第九話 王女と、憤怒

 私は、考えるよりも先に、魔法を展開していた。

「炎弓千々矢!」

 私は、炎で出来た弓矢を手に持ち、弓を引き、矢を放つ。放った一本の炎の矢は空中で何本にも分裂し、『私の推し』をいじめる愚者に迫る。




 しかし、愚者どもに命中するギリギリのところで我に返った私は、矢の挙動を変える。

 愚者どもの周りに散らばった炎の矢は、辺りを火の海に変える。突然空から炎が降り注いだことに驚いた周囲の者たちは、逃げまどっているが、そんなもの、もはや私の眼には入っていなかった。

 私は不可視と無音の魔法を解いて、ゆっくりと少女に向けて降下していく。

 『私の』少女に向けて。






 少女は、自分の名前すら、知らない。

 ただ、物心ついた時には、この街にいた。

 親の顔も知らない。頼れる存在もいない少女は、ごみを漁り、水たまりの水を啜り、寒さに震えながら、今日を生きる。

 少女は、そんな状態を不幸だとは思わない、いや、思えない。




 今日は、運悪く意地汚い奴らに捕まった。そして石を投げられ、殴られ、蹴られる。この少女のように暴力を振るわれる女性の姿は、ここでは珍しくない。

 唯一の幸運は、少女が少女だった事だ。成人女性だった場合、次にその女性達に待っている運命の想像は、難しくないだろう。

 少女は、相手を睨みつけながらも、この時間が早く終わることを願う。

少女に満足するまで暴力を振るったら、そのまま少女を放置して、こいつらは何処かへ去っていくだろう。今日もそうなる…はずだった。



 突然、天が紅に染まった。そして気が付くと、辺りが火の海になっていた。

 何が、起こったのか、わからなかった。



 そして、我に返った少女は、天を見上げた。

 そこには、空から少女に向かってゆっくりと降下してきている私と同じぐらいの年の、少女。

 少女にはそれが、天使様にしか見えなかった。






 私は赤く染まった世界に降り立ち、『私の』少女に近づく。私は手を伸ばし、その手を取る。

 私の体は、歓喜に震える。心の底から、喜びがあふれている。

 絶対に手が届かないと思っていた推しに、手が届いた。

 ……もう、離さない。

 たとえ、この世界が滅んだとしても。

 ……世界を滅ぼしてでも。






「再生魔法・キュア。…はい、これでもう傷は大丈夫よ。ねえ、貴方、名前は?」

 私がこの世界の回復魔法をかけその傷を癒すと、少女、いや彼女に私は笑顔でそう尋ねる。


 周りは私が放った炎矢のせいで阿鼻叫喚だが、気にもしない。


 だって私は、この世で最も大切な存在に出会ってしまったのだから。


 彼女は少し怯えながら、答える。

「私、名前、無いんです…ごめんなさい…。」

「…そうなのね。ごめんなさい。」

 そう言いながらも、私は内心、喜んでしまっていた。

 ああ、なんて都合がいいんだろう、と。


「ねえ、貴方、私と一緒に来ない?貴方が望むものは全て、用意してあげる。名前も、もし良かったらなんだけれど、私に付けさせてくれないかしら。」

 そう言い放つ私を、困惑気味に見つめる彼女。

「あの、えっと、なぜ見ず知らずの私にそこまでしてくださるのですか?」

 当然の疑問だ。しかし、そんな疑問に、あたりまえかのように、答える。

「そんなの簡単よ。」



 少しの静寂。まあ、周りはうるさいのだけれど。



「貴方が欲しいの、私。私は貴方に全てを与えましょう。だから、貴方も、貴方の全てを私にくださらない?…もう一度問うわ。私と一緒に来て。貴方の全てを、変えるわ。」

 私は選択肢を与えたが、逃がす気など微塵もなかった。



 これが、私の『愛』だ。



 彼女の長い沈黙。私はただ黙って、彼女の返事を待っていた。

 …てか、カッコつけたくてお母様の口調を真似して喋っていたのが、今になって恥ずかしくなってきた。大丈夫だったかな、変じゃなかったよね?

 待っているうちに、さっき彼女をいじめていた愚者どもが衛兵を連れ、戻ってきた。

 あの忌物がやったんだ、だから早く殺してくれ、なんて、私の彼女になんて言い草だろうか。



 …万死に値する。



「落雷龍!」

 私は前世の中国の龍の形をイメージした雷の龍を生み出し、その愚者どもを喰らわせる。

 愚者は消し炭になり、衛兵は腰を抜かして失禁している。



 そんな光景を目の当たりにし、またもや固まっている彼女にもう一度、手を差し出す。

「私が貴方を守ってあげる。だから、一緒に行こ!」

 遂に素が出た私。そんな私の手を、おずおずと彼女は手を取ってくれた。

「え、えっと、よろしくおねgって、きゃあああああ!?!?」

 手を取ったことを了承と見なした私は、一度ふふんと微笑むと、無言で不可視と無音の魔法をかけ、そして彼女と共に夜空へ急上昇したのだ。


 絶叫する彼女をお姫様抱っこし、私は、大使館へ向けてゆっくりと飛んで行くのだった。




 しばらく飛んでいると、慣れたのか、それとも諦めたのか、彼女は私の胸元に埋めていた顔をこちらに向け、話しかけてくる。やっぱり、強い子だ。

「あの、貴方様は何者なのですか?」

 何者。私は…


「私はテラス・テオフィルス・シュトラール。シュトラール王国のお姫様だよ。」


「え、えええええええ!?!?!?」


 彼女は再び、絶叫する。そんな彼女に私は、移動中の馬車で完成させた魔法をかける。

「浄化、洗浄。」

 私が魔法をかけると、たちまち彼女の体や髪や服は綺麗になっていく。何かで汚れたとき、いちいちお風呂入るのめんどくさいから、なんて理由で作ったこの魔法がこんな形で、役立つなんて。

「え、凄い…、これが、お姫様の力…?」

 きれいになった彼女は、そんなことを言っていた。


 …てか、今日人前でオリジナル魔法使いまっくっちゃったじゃん!ああ、やらかした…。

 人前では絶対に使わないようにしていた私の努力が…。





 しばらく空を飛びながら彼女に、今向かっている場所と、私について軽く説明した。

 そして、大使館に着いた私は、こんな真夜中であるにも関わらずせわしなく人々が蠢いている事に驚いた。

 お父様も、起きていた。そして、ものすごく、焦っていた。

 私は騒ぎの原因がわかったため、大使館近くの路地に降り立つ。

 そして不可視と無音を解いて、彼女をお姫様抱っこしたまま、大使館に向けて歩き出す。

 私は、腕の中の彼女を見て、

「今日のことは、秘密だよ?」

と少し、いたずらな笑顔でそう言ったのだった。




 大使館の門兵は、突然現れた私たちに一瞬武器を抜きかけるが、すぐに驚愕の表情に染まる。

「ひ、姫様!?…と、そちらは?いや、それより、今すぐに陛下たちの元へとお向かいになってください!よくぞご無事で…。本当に、良かったです…!」

 やっぱり。私が大使館をこっそり抜け出したのがばれているみたいだ。

 私は、怒られるだろうな…と重い足を引きずりながら、無事を伝えるために、大使館へと入っていった。






「この、大馬鹿者!私たちがどれだけ心配したと思っているの!?」

 腕に少女を抱きながら微妙な表情を浮かべて、執務室に入ってきた私に、お母様はそんな言葉をぶつける。お父様は、

「良かった…良かった…。」

と、呟きながら泣いている。

 そんな状態のまま、お母様の説教はしばらく続いた。




 しばらくの説教の後、お母様は私の腕に抱かれている少女に目をやると、ため息をついた。

「はあ…。で、その女の子は誰かしら?何があったか説明しなさい。」

 めちゃくちゃ怒っていてすごく怖いお母様。

 そして、私の彼女は今、私の後ろに私の服を掴んで、隠れるように立っている。




 私は、事の顛末を、少し変えて話した。

 私はまず、大使館の裏口からこっそり抜け出し、そして夜の街を見て回っていた。

 そしたら彼女がいじめられていたので、止めに入った。

 その過程でついカッとなって、雷襲魔法・フォールライトニングという魔法を使ってしまった、ということにした。

 私のオリジナル魔法ということを隠すため、見た目が似ているこの世界の魔法の名前を言っておいた。威力も形も全然違うのだが。



 そして彼女についてだが、行く当てもなく、頼れる人もいないらしいから連れて帰ってきた、ということにした。

 これは、帰り道に彼女と話して得た情報だ。

 さすがに親御さんとかがいたら、一言挨拶しないといけないと思ったからだ。

 まあもし本当に親がいて連れて行くなと言われても、何らかの手段で連れ帰っていただろうけれど。




 お母様はしばらく無言で考え込み、そして、静かに私に説く。

「そう…。しかし私たちは王族であり、一国を背負う身。それを忘れてはいないかしら。貴方が魔法を放った地区が、私たちの管轄の地区だからよかったものの、もし他国の管轄地だったら、その国との関係が悪化する可能性だって、あったのですよ。」

 たしかに、その通りだった。我が国は、世界平和の楔のような立場。

 他国との関係悪化は、世界平和の崩壊を招きかねないのだ。…失態だったな、反省。




 しかし、その後、お父様が横から会話に入ってきて、言い放った言葉に私は…。




「そうだぞ、テラス。我が国は、他国との関係がなにより大切。それはお前も理解していると思っていたのだがな。まあよい。今回のことで学べばよい!…さて、テラス。その後ろの少女、どういうつもりでここに連れてきたかは、わかった。だが、どこの国の者かも分からず、存在自体が厄介なのだ。そして、ここでいろいろ見て聞いてしまった以上、生きて返すわけにもいかないのだ。…許せ、テラスよ。これも王族としてっ…!?」

 お父様は途中でその言葉を止めた、止めざるを得なかった。




 自分の大切な娘が、背中の小娘を守るような形の強烈な黒い負のオーラを纏い、自分に対して敵意、いや、殺意をむき出しにする。

 そんな豹変を目にしてしまったのだから。

 お母様も、絶句する。



 ようやく掴んだこの手。ずっと切望し、一方的な愛しか与えられなかった存在に届いたこの手。

 この手を離させようとする存在は、どんな手段を用いても、排除しなくては。



「私の、彼女だ。害するのならば、例えお父様であろうが、容赦しない!」

 そう言った私は、黒い風を身に纏った。

 まるで、お父様を近づけさせないように。

 執務室内の家具が風によって、私から逃げるように離れていく。

 

 心の底から湧き上がってくるこの力は何だろう。すでに、視界は黒く染まっていた。




 とてつもない頭痛がする。目に浮かぶのは、前世の記憶。



 …そうだった。私は、学生なんかでは、無かったんだ。




 次の瞬間、私の視界は、まるで目が弾けた様に、白く染まった。

 そして、意識を失ったのだった…。

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