第五十五話 愛堕

 はいでは〜〜?

 大きぃ〜〜〜く息を吸ってぇ〜〜〜?

 大きぃ〜〜〜く息を吐いてぇ〜〜〜?

 はいそうです〜〜。深呼吸〜〜〜……。






 落 ち 着 け る か ぁ !!!!!!






 私はまるでギャグアニメのワンシーンの様に、コロコロと心の表情を変え、慌てふためく。

 見た目では平静を装っているが、以下はその心情である。




『『『いやでも一旦、無理をしてでも落ち着こう。

 そ、そうだ!

 私が渡したあの指輪には、エクラの拒絶の意思に反応して、即座に防御結界を作動させるのと同時に私に連絡がいく様になっているんだった!!

 だ、だから、エクラが乱暴されてたりはあり得ない!!


 ……って、それを踏まえると、エクラが拒絶の意思を示していない可能性が……。



 あっ、あり得ないあり得ない!!

 エクラが、う、浮気……!?

 そんな馬鹿な事起こり得ないよね!?



 お、おち、落ち着こう。

 ふぅーー……、、…………よし。

 私の背後から、私の早歩きに置いて行かれた近衛兵達が超焦りながら走って来ている音も聞こえるし、突然の事過ぎて廊下のど真ん中に急に立ち止まった私に対し周囲の者達がかなりザワつくのも聞こえるが、そんなの如何でもいい。

 それより、今は頭を回し思考を巡らせ、私が何をすべきかを考えよう。

 あぁ……、胃が痛い……。




 私は、好きな人が他人と親密な場面を見て、事実確認もせずに、自分の思い込みだけでその目から涙を光らせながらその場から逃げ去る、そんなヒロインみたいな事はしない。

 だから今はこうして、考えうる可能性と、その対処法を考えている。



 ……え?何か起こる前に早く行けよって?

 それもいいけど、もしであったなら、私は目の前で緑髪マッチョになって、

「ワタシはこの街を破壊し尽くすだけだぁ……」

と言ってしまうから、今は冷静にさせてほしい。



 ……それにもし本当であったなら、多分もう手遅れだから。






 考えうる可能性は四つ。

 一つ目、

『別に何でもない相手が、何かをエクラに伝えに来ているだけ』

 二つ目、

『この一ヶ月で仲良くなった誰かと仲良く話しているだけ』

 三つ目、

『相手がお偉いさんで、仲良く話さざるを得ないだけ』

 四つ目、

『…………浮気。』

 


 取り敢えず可能性の高いのはこれぐらいかな。

 まあ、三つ目は無いだろうね。

 エクラは私直属の秘書なのだから、そんな上の位の相手の部屋に押し入り、更に無理に話をするだなんてそんな無礼な真似が出来たら、その度胸に免じて私の大鎌の一撃をプレゼントしてあげる程だ。 


 一つ目と二つ目は、そんなに変わらないな。

 このどちらかであるなら、私が何か口出しする必要性は一切無い。

 ……せいぜい、その相手の素性を徹底的に調べ上げるぐらい。


 四つ目は……、考えたくないな。

 そもそも、私とエクラは付き合っていないし、エクラという存在は私の物では無くエクラ自身の物だ。

 だから例え、この後執務室に突撃した時に私が見る光景が何であれ、私にはそれを否定する権利が無い。




 ……私には前世の記憶があって、私が産まれた日本という国では、都合がいい事に少しづつ同性愛というものが受け入れられ始めていたから、私はこの世界でも自分の恋愛を展開できると思い込んでいた。



 だが、エクラの生まれたこの世界は違った。



 自由恋愛?

 今なお貴族社会なこの国では、親は自身の力を強める為に子を政治の駒のように使うのが当たり前。


 同性愛?

 そんなの、今ここで私がカミングアウトしたら、『姫はご乱心』と言われ大変な騒ぎになるだろう。

 理解を示してくれたお母様が特異点なだけ。



 ……そう。エクラが同性愛者だとは限らないのだ。



 エクラが望むのは、この世界の『普通』である異性婚なのかもしれない。

 『普通』に格好良い男の子に恋をして、『普通』に結婚して、『普通』に愛を育んでいく。




 エクラ現世の普通と、前世の普通は、違うのだ。』』』









 長〜〜い思考から目を覚ました私は、長く廊下の中央に静止していた自身の体を、執務室に向けて動かせる。


 正直、自分でも分かっているのだ。

 今この場で行った事は、ただの現実から目を逸らす為の時間稼ぎに過ぎないと。

 こういう逃げ癖が治らない事は、前世の私に対して限界を感じざるを得ない点である。



  

 暗い気分で廊下を歩く私に、先程までの早歩きは無い。

 一歩ずつ、不安定な橋の上でも渡るかの様にゆっくりと歩く様には、私の気持ちがそのまま現れていた。

 しかし、歩みを進めるという事はつまり、いずれは目的地へと到着するという訳で。


「……ここかぁ……。」

 私は気が付くと、シュトラール城の自室を思わせる入り口の執務室前へ着いていたのだ。







 私は近衛兵達に小声で解散の命令を下す。

 近衛兵達は一瞬戸惑ったが、私の命令に背く事は無く、素直にこの場から去ってくれた。


 私は周囲を見渡し、改めて、

(ここ、やっぱりシュトラール城の自室がある廊下の雰囲気に似てる気が……。)

と感じ取る。

 が、余裕の無い私は、その理由まで考える事無く、周囲に魔族がいない事に喜ぶ。


 私はもう一度注意深く辺りを見渡すと、小声で

「不可視、無音、飛行。」

と、三つのいつもの魔法を自分にかけた。

 そしておもむろに、中庭の見える廊下の窓を開けると、私はそこから空へと舞い上がり、そのまま屋敷の上を通って、反対側、つまり執務室の窓から部屋の中を覗き込む体制に移行したのであった。




 私は、恐る恐る窓から部屋を覗き込む。

 薄い壁一枚なら突破して音を聞ける魔法、『盗聴』も発動させつつ、私はその恐怖の世界に遂に飛び込んだのである。

 そこには…………!!






(誰?……子供?え?)

 そこには、ベッドに腰掛ける笑顔のエクラと、その前で兵士らしい直立を見せる、鎧を着た子供の姿が。

 子供とはいっても、見た目からだと大体14歳ぐらいだと推測出来る程。

 割と早い時期から世間で活躍させられる魔族であるなら、これぐらいの年齢の兵士が居るのもおかしな話では無い。


 まあ何はともあれ取り敢えず最悪の光景が広がっていなかった事に安堵した私は、思わずそのまま魔法を解除しそうになる程安心感を得ていた。




 ……がしかし、この時魔法が解けて一階にでも転げ落ちていれば良かった、、そう後ほど強く後悔する事になるとは、夢にも思っていないのである。









一縷いちるの渇望〜


 安堵感に包まれながら私は再び空を舞う。

 ストレスを空に放り投げる様に、

「よかったぁぁぁぁぁぁ!!!!」

と叫びながら。

 勿論おかしくなった訳ではなく、ただ部屋の窓を離れて行きと同じ空路で、さっき飛び出した廊下の窓に戻っているだけである。


 ただ人間(?)面白いもので、こうなると次に襲いかかってくるのは、罪悪感なのだ。

 私は、

「あ"ーー、もっとエクラを信じるべきだったなぁ……。部屋の窓から中を覗くなんて、普通に変態だし最低だよね……。ごめんよ、エクラ……。」

と、自責の念に囚われつつ、これで何とか許してもらおうと、空へ舞い上がる前に仕舞っておいたドーナツ入りの籠を取り出して抱える。


 そして、一呼吸おいて扉をノックしようと手を伸ばした時、不意に先程発動させた『盗聴』がその仕事を果たし始めたのである。

 先程の外壁とは違って薄い内壁には、中の二人の声を遮断する事が出来なかったのだ。



 ……これが、始まりだった。





 二人の会話が聞こえる。


『はい!俺、負けちゃったんですけど、それでも教官が、「ふむ、剣筋は少し良くなってきたな。日々努力している証拠だ。」って!!俺もう嬉しくって!!』

『ふふ、それは良かったです。いつも、頑張っていますものね。』

『あ、ありがとうございます!!あっ、それとですね……!!この前話してた夢の事なんですけど、なんとですね、今度、俺の母ちゃんがこの街に来てくれるらしいんですよ!!』

『まあ!お母様が!』

『それでこの手紙には…………』



 あれ、普通、だな。

 何だか微笑ましさまで感じる。

 とんでも無い爆弾発言でも飛び込んで来るかと少し身構えたのに。




 ……それにしても、何だか納得した。

 エクラは多分この少年をまるで、自身の弟かのように可愛がっているのだろう。

 良かった。本当に、よかっt



「あのっっ!!!!良ければ、エクラ様を母ちゃんの事に紹介したくて!!!!」




「そっ、それは急ですね。構いませんが、一体どうしてですか……?」

 嘘……。



「それは……その……。」

 やめて……。



「エクラ様が、その……。」

 駄目……。



「私が、どうかしましたか?」

 そんなの……。



「……っっ!!!!」

 嫌っ……





「俺、エクラ様の事、好きなんです!!!!」









 私はその場に籠を落とすと、力無い声で

「転移・小。」

と唱えて、先程の、部屋の中を覗く事が出来る位置へ転移した。



 それは、

 希望を求め、絶望を潰す為。



 それは、

 嫌悪を求め、恍惚を潰す為。



 見てはいけないと、本能が叫ぶ。



 だが同時に、見なければならない宿命を悟る。




 そして私は……見た。

 その心に宿る想いは、

『全ては、エクラの為に。』




 だが見たまえよ。





 頬を赤く染める、そんなエクラの姿を。








〜愛堕〜


 その瞬間、私の体の中の"何か"がほんの一瞬だけ弾けた。


 その一瞬に、私を中心に黒い破壊の波が発生し、『執務室以外』の周辺の窓が全て割れ、壁にヒビが入り、脆い家具は砕け、花は枯れ、空は割れ、その空間は死を選ぶ。


 空には紅い雲が立ち込め、紅い雨が降る。


 紅い日が射し込む中、その輝きの『八割』を失った王女は、嘆き苦しむ。


 無音の魔法は既に死しており、紅く染まっていく街には、王女の苦痛に歪んだ声が響き渡った。






 が、それらは、次の瞬間には全て幻であったかのように消え去っていた。

 街の住人達にも、建物にも空にも自然にも空間にも、…………何も変化は起きていなかった。



 変わったのは、嘆きの王女だけ。



 ほんの少しの間『嫉妬』に体を焼かれた彼女は、紅く染まった視界でその少年を捉えつつ、心の底で今にも檻から出てきそうなその悪魔を必死に押さえつける。


 そんな彼女は、自身の愚かな姿に対し自傷気味に笑うと、

「何この中二病……、ホント……、馬鹿みたい……。…………この数カ月ずーっと仕事を任せて、自分はなーんにもせずに寝てたんだもの。そりゃあ、身近にあんな自分に対して一生懸命な男の子がいたら、『普通』はこんなひも女捨ててそっちを選ぶよね。アハハっ!!!!」






 本当は、しっかり一度エクラとお話をして、彼女の本心を聞いて、それから次に進むべきだよね。

 分かってるよ。

 ……ハハ。さっきあんなに『事実確認しないで逃げるヒロイン』の事を悪く言ったのに、今度は自分が同じことしてるじゃん。




 ……今は、一先ずここを離れたいな。

『ああまた逃げ癖が私を腐らせるんだ。』

 ……早く、逃げないと。

『同じ事をこの世界でもする事になる。』



 あれ……?




 わた、私って……





 どこに、逃げればいいの……?






 助けて……お姉ちゃん…………









〜そして日常へ〜


 あの日から、私は公務へ復帰する事を決めた。




 今までの、自室でゆっくりとできる範囲でやればそれで許される様な仕事では無いので、私の基本的な活動拠点は、秘書と同じく街長屋敷となった。

 仕事内容は、主に……というか殆どが座っての書類処理。

 書類の内容は、シュトラール城での処理作業で見てきた物とは大分異なっていて、やはり本城外という事もあり、機密が多く含まれる書類は回ってこない。

 回ってくるのは、属国や街、村や集落などの農漁業などの生産状態や環境、諸問題についての報告書。

 あとは、外交関係の書類(機密度極低のみ)とか、税収(〃)とか……、そんな感じ。




 あっ。

 あとたまに、この街の貴族や、周辺の街の貴族とか、とにかく様々なところから貴族が私に会いに来るから、それに対応するっていう仕事もあるよ。

 ほぼ全員が初対面で私の全身を舐め回すように見てくるのが嫌だけど、基本笑顔で終わるし、あのお父様とお母様の子供である私に対して、下手にちょっかいを出す貴族はいないからまあまあ楽。



 城にいた頃とは違って、私は人が変わったかのように真面目に働き続けている。

 睡眠?

 あの二人の子供である私には、そんなのちょっとで充分。

 食事?

 時間が惜しいし、別に食べなくてもこうして動けてるから大丈夫。

 あっ、お風呂はちゃんと入ってるからね!!



 ……こうやって無理して働けば、その内判断能力が鈍って仕事以外考えられなくなる。

 そうすれば、もう何も怖くないんだ。




 ああ、そういえば、そろそろルーフが帰ってくるな。

 今から一ヶ月程前のあの日。

 ドーナツ作り後に別れたあの日、あの後ルーフは一度、緊急で世界樹国へと帰らなくてはならなくなってしまって、私に別れを告げる間も無く帰ったんだよね。



 ……ルーフ、か。






 コンコンっとノックの音がなる。

 私が一言どうぞと答えると、

「失礼します、テラス様。」

と言って、秘書は私の執務室へ資料や書類を抱えて入室した。



 秘書との関係は良好だ。

 前みたいに馬鹿みたいにベタベタする事を辞め、今は適切な距離感を保って接している。

 秘書はそれに対し、

「テラス様?どうかいたしましたか?」

と最初は不思議がっていたが、

「フフン!私も、大人に近づいたという事さ。」

と答えた。

 その後何度もこちらを強く心配する言葉や仕草を浮かべていたが、それらも全て適当な発言で納得させた。

 本当に私の変わり様の原因が分かっていない彼女は、その無垢な瞳と表情と言葉で、何とか私を元気づけようと頑張っているが、その全ては白黒に見えて喜びは感じない。

 



 今日も秘書は私に世間話をしながら、来賓用の机でここに置いていく資料と書類を確認している。

 彼女の世間話は幅広く、普遍的に、かつ私を明るくしようと元気いっぱいで話す。

 話すのだが、その世間話の中には当然、




 ……あの少年についての話も含まれているのだ。




「……と言う事がありまして〜。カイ様って本当に頑張り屋さんですよね〜!」

「……うん!凄く頑張ってるんだね〜。」

「はい!」

 まるで自分の事のように、それはそれは満面の笑みで話す彼女。

 あの少年、『リヒカイト』を遂に『カイ』と呼び出したこの女は、悪意の無い微笑みで私に蓄積ダメージを確実に与えていっている。

 そろそろ討伐されるかもね。……なんて。





「それではまた後ほど!テラス様も、お仕事頑張ってください!」

 そう言って去る女に対し、(お願いだからもう来ないでほしい)という気持ちと、(ずっと隣りに居てほしい)という気持ちが両立する事にももう慣れた。


 さあ、あんなのササッと頭から消して、今日も仕事を続けようか。






『その全ては、一体何の為に……?』









〜捨てられた二つの愛〜

ソフィ・トラバント



 おかしい。

 姫様が、真面目に仕事を……!?


 私は何度も疑いました。

 精神支配、洗脳、入れ替わり……。

 ですが、それらには全て、

「あはは……、私は元来真面目な性格なんだよ?疑うなんて酷いよー。」

という、どうしても違和感を感じる返答を返す姫様。



 それもこれも全て、姫様がフラフラとしながら一人で帰ってこられたあの日から始まった事です。



 私が使用人達へと配布したドーナツ、あれは大成功を収め、在庫は瞬く間に消滅。

 後は、姫様とエクラ様のイチャつきが終わるまで、一時間でも二時間でも待つだけでした。

 ですが、あの日は一瞬にして降りて来られたので、一体何かあったのかとかなり心配しました。


 しかし、

「……大丈夫、大丈夫だよ。私が私に戻っただけだから。」

 と言われ、その後は何度聞いても何も話していだけませんでした。

 その為私はエクラ様にもお尋ねしたのですが、同じ様に心当たりが無く、同様に心配なさられていました。




 姫様は今日も、明らかに無理をして働いています。

 そんな姫様を前に、私は嘆き虚空を見つめます。

(姫様……、そんなに、このソフィ・トラバントは信用出来ませんか……?)




ルーフ・ホオヘノ・ヴェデーレ



 世界樹国の女王ルーフは、自身の魔眼によって見たあの日の惨劇を何度も思い出しては、その都度怒りに身を焼いていた。

「あの女……!!今度会ったら一発ぶん殴って殺りますわ……!!!!」



 ルーフはテラスを溺愛していた。

 だが、その気持ちはエクラに会って変えた。

 それは、真にテラスを心からの愛する者として、テラスの幸せを願った結果であり、血の滲むような努力の成果であり、自身の意志の強さの現れである。

 ……と、彼女は思っている。



 最近のルーフは、テラスの熱狂的なファンという表現が相応しかった筈なのに、

「あぁお姉様……!!なんと……、なんと痛々しいお姿なのでしょう……!!私、もう耐えられません……!!一刻も早く、あの女をお姉様の前まで引きずり出さなければですわ……!!……ですが、それを行って、お姉様は喜ぶでしょうか……。一体どうすれば……。」

と、今のルーフは、狂信的なファンへと変貌を遂げたのであった。







 もうすぐ、ルーフが帰ってくる。

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