超短編まとめ

Nem

タータン

ゴールの白線を跨ぐ。

見るまでもないが、奇跡に縋るように横目で見たパネルは「2分40秒」と光っていた。


『30秒台は固いだろ。なんなら前半いくよ』


一週間前。大会に向けた調整が始まる前の練習会が終わった後、帰りの支度を済ませた俺はいつも走っている桜並木の柵に腰かけながら言った。特段足が速いわけでもない俺は、もとより期待されていないこともあってか、そんな言葉を真正面から受け止めてくれるやつはいなかった。けれど、俺にとっては大真面目で、だからこそ他のやつらもおいそれと馬鹿にできなかったのだと思う。

レーンを外れた俺は、そのまま地面に座り込んだ。足に響くだとか、腰に悪いだとか、そんな事、どうだってよかった。ただ、容赦なく降り注ぐ炎天と、やけに大きい歓声とが俺を嘲り嗤っているような、そんな感覚があった。

暫くの間そうしていると、後ろから控え目な足音が聞こえる。


「おつかれ」


振り返るまでもない。なんなら、声を聞く前から目安はついていた。


「おう」


俺は、彼女に振り返ることすらせずに答えた。いや、振り返れたのならそうしていた。ここまできても、安いプライドがそれをさせなかった。あの真っ直ぐな眼は、冬の太陽みたいに、目を逸らしたって眩しいのだ。あの日も、自主練の休憩でたまたま居合わせた彼女がどんな顔をしていたか、俺は知らない。

彼女はそれ以上何も言わなかった。

待っているようにも思えたし、責めているようにも思えた。慰めてくれているなんて甘えた希望を理性がすんでのところでせき止めていた。

俺はついに居た堪れなくなって口火を切る。


「失望した?」


言ってから、後悔した。当たり前だ。誰だって、傷つきたくなんてない。つまりは怖かったのだ。こうして準備もしないまま、彼女に引き裂かれるのが怖かった。

彼女はまたも、口をつぐんだ。じり、と彼女の靴とタータンとがすれる音が聞こえた。

一秒、また一秒と、時間が経つほどに彼女の言葉の重みが増していく。まるで、ゆっくりと昇っていくギロチンの刃を見上げているような心地がして、俺はまた、逃げた。


「うん」「だよな」


声がぴったり重なった。

俺は陰から目を放して彼女を見る。

彼女は表情を殺そうと懸命に努力していたが、ひとつ、瞬きすら待たずに能面は壊れて、そのかんばせは泣きそうに歪んだ。目が合って、数秒も経たない内に、彼女は踵を返して奥に行ってしまった。逃げるように縮こまった小さな背中が、蜃気楼のように揺らいで見えた。

少しも経たないうちに見えなくなって、ようやく硬直の解けた俺は、髪をかき上げて、握りこむ。すっかりと落ち着いたはずの呼吸が、か細く震えているのに気づいて、空っぽに笑った。

額から、頬を伝って滴った汗がタータンに触れて派手に音を鳴らした。そのくせ、跡は少しだって残らなかった。


//ノンフィクションです~。実話ベースの話もどっかで書きたいですねぇ。

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超短編まとめ Nem @Nem0630

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