じゃあ、あんたちゃんと夜下来るのよ」東野は藤咲にちゃんとパーティーに参加するようにと念押しをした。なんとなくカーテンを開けて姿を見せてくれたように、念押しすれば来てくれる気がしたのだ。
「仕方ないなあ」藤咲はいたずらっ子のような口調でそう返答すると、部屋を出ていく東野を見送った。藤咲の部屋のカーテンは開いており、部屋の中は珍しく光で満たされていた。彼の白い肌に光が反射し、彼の体は遠目から見れば輝いているようだった。
救急箱を片手に東野が部屋を出ると、廊下に宮野がいた。宮野はパシャリとスマートフォンのカメラで東野の姿を撮影して口元に不気味な笑みを浮かべていた。
「何の用?」東野は警戒した様子で宮野に問いかけた。「なんで他人の部屋から出てきたんすかねぇ?あーもしかして管理人と副管理人さん二人が藤咲くんのこと監禁してるとか???」終始クスクスと笑いながら藤咲との関係性について言及してきた。
誤解を解こうと思った東野は「藤咲くんが怪我をしたからその手当をお手伝いしてきただけだよ」と冷静に答えて、じゃあ仕事があるから。とそのまま救急箱をもとの位置に戻してその場を立ち去った。
その東野の後姿を見て宮野はつまらなさそうな顔をして自室に戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます