(2)怪奇作家志望
悧月は口をへの字に曲げる。
「憑き病になると髪が白くなる、なんて聞いたことない。なのに、疑われて捕まるのは嫌だよね。でも、君の髪は何で白いんだろう?」
「知らない」
花墨はそっけない。
「お、おう。とにかく、私娼の子守の仕事なら、ここで隠れられるわけだ」
「うん。私、一度は吉原に売られて、それから髪が変だって追い出されたんだけど、同じころに別のねえさんが身ごもって追い出されて。そのねえさんが、十二階下の知り合いの店に行くっていうからついてきた」
店、というのは十二階下にぎっしりと立ち並ぶ銘酒屋や楊弓場(射的場)などのことだ。私娼たちはそんな店の奥で、密かに客を取っているのである。
「そういう成り行きで、他のねえさんたちの子どもたちの面倒も見たり、雑用したりすることになった。ここは、ねえさんたちがお金を出し合って借りてる家」
「なるほど。一応安全は確保できた、ってことか……。ちゃんとした家だ。家賃、結構するんじゃ?」
悧月が手で室内を示すと、花墨はさらりと答えた。
「ううん。二階で心中があったばっかで、しばらく売れないから、家賃も安いんだって」
「えっ」
悧月は思わず、天井を見上げた。木目や染みが、とたんに意味ありげに見えてくる。
「……何してるの?」
玉結びを作り、歯で糸を切った花墨が、悧月を見た。
悧月は両手を合わせ、目を閉じていたのだ。彼はすぐに「ああ」と顔を上げる。
「いや、心中した人の冥福を祈ってた」
「ふうん」
花墨は軽く目を見張り、悧月をまじまじと見つめていたが、やがて言った。
「そういえば、お兄さんは楽しめたの? まだなら、ねえさん紹介するけど」
「真顔ですごいこと言うね。いや、そのつもりで来たんじゃあない。ちょっと調べたいことがあって」
「へー」
花墨は明らかに、信じていない表情だ。
悧月はムキになる。
「本当だって。さっき君が言ってた『迷わせ女』みたいなやつさ。僕は、怪異について調べてるんだ」
サッ、と花墨は表情を硬くする。
「お兄さん、憑捜の関係者?」
「違う違う! ただの、高等学校に通う学生だ」
悧月は両手を開いてみせた。
「もし僕が関係者なら、それこそ君みたいに特異な外見の子なんか、見た時点で憑捜に知らせてる。さっきも見かけたよ、十二階下を見回ってる青服」
憑捜は青い詰襟の制服を着ているため、青服とも呼ばれる。
「……じゃあ、何で怪異を調べてるの?」
「いやー、実は僕、怪奇小説家を目指しててね」
へへ、と、悧月は頬をかきながらも、早口で熱弁を振るい始めた。
「それで、怪異の噂のある十二階下に取材に来てみたってわけさ。そうしたらしばらくうろついているうちに、同じ路地をぐるぐる回ってることに気づいて。『迷わせ女』って呼ばれてるんだなぁ、客を引き留めたい女たちの情念の固まりみたいな怪異だな。でさ、浅草十二階にちなんでこういう話を十二集めて『浅草十二
花墨は、ため息をつく。
「高等遊民って、変なこと考えるね。お兄さん、身なりがいいし、お金持ちのお坊ちゃまでしょ」
「ところが、実家を追い出されて親戚の家に居候の身なんだな、これが」
頭を掻く悧月を、花墨は横目で眺めた。
「……とにかく、怪異の多いところには憑き病の患者も多いっていうよ。まあ『迷わせ女』は十二階下から出さえすればついてこないけど……怪異に怯えて混乱して、憑き病にかかったって勘違いされた人もいるし」
どうやら危ないと警告してくれているようだが、悧白はつい前のめりに質問する。
「そういえば、さっき背中を叩いてくれたよね。あれで何だか、身体が軽くなったんだ。花墨ちゃん、
「おんみょうじ?」
首を傾げた花墨に、悧月は説明した。
「江戸の世までは、そういう職業の人がいたんだよ。憑捜と決定的に違うのは、『解呪』できるところさ。普段は偉い人のために占いをしたり、暦を作ったりしてるんだけど、裏では魑魅魍魎を退治したり、呪詛されたお姫様を神通力で救ったり!」
大げさな身振りで、悧月は人差し指と中指を揃え、縦横に宙を切ってみせた。
「ま、世間が文明開化の光で明るく照らされて、暦も変わって、陰陽寮は廃止になったんだけどね」
ちょっと呆れた花墨は、ただ、
「よくないものは、背後から近づく。『迷わせ女』くらいなら陰陽師じゃあなくたって、誰かに背中を叩いてもらえば手を離すよ」
と言いながら裁縫道具を片づけた。
「そうなんだ。あーあ、『迷わせ女』程度の怪異も、僕は自分じゃ追い払えなかったってことか。……?」
独り言を不意に途切れさせ、悧月がパッと振り向いた。
「お兄さん?」
「あ、いや」
悧月は再び、部屋の中を見回す。
「今、女の子の笑い声が聞こえなかった? 花墨ちゃん……じゃないし」
花墨は、笑みの欠片も浮かんでいない無表情で、そっけなく言う。
「空耳じゃない? 心中の話、そんなに怖かった? 私、寝るから。明るくなったらさっさと出てって」
「ハイ」
花墨は子どもたちの寝ている布団の方へ行き、悧月はもう一度視線を走らせながら、壁にもたれた。
(本当に聞こえた気がしたんだけどな。……まあいい、僕もちょっと休ませてもらおう)
座ったまま目を閉じ、大きく息をつく。
やがて眠気が訪れ、うとうとしていると、奥の布団の方からささやき声が聞こえた。
『かすみ。こうとうがっこう、とはなんじゃ?』
「しーっ。明日、説明してあげるから」
(誰か起きてたんだ。ずいぶん、古風なしゃべりかたをする子がいるんだな)
そんなことを思いながら、悧月は眠りに落ちた。
それ以来、悧月は時々、花墨のいる家を訪れるようになった。
「君のそばにいれば、他の怪異が見られるかもしれないしね」
と言いつつ、あんぱんやカステーラを持ってきたり、子どもたちに絵本を読んでやったりする。彼としては一応、助けてくれた花墨へのお礼のつもりだ。
最初はうっとおしがっていた花墨も、子どもたちが喜ぶので何も言わなくなった。さらに、悧月が花墨の年頃に合った雑誌や本を持ってくると、無表情なりに目を輝かせた。
吉原に売り飛ばされるような、教育もまともに受けられない貧しい境遇だったのかと思いきや、花墨は基本的な読み書きができるし礼儀も身についていた。
「小学校に、四年生までは通っていたの。本当は中学校や高等女学校も行きたかったけど」
そんなことを言いながら、本を繰り返し読み、子どもたちには文字を教えている。
花墨がどんな家の娘だったのか気にはなったものの、「みなしご」だと言う本人に生い立ちを聞くことは、悧月にはできなかった。
ある日、彼は自分が使った教科書をどっさり持ってきた。
「中学校からの分しかないけど、これ、あげるよ」
「いいの? あの……ありがとう」
花墨は頬を上気させながら、きちんと礼を言った。
そして、それらを片っ端から読み込んだ。わからないところは素直に悧月に聞き、理解し、どんどん難しい本が読めるようになっていく。
「泉鏡花先生のお話、すごく素敵。お兄さんも、こういうのを書けるようになりなよ」
「お、おう……」
いくら白い髪を見られるのを気にしているといっても、少しは外に出た方がいいのではないかと、悧月は提案したことがある。しかし、彼女は首を横に振った。
「なんか、憑捜の新人局員で、やたら張り切ってる人がいて。上役の人にはシュウジロウって呼ばれてたかな。見つかると面倒なことになりそうだから、気をつけてるの」
悧月も何度か、十二階下で憑捜の青い制服とすれ違ったことがあるので、思い出しながら聞いてみる。
「新人ってことは若い奴か……背が高くて、ぶっとい眉が目立つ奴?」
「そう! その人」
憑捜の警戒が強まるのは、どちらかといえば夜なのだが、髪を見られないためには夜の闇に紛れた方が都合がいい。花墨は抜け道を駆使して、買い物や『ねえさん』たちのお使いなどをこなしていた。
「何かあったら言って。僕が手伝うからね」
悧月は、いかにも身を持ち崩したボンボンが私娼窟に遊びにきている、といった堂々とした素振りで、花墨たちの家に通うのだった。
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