木曜日 お昼休みという教師不可侵領域

「今日やったとこ、しっかり復習しておけ~。じゃあ、昼休み、めひ食ってぇ午後に備えへおなぁ~」

 授業の終わりを告げる鐘がなると、藤波先生はパンッと音を立てて教科書を閉じる。


 そして懐からカロリーメイトを取り出して豪快に咥え、さっさと教室を出ていった。


 美玖はそんな先生の背中を見送った後、後ろに振り向いて優佳を見る。


「怒ると怖いけど、授業がさっさと終わるのは良いところ」


「確かに。いつも早いよね」

 優佳は美玖の言葉に頷きつつ、机に掛けたカバンから弁当の包みを取り出した。


「授業終わりのスムーズさ=先生の評価、と言っても過言ではありません」

 いつの間にかやってきていた町子は添える様に言うと、優佳の隣の席に座っている男子生徒から椅子を借り受ける。


 懐から出したウェットティッシュで椅子を拭くと、そのままの流れでストンと腰を落とした。


「来るの早っ」

 美玖は椅子の背もたれに頬杖をつきながら目を見開いて言う。


「ちょっと分かるかも。授業がつまんない、とかよりも授業が終わらない、の方がなんか、こう、あれだよね」


「確かに。あれ、ですね」


「どれだよ……」

 コクリと頷き合う町子と優佳を前にして呆れ顔を隠さない美玖も優佳に続き、カバンから弁当を取り出した。


「町子は? 今日は弁当?」


「今日はコンビニおにぎりの日です。ちなみに、いくらのやつですよ」

 美玖の問いにポケットからおにぎりを出して答える町子。その姿はまるで印籠を見せつける格さんの如し。


 それにおにぎりの中身はいくらだ。格としても申し分ない。


「いいじゃん! ちょっと醤油でいくらが濃く見えるのが映えだよ映え」


「いくらおにぎり、私も好きだな~」


 少し興奮気味に言う美玖と、パチパチと小さく拍手をする優佳。


 町子はそんな二人を前にニンマリと笑うと、ガバッと頭を下げる。


「ということで、少しだけおかずを分けてください!」


「しょうがないなぁ」


「いいよ~」


 町子のお願いに応えた二人。優佳が弁当のフタを裏返して机に置くと、美玖が自身の弁当からだし巻き卵を摘まんでフタに乗せる。


 続いて優佳はホウレンソウのソテーを半分、フタに乗せて町子に渡す。


「ありがとうございます!」

 町子は両手でそのフタを受け取ると、「へへぇ~」と芝居めいた声を上げた。


「私がコンビニおにぎりの時は頼むからね」

 手に持った箸で町子を指して言うのは美玖。優佳はその様にすぐ反応した。


「お行儀が悪いよ、美玖」

 唇を尖らせて美玖を窘める姿はまるで口うるさい母親だ。


 そして隣でおにぎりにかぶりつきつつ小さく頷く町子は出来た妹のよう。


 しかし、美玖は二人の忠告と視線を無視すると、自身の弁当に箸を入れた。


「お行儀で言うなら、ごはん中にスマホを弄るのは良いの?」

 美玖はもぐもぐとカニカマを味わいながら、弁当の横に置かれた優佳のスマホに鋭い視線を向ける。


 対して優佳は「良いじゃん別に……」と言いながらインスタを開いた。


「お昼休みくらいしかスマホ見れないじゃん? この貴重な30分に色々チェックしなきゃ」

 

「えぇ……それって食べながらする必要なくない? さっさとご飯食べてからゆっくり見ればいいよ」

 今度は反対に美玖の方が口うるさい母親のようになる。


 そして町子は変わらず小さく頷くのみ。食が細く食べるのも遅い町子は未だおにぎりにかぶりついたままだ。


「先生も今は職員室で昼食の時間、もとい貴重な休憩を味わっているはず。今こそがもっともバレる確率の低いタイミングなんだよ」

 優佳は右手でおかずを口に運び、左手でインスタのタイムラインを追い、会話にも参加する器用さをいかんなく発揮。


 小言に時間を割かれ食事の進みが遅い美玖はため息をつくと、それ以上の追及を諦めて白米に箸を入れる。


「――つまり、今この教室は教師不可侵領域ということですね」

 やっとおにぎりを半分消費した町子が水筒に口を付けてから言うと、優佳が頷きを返す。


「そうとも言うね」


「そうとも、って、私の知らない別名にまた別の名前があるってこと? めんどくさっ」


「......so tomorrow」


「――ぶふっ。ま、町子、あんたっ」

 少し間を開けてから呟くように放った町子の言葉。


 若干意識して低めになった声での謎英語は、美玖を軽く吹きださせることに成功した。


「とても、明日?」

 一瞬考えてから問う優佳に対し、町子は美玖の睨みを無視して首を横に振る。


「なので、明日、が正解です」


「どっちも間違いでしょ! その二単語だけでの意味はないから!」

 机をバンッと両手で叩く美玖。しかし、町子は止まらない。


「so know knee tongue go?」

 今度はよりネイティブっぽい流暢な発音で謎英語を披露した町子。


「も、もう笑わないから。私はそんな簡単な女じゃない!」


「え、ギャルって簡単な女じゃないの?」

 優佳はだし巻き卵を口に運びつつ、心底疑問、といった風に目を見開いて言う。


「なっ……属性で括る発言は禁句でしょ!?」

 美玖がわなわなと唇を震わせながら優佳に迫る。今にも二人の額が接触する――といったタイミング、


「いやぁ~、ごめんごめん。忘れ物したわ」

 ガララッと音を立てて扉を開き、藤波先生が登場した。


「「!?」」

 言い合いをしていて怒られたくない美玖、スマホを弄っているのを見られたくない優佳、二人の利害が一致し、一瞬でやり取りを収めた二人。


 美玖は素晴らしい反応速度で椅子に腰を下ろし、優佳は左手でスマホを弾いてスカートの上に落下させる。


 二人して若干下を向いてただただ黙る。そして嵐が過ぎ去るのを待つ、といった風。


 そしてその二人の間で視線を行き来させながらおにぎりを食べている町子。


 昼休みで騒がしい教室の中で三人の間だけポツンと静寂が降り立っていた。


「――あったあった。これがないと私も困るわぁ」

 教卓の周りをガサガサとしていた先生は目当ての物を見つけたのか、満足げな表情でほっと息をつく。


 そしてすぐさま扉に向かうも、「あ、それと」と思い出したように言って立ち止まった。


「優佳ぁ、今回は昼休み治外法権で見逃してやるが、次は無いぞ。――じゃあ諸君、残りの時間を有意義に過ごしたまえ」


 先生はまっすぐに優佳を射抜いて言うと、返事を待たずに教室を出ていった。


「……」

 無言でスマホをカバンに入れる優佳。


「お昼休み、教師不可侵領域、昼休み治外法権。素晴らしい三段活用ですね。縁起も良いじゃないですか」


「え、ハマチ・メジロ・ブリ的な出世魚ってこと?」

 町子の納得を見せる反応に対し、美玖は困惑したまま言うしかできなかった。

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