第二十五話 王女の決意

 心臓がうるさい。そう感じるのも、もう何度目なのだろう。


 それなのに、未だにこの感覚に全く慣れていない私は現在、先程エクラが行なった左手の薬指にキスという行為について、脳をフル回転させて考えている。




 私には脳が実質二つある。テラスの脳と、前世の脳の二つ。


 そして、今世の私はお母様譲りの高スペック脳を所有している。つまり天才…なんて、自分で言うのはどうかと思うが、そういう事だ。




 そんな私の脳は今、悲鳴をあげている。


(え……?は……?エクラ……?尊……?左手…薬指……!?そういう事なの……!?い、いやまさかそんな……。え…?)


と、大混乱。


 だって、推しが突然指を絡ませてきたと思ったら、次の瞬間にはキスされていたんだよ!? 




 私は、どうするべきなのだろう…。




 私は、前世のアニメや漫画でよく見た鈍感系では無い。


 この数年間、毎朝をエクラと共に迎え、朝食を(お父様とお母様、そして私は全員生活リズムが違うため)エクラと共に取り、その後は別れるが、一日の最後は必ずエクラと共に迎えてきた。


 この数年間、私はエクラに尽くした。


 そしてエクラも、それに答えてくれた。






 であれば今度は、私が答える番だろうか。






 しかし私は、絶対に子が成せないと言われていた二人から産まれた奇跡の王女であり、この国唯一の世継ぎ。


 ならば私は国の為生き、そして国の為死ぬべきだろう。




 要するに、私は子を成さなければならないと言う事。




 これがゲームで、今目の前にこの様な二つの選択肢が出ているとしよう。


・国の為、何処かの誰かの子を産む。


・国を捨て、エクラと共に生きていく。


 ゲームであれば、ここでセーブをして迷わず下を選ぶ。


 しかしこれはゲームでは無い。セーブなんてないのだ。




 私は悩んだ。物凄ーく悩んだ。


 そして結論を出し、小さく呟いた。


「…ごめんね、エクラ。」


「ん?何がだ?」




 …え?


 私は咄嗟に顔を上げた。


 するとそこには、紙の束を抱えて私を見下げる、仁王立ちのお父様がいた。


「うわあああ!?」


 私は驚きあまり叫びながらベッドから飛び退いた。


「そんなに驚かなくてもよかろう。」


 私を不思議そうに見るお父様に、抗議の声を上げる。


「…お父様!ノックくらいはしてください!」


「ノックか?何度もしたぞ?だが、なんの返事も無かった。だから我は部屋に入ったのだ。そしたらお前が普通にベッドに座っておったから驚いたぞ。」




 …マジか。集中し過ぎていたようだ。お父様、何も悪くなかった。


「ごめんなさい、お父様。気が付きませんでした。」


 私は非を認め、しっかりと謝罪する。


 すると、お父様は首を振り、


「謝罪など不要だ。我も、勝手に部屋に入っているのでな。」


と言ってくれたが、その後表情が変化したお父様は、何かに葛藤しているようだった。




 そして少し無言の気まずいタイムを挟んだあとに、お父様は葛藤を口に出す。


「…テラスよ。その、何か悩んでおるのか?何か悩んでいるのならば、遠慮などせず我に話すのだぞ。我に話し難い内容なのであれば、ロアに話すのも良いと思うぞ。」


 なるほど。お父様は部屋に入って来た時、私が明らかに何かに悩んでいたから、それを指摘してよいかどうか葛藤したのか。


 本当に、私のお父様は優しい。




 でもごめんなさい。多分、お父様が聞いたら卒倒すると思うから。


 でも、お母様に相談というのは、悪くないかもしれない。多分、お母様には私達の事はバレているだろうし、それにお母様ならば受け止めてくれそうな気がするから。




「お父様、ありがとうございます。」


 そう言って私はお父様に微笑むと、特に悩んでいる事は無いと誤魔化し、そして安心させておいた。










 その後、私はふと気になった事を聞いてみる。


「そういえば、お父様はどうしてこちらにいらしたのですか?」


 何か悪い事でもあったのかな…なんて考えていたが、


「そうであった!我は、テラスを褒めようと思ってやって来たのであった!」


どうやら、杞憂であったらしい。




「実はな、テラスが麻痺の魔法で無力化していた人族の中になんと!精霊国ムートの大使が含まれていてな!おかげで、大使を死なせずに済んだのだ!良くやったぞ!テラスよ!」


 へえ、そんな人物があの中に居たのか。争いの火種にならないで良かった、と言うわけ。


 全くの偶然だが、無駄な争いが避けられたのなら良かった。




「それとだな、テラスが作ったあの魔術符だが、城の宝物庫にしまう事になった。せっかく作ってくれたのに悪いな。」


 おおう…。私の努力は何だったのか…。まあでもあんな魔法、使わない方がよっぽど良いから。




「ではな!テラスよ!」


 本当にそれだけを言いに来たのであろうお父様は、とても上機嫌で部屋を去っていく。


 お父様が部屋を出て行くと、タイミングを図っていたのであろうエクラが、脱衣所から出て来た。


 私は少しの気まずさを感じながら、寝間着を着替える為にソフィを呼ぶ。


「失礼します。……おや?」


 ソフィは部屋に入るなり何か疑問符を浮かべていたが、気にせず着替えをお願いする。


「はい、姫様。本日、何かご予定などはございますか?」


「うーん。無い、事は無いかな…。」


「何ですかそれ。」


 ソフィは呆れたようにそう言った。


 私は、お姫様モードを完全に解除して話す。


「それがね、このあとお母様に会いに行こうかと思ってるの。」


「ローアル様にですか。分かりました。ならば、相応の衣服にしておきましょう。」


 そう言うと、テキパキと服を選び始めたソフィを横目に見ながら、私は脱衣場に逃げ込んだ。








 ヤっっバ。エクラの事見れなかった。意識し過ぎでしょ、私。でも、推しに言い寄られて正常な思考ができるわけ無いじゃん!




 取り敢えず落ち着こうと、私は脱衣場の鏡の前に座る。


 そして、鏡に映った美女を眺める。…なんて、恥ずかしい事言ってっ…!?






 突然、目の前の鏡にヒビが入った。それは、まるで鏡を縦に二分割したようであった。


 二分割された鏡の、右に映ったのはテラス。背後に広がるのは、光。


 左に映ったのは前世の私。背後に広がるのは、闇。






 テラスは笑っていた。


 前世の私は苦しんでいた。






 テラスは自由であった。


 前世ノ私は縛られていた。






 テラスは美しかった。


 ワタしは何も無かった。






 テラスは青き炎を身に纏った。


 ワタシハ赤き炎に身を焼かれた。






 テラスは初めて苦しんだ。


 ワタシモハジめてワラった。






 テラスは闇に包まれた。


 ワタシハジユウニナッタ。






 テラスは鏡の中から見つめる。


 ワタシハカガミノナカカラミツメル。








『お前のせいだ!!!』


『ワタシノオカゲダ。』




 その瞬間、鏡は大きな音を立てて砕け、そして中から二本の私の手が伸びる。


「だ、誰か…助け………」


 私は抵抗出来ずに引き込まれた。












 気が付くとそこは、いつも見るあの夢の世界。


 古びたブラウン管テレビが幾つも並んで、前世の私を映している。


 しかしいつもと違うのは、その上に座る黒い天使の存在。


 頭に乗っている天使の輪も、背中に生えているその翼も、手に持つ鎌も、光を吸収するような闇に染まっていた。


 黒い天使はブラウン管テレビから飛び降りると、手に持つ鎌を肩にかけゆっくりと近づいてくる。


 私は逃げようとしたが、そもそも体の感覚が無い事に気が付いた。そして動けない。






『マァソウニゲルナ。アンシンシロ。ワタシハオマエダ。』


 そう言って笑う黒い天使。しかし、顔は黒いモヤがかかっていて見る事ができなかった。


『オマエニハカンシャシテイルノダ。オマエガタメコンダソノヤミ、ソレノオカゲデワタシハココニイル。』


 私の…闇…?


『ワガナハグリモワール。スデニイチド、オマエハワガチカラヲツカッテイル。…ハハ。オマエ、キオクヲフウインサレテイルデハナイカ。ナラバワレガ、ソノフウインヲトキハナトウ!』




 その瞬間、私は激しい頭痛に襲われた。そして、あの時の事を全て思い出した。


 そうだ。私は一度、エクラを守ろうとして謎の黒い力を使ったんだった。


 倒れたあと、お母様からは物凄い魔法を使って、その後魔力切れで倒れたと説明を受け納得したけれど、よくよく考えたら有り得ない。


 そして今日まで疑問にすら思わなかったのは、グリモワールが言っていた封印とやらのせいか。


 …しかし一体誰が…?


『サアナ。ソレヨリオマエ、ナニヲナヤムコトガアル。って、そろそろこの喋り方も疲れてきたな。もういいか?』




 …え?




『何驚いてんだよ。私はお前から産まれたんだ。ならばお前の性格に多少は影響を受けるだろ。』


 ん?え?


 あれ、いつの間にか体戻ってきてるし。体動くし、何だったの一体…。


『それは、あれだ。演出ってやつだよ。そんな事より、悩みあんだろ。聞いてやるよ。』


 え、意外と良い人…。




 なんとなく話す気になった私は、グリモワールさんに悩みを打ち明けてみた。




『そうか。お前、変だな。』


「なっ!?」


 失礼ね!と、私は威嚇する。そんな私を鼻で笑うグリモワールさん。


『さっきも言ったが、私はお前だ。だから、お前のことは手に取るようにわかる。だからこそ、お前が今抱えているその葛藤もわかる。だが、それがどうした?お前、その程度だったんだな。エクラが好きだとか、尊い、だとかあれはそんな軽い気持ちだったんだな。しょうもない。』




 …なんだって…?私の、エクラへの思いが、しょうもないだって…?


「馬鹿にしないで!グリモワール!私がどれだけエクラに助けられて来たか知らないの!?前世の私が生きていたのは、紛れもなくエクラのため!エクラは、私の全てなの!!!それをしょうもないなんてふざけんな!!!!」


 私は息切れしながら、グリモワールに向けて叫ぶ。そんな私をしばらくじっと見つめたあと、大きく笑ったグリモワール。


『自分で分かってるじゃねえか!な?やっぱ、お前変だっただろ?…それじゃあな。』


 え?それっ…!


 次の瞬間周りの景色が歪み、そして消えていった。








 気が付くと、私はいつもの脱衣場の鏡の前に座っていた。


 そこにヒビはなく、映るのは『自分』だ。




 コンコンっとノックの音が鳴り、ソフィが入ってくる。手には選ばれた服が。


 私はとある決意を静かに固め、ソフィに命令する。


「ソフィ、今すぐ別の衣服を用意して。王女に相応しい最高峰のドレスとティアラを!」


 ソフィは驚きの表情を浮かべたが、直ぐに了承の意を示して去る。


(ありがとう、グリモワール。おかげで、決心がついたよ。)


 すると、私の呟きに呼応するように、自分の髪の毛に変化が生じた。


 私の白髪に少し混ざった黒髪。それが少しだけ増えたのだ。


 でもなんだろう、嫌な感じはしない。むしろやっと正解に辿り着いたかのような心地がする。


 ああ、心地良い。








 しばらくして、ソフィが着替えを持って入室する。手には先程よりも豪華なドレスと、王女である私だけが身に付ける事を許されたティアラが。


 私はソフィによって正装に着替え身を引き締めると、ソフィに部屋の外で待機しているよう指示する。


「分かりました、姫様。…ところで、少し黒い髪が増えていませんか?」


「…流石はソフィ、よく気が付いたね。でも大丈夫だから、ね?」


「そうですか。ならば、詮索は致しません。」


「ありがと。」


 その後一礼し、ソフィは脱衣場から去っていった。


 私は深呼吸をすると、


「よしっ!」


と、決意をあらわに席を立ち、そして脱衣場から出た。










 部屋に戻ると、ソファに座って何かの本を読んでいるエクラがいた。エクラは私が脱衣場から出てくると、直ぐに私の方を向いてソファから立ち上がった。


 エクラは平静を装っていた。でも吸血龍姫の動体視力は見逃さない。




 エクラの読んでいた本が、逆さまであった事を。




 あっきらかに動揺しているよね。尊。


 こんなに尊い存在を、私はさっきまで切り捨てようとしていたのか。


 本当にグリモワールには感謝しないと。




「お、おかえりなさい、テラス様。」


 声も震えてる。よく見ると、目が少し赤くなっている。


 きっとエクラは、自分のした事の重大さに気が付いて、恥と後悔と罪悪感に苛まれていたのだろう。


 なーに不安にさせているの、私。さっさと動きなさーい!


 私はそう自らに叱咤激励し、決意を行動に移す。




 私は無言でエクラに近づくと、直立不動なエクラを優しく抱き締める。そして囁く。


「不安にさせてごめん。そして、もっと謝らないといけない事があるの。残念だけど、私はエクラの気持ちに答えることは出来ない。」




『はああああああ!?!?!?』


 そんな、グリモワールの叫びが聞こえてきたような気がしたが、多分幻聴だろう。








「そう…ですよね。ごめんなさい私、暴走してしまいました。本当に申しわけっ…!?」


 泣き謝りながらエクラは私から離れようとしたので、私は強く抱き締めた。


 これは私の決意の現れ。逃さない。






「聞いて。…私はこの国のたった一人の王女。それも、絶対に子が成せないと言われていた二人から産まれた奇跡の王女。だから私には、この国に尽くす義務がある。国の為に生きて、国の為に死ぬ。それが運命。」


 私は抱き締めたまま、エクラの頭を撫でる。






「でもこれは、王女テラスとしての考え。そしてここからは、『私』の考え。…この国とエクラを天秤にかけたら、エクラに傾いたの。『私』には、エクラの為ならこの国を捨てる事だって出来る覚悟がある。もし、エクラが望むなら、今すぐにでもこの城を飛び出して、二人でどこか遠くの地で暮らしていく事だって出来るよ。今エクラの気持ちに答えるなら、これしか方法は無い。…どうする?」


 私はエクラの両肩を掴み、そして腕を伸ばす。そうして、私達は向き合った。


 ああ、ごめんねエクラ。可愛い顔が涙で大変な事に。尊い。




「…駄目です。テラス様には、そんな事してほしくありません…。」


 エクラは辛そうに顔を横に振った。改めて、叶わぬ恋だと自覚したのだろう。


 …まあ、叶わぬ恋にはさせないけど。


「エクラならそう言うと思った。だから私は、エクラの気持ちに答えられないの。…でもおかしいと思わない?本当に、この二つしか選択肢は無いと思う?」


「……え?」


 エクラの表情が少しだけ明るくなる。


 本当にグリモワールに感謝だね。おかげで長い間王女として生きてきたせいで固まった頭が解れたのだから。






「エクラ、私は第三の道を切り開く。私達の愛が皆に認められ、皆に祝福される、そんなハッピーエンドを。でもその道は困難を極めるわ。だからお願い。そんな道を、共に歩んでくれないかしら?エクラが居てくれたら私、頑張れるから。」


 そう言い切った私は、静かにエクラを見つめる。何時間でも待つよ、エクラ。








 やがて、エクラは涙を流しながら、今度は笑顔を浮かべて見せた。そして。


「なら私は、テラス様の隣に立てるようもっと努力しなくてはなりませんね。…どこまでもお供します、テラス様!!」


 先程の一方的な抱擁とは違い、今度は二人で抱き締め合う。


 エクラの暖かさを感じ、改めてこの気持ちと覚悟を固めた私は、次のステップを考える。










 お父様とお母様を、説得しなければ。

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