金曜日 嘘は言っていないのに嘘を言っている感覚

 金曜日、放課後。働く人も、学業に励む人も、その大半が週末を背後に控え、わくわくとした気持ちを持つだろう。


 その浮ついた感情に一足早く支配された学生はたちは学校を飛び出し、思い思いに歩き、自転車を走らせ、電車に乗る。


 ある者は家に飛ぶように帰ってスマホを開く。またある者は友達と共にショッピングモールへ。またある者は部活に精を出すであろう。


 しかし、また違った選択をする者もいるわけで。


「いらっしゃいませぇ~」

 葉波町子もその一人、である。


 眼鏡の下にやる気の無さげな瞳を隠し、社員に度々指導される間延びした声でお客を出迎える。


 町子、絶賛バイト中だ。


「……はぁ」

 チラッとレジ横に備え付けられたPCの右下、小さく表示された時刻を確認してため息をつく。


 まだ、一時間もたっていない。


 これでは1000円だって稼げてはいない。自分の感覚では既にもう数時間はたっているはずだったのに。

 

 バイトに来るたびにしているその不毛な思考のルート。不毛であることは分かっているのに、どうしても考えてしまう。


 だって、そんな考えもほんの少しだけなら暇つぶしになるからだ。


「お願いします」


「――っ、いらっしゃいませ! お預かりいたしますね~」

 レジにやってきたお客の声で暇つぶしのループから抜け出した町子。先ほどの気が抜けていた挨拶ではなく、しっかりと愛想のいい挨拶で商品を受け取る。


 目の前にお客がいる場合は態度を変える。実に良いバイトとは言えない町子である。


「ポイントカードはお持ちでしょうか? はい、ありがとうございます」

 町子はいつも通りの定型文を口から垂れ流しながら、カウンターに積まれた本のバーコードを読み取っていく。


 そう、町子のバイト先は本屋だ。どうせなら好きなものに近いバイトをしたい、そんな思いで働き先を決めた。


 しかし、バイト中に本を読めるわけではない。やることは他の店とは大して変わらず、大半がレジ打ちである。


 早々とやる気は失せ、淡々と仕事をこなし、時給を受け取るだけのマシーンになった。


「では、そちらのQRコードを読み込んでいただきまして――はい、ありがとうございます」

 QRコード決済は店員側もやることが少なくて良いわぁ、と思いつつ、粛々とPOS端末の操作を行った町子は印刷されたレシートを取る。


「こちらお品物と、レシートです。ありがとうございました~」

 声は少し高く、マスクに隠れて相手には見えない口元もしっかりと上げて、お客を送り出す。


 お客が背を向けて町子の元から離れ、確実に離れたと確信したのち、町子は表情を無に戻した。


「ありがとう、って一回の接客で言いすぎなんですよ、まったく。枕詞じゃないんですから」 

 思わずそんなぼやきが漏れ出る町子。しかし、本棚の陰にはお客がいるかもしれない。すぐに口を閉じ、静かな面持ちで立つ。


 町子の担当は新書やビジネス本が集まっているエリアのレジ。放課後の時間帯でも学生は少なく、町子が上がるころは社会人で溢れていることも多い。


 そして、いついかなる時間帯もいるのが、おじいさんおばあさんの年代である。


「ちょっといいか」

  

「はい、いかがなさいましたか?」

 町子のいるレジにしわがれた声のおじいさんがやってきた。町子はバイト用の笑みを張り付けて対応する。


「本がどこにあるか分からん。探してほしい」


「かしこまりました。タイトルをうかがってもいいですか?」

 町子は慣れた様子で答えると、隣のPCのキーボードに手を添える。


 本屋ではよくある問い合わせの一つ。どこに本があるのか、だ。店の大きさにもよるが、ショッピングモールに入っている本屋だと在庫は大体数十万冊~となる。


 もちろんジャンル別に分けて陳列されてはいるが、それでも慣れない人であれば見逃がしなどで目当ての本を探せないことは多々ある。


 そして、案外店員に聞いてしまえば一発、すぐに見つかることは多い。


 町子はバイトを始め、先輩を見ていてそのことに気が付いた。


「『これからの日本経済』、みたいなタイトルのやつだ」

 これもあるある。聞きにきた本人の記憶が曖昧、だ。


 ネットで検索してしまえば何となくでヒットするので、大した問題ではないのだが、たまにほとんど同じようなタイトルの本が来ると少し困る。 


「『これからの日本経済』ですね、かしこまり……」

 町子は明るい声でタイトルを復唱して在庫検索用のシステムを立ち上げるも、考える様に少し固まる。


「お客様、もしかして、〇田▽助さんが書いたものでしょうか?」

 少し困ったように町子が問うと、おじいさんの眉が上がる。


「そうそう。それだ。なに、あるの?」

 急に詰める様に言うおじいさんに対し、町子は困ったように眉を下げた。


「申し訳ありません。ただいまそちらの書籍は在庫を切らして――」


「え、ないの?」

 町子の言葉を遮るようにおじいさんは問う。はるか年上の人のレスポンスが早いと少し怖い、町子はそんなことを思いつつ「申し訳ありません」と頭を下げた。


「注文は、出来るの?」

 

 おじいさんの質問に町子は「この人、良く来る人なんだろうな」と思いつつ、問屋さんのページを開く。


 そう、本屋では在庫の無い商品は注文が出来る。そして意外にも結構早く届く。しかし、多くの人は本屋に目当ての本がないと諦めがちだ。


 そして他の本屋やネットを覗く。案外、よく行く近所の本屋で注文してしまった方が楽だし早いことも多いのだ。


 しかし、今回はそれもできないらしい。


 町子は問屋のページから目を離しておじいさんを見た。


「申し訳ありません。こちら注文も難しいものになってまして、他の書店さんで見つけた方が早いかもしれません……」


 町子の言葉におじいさんが小さく唸る。


「えぇ……わしここしか来ないんだけど」


「申し訳ないです……」

 町子は不機嫌そうなおじいさんを前に、「お前の行きつけなんて知らないよ」と思いつつ謝罪の言葉を口にする。


「――あ、それは? わしの探してた本だろ」

 ふと、おじいさんは何かに気が付いたのか町子の背後を指さした。


「あぁ……っと」

 反対に町子は気まずそうな表情を隠せない。


「こちらは取り置き棚になってまして、他のお客様が購入する予定の本なんです」

 町子はそう説明すると、「なのでこちらはお渡しできません」と付け加えた。


 取り置き棚。店頭で事前に予約された本や、電話で在庫問い合わせののちに取り置きされた本などを置く棚のこと。


 町子がバイトしている本屋ではレジの裏に設置されており、お会計をするお客には見える位置であった。


 そこに、おじいさんが探していた『これからの日本経済』が置かれていたわけである。


 おじいさんは取り置き棚のそれが偶然、目に入ってしまったらしい。


「買えないの?」


「はい……こちらは、申し訳ないです」


「本当に?」

 再度念押しするように確認してくるおじいさん。しかし、町子の対応は変わらない。もちろん、変われない。


 だって他のお客が買うことになっているから。


「取り置きできるなんて知らないんだけど」

 若干、不機嫌そうに言うおじいさん。


「申し訳ないです。今後はぜひ、ご利用して頂ければ……」

 町子は申し訳なさそうな雰囲気を作って、そう答えるしかない。


「……はぁ。じゃ、いいや」

 おじいさんはぶっきらぼうに言うと、人差し指でカウンターをコンコンと叩いてから町子に背を向ける。


「申し訳ございません。またのお越しをお待ちしております」

 町子は「なんだその指コンコンはっ」と思いつつ、その背中に定型文で声をかけると、頭を下げた。


「……」

 そして再び粛々とした面持ちで立ち、おじいさんが確実に遠くに行くのを待つ。


 おじいさんが居なくなってから数分。他のお客も来ない。町子はおもむろに取り置き棚から件の本を取り出し、表紙をめくる。


 そこには取り置きしたお客の名前や電話番号が記されたメモが挟まれており、それは受け取りにきたお客と照会して本人確認をするために使われている。


「お客……お客といえばお客? ですよね」


 メモには簡潔に一文、


 バイト、葉波町子。 と記されていた。

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