【実話怪談】黒い男

まちかり

・黒い男

 これは山の先輩から聞いたお話です。


 先輩は登山もやっていて、若いころは色々な山に度々登っていました。


 その日はお友達と一緒に甲斐駒ヶ岳へ行ったそうです。


 私はよく知りませんが、途中から鎖を使って登らなければならないような場所もあり、けっこうな難所だそうです。必ず山小屋に一泊しないと行程をクリア出来ない、本格的な山です。


 あいにくとその日は朝からそぼ降る雨が止まず、辛い行程になってしまいました。先輩は雨具を着込み、雨の中ぬかるんだ山道を一歩一歩踏みしめ登って行ったそうです。


 登山道はつづら折りになっており、振り返ると登ってきた行程が見えます。同行の友人が登ってくる姿も見えました。その後ろに真っ黒な人が登ってくるのが見えたのです。


『真っ黒?……』


 先輩が不思議に思うのも無理はありません。山というのは何かあった時に目立つよう、明るい色の格好をするものです。迷彩やダークカラーの服を着て山登りする人は、殆どいません。


「変な人がいるなぁ」


 先輩は顔を曇らせます。とは言ってもまだまだ先は長いので、再び歩き始めます。


 しばらく歩いてふと気に見下ろすと、あの真っ黒な男性がつかず離れずついて来ているのです。


 不思議なのはその様相です。初めは黒い服を着ているだけだと思ったのですが、肌まで黒く見えるのです。何かを塗っているような様子はありません。どちらかと云うと全身を黒い霧が覆っている……そんな感じに見えます。


「気持ち悪いなぁ」


 そう思った先輩は一休みするかのように装い、その場に腰を降ろしました。


 しばらくして、同行の友人が到着します。


「なに? 疲れた?」


 先輩は「しっ」とだけ言って黙りました。


 そこへ例の真っ黒な人が通ります。


 何から何まで真っ黒です。やはり服が黒いのではなく、体中を黒い霧のような物が覆っているのです。服の模様どころか、表情すらわかりません。先輩は顔をそむけてまともに見ずに、目を合わさずチラチラと見るだけにしていたそうです。


 黒い人は先輩の前を通り過ぎて、行ってしまいました。


「ど、どうかしたの? 何かあった?」


 驚いて尋ねる友人に対して、先輩は


「い、今の奴見なかったか? 真っ黒だったぞ! どんな顔か見たか?」


 そういわれた友人はキョトンとした顔で言うのです。


「それ誰の事?」というではありませんか!


「いや今、通り過ぎた奴だよ!」

「いや、誰もいないだろ?」


 先輩は衝撃を受けて、声も出せません。あんな異質な存在がそばを通ったことにも気が付かなかったというのですから。


「取り敢えず先を急ごう」


 先輩と友人じは山小屋へ向かいます。何とか暗くなる前には、山小屋へ到着する事が出来ました。山小屋は結構な繁盛ぶりでしたが、やはりあの黒い人物はいません。


「まさかそのまま、登頂したのか?」と思いましたが、さすがにそれは誰にもわかりません。


 いまでも先輩からこの話は聞きますが、そのたびにあの黒い救急車を思い出し、世の中には見てはいけないものが有るのだと、実感するのです……。

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