こうして鼻歌をうたいながら

尾八原ジュージ

こうして鼻歌をうたいながら

 わたし、祠を壊しました。近くを通るだけでもなんとなく不気味で、周囲の家は全部空き家になっていて、晴れた日の昼間でもそこだけなぜか暗く見える、触っただけでも祟りがあるとかいう噂のある祠です。

 お金がなくて道具が買えないので、家にあった大きなスコップを持っていきました。祠自体は相当古いし、小さなものだから、そんなものでも壊せるだろうと思いました。そのとおりで、わたしがスコップで何度か祠の屋根を叩くと、ウエハースでできているみたいに、バリバリとあっけなく崩れてしまいました。中に入ってた御札と木の箱も、まとめてスコップで何度も叩いて、その辺の土をかけました。そのころのわたしは毎日があまりに楽しくなくて、自分の人生をめちゃめちゃにしたくてたまらない気分だったので、果たして祟りとはどんなものなのか、どんな悪いことが起こるのか、どきどきしながらやりました。

 すると、木箱と御札を埋めた直後から、右肩がぐんと重くなりました。まるで誰かが、ふざけて顎をのせているような感じでした。それから耳元で、なにかぶつぶつ喋っているような声も聞こえ始めました。女の声でした。骸骨のように痩せて、油気のない髪を長く伸ばした女が、わたしの肩に尖った顎をのせている――そんな気がしてしかたがなくなりました。さすがに怖くなって、わたしは一度も振り返らずに家に帰りました。

 祠のあった場所から遠ざかっても、家に着いたあとも、肩は重いし、ぶつぶつ言う声は止みませんでした。だからやっぱりあれは祟るたぐいの祠だったのだと、わたしは確信したのでした。


 ところが不思議なことに、それからはとりたてて何も起こりませんでした。確かに肩は重いし、ぶつぶつ声も続いていました。でも、祟りというほどのおそろしい凶事となると、一向に訪れる気配がないのでした。

 何も起こらないのにしびれを切らしたわたしは、あるとき思い切って鏡を覗いてみました。肩には確かに尖った顎の感触や重みがあるのに、何も映っていませんでした。ほっとしたような、拍子抜けのような、おかしな気持ちになりました。

 ただ、家族には何かしら見えるようで、祖父母も両親も兄姉も、わたしを見るとぎょっとして、慌てて踵を返したり、自分の部屋に逃げ込んだりするのでした。おかげでわたしはふだんのように怒鳴られたり、叩かれたりすることもなく、ゆっくり一人で食事をとって、お風呂に入って、のんびり眠ることができるようになりました。布団に入ってしまうと肩の重さはあまり気にならなくなり、ぶつぶつ声も子守歌のように思えてきて、いつもより早く寝付くことができました。

 母に「家のものに触るな。部屋に閉じこもっていろ」と命じられたので、家事をする必要が一切なくなりました。わたしは言われた通りに部屋にこもって、勉強をしたり、図書室で借りた本を読んだりしました。

 学校でも肩の重さとぶつぶつ声は相変わらずでしたが、家族と違ってクラスメイトや先生たちには何も見えないらしく、だれにも避けられたりしませんでした。そのうち勉強と睡眠の時間が増えたためか、めきめきとテストの点数がよくなって、褒められることも増えました。わたしは生まれて初めて、学校というものが楽しくなりました。

 ただ祠を壊してから一週間ほどすると、わたしの舌に苔のようなものが生えてきました。何だろうと思っていたら、苔の生えたところがだんだんぼろぼろと崩れてきました。そしてとうとうある日、根元から一センチくらいを残して、舌がぼとんと取れてしまいました。でも、それだけでした。あとは痛くもかゆくもないし、血もほとんど出ませんでした。喋るのが億劫にはなりましたが、元々ほとんど口を利かない性質だったので、さほど困りはしませんでした。舌は取っておいてもしかたがないので、燃えるゴミと一緒にしておきました。


 父が帰ってこなくなりました。母は警察署に相談に行ったようでしたが、あまり嬉しくなさそうな顔で帰ってきました。

 それから兄が、続けて祖父が帰ってこなくなりました。家の中は女ばかりになりましたが、わたしはなんとも思いませんでした。というのも、家にいるときはほとんど自分の部屋に閉じこもっていたので、家族が何人かいなくなっても、影響というほどの影響を感じないのでした。

 少しして、今度は姉が帰ってこなくなりました。これで三人暮らしになりました。夜中になると祖母の叫び声が聞こえるようになりましたが、四六時中ぶつぶつ声が聞こえる生活に慣れたわたしにはさほどの騒音とも思えず、相変わらずの安眠をむさぼっていました。

 やがて祖母の姿も家の中から消えました。母は家族がいなくなるたびに警察署へ相談に行ったようですが、あまりはかばかしい答えは得られないようでした。

 このころになって、わたしはようやく「祠を壊したことをだれかに打ち明けてもいいかな」と思うようになりました。でも舌がなくて喋りにくいので、なかなか他人に話すきっかけがありませんでした。

 とうとう母も帰ってこなくなりました。ある日突然叫び始めて、裸足のままで家を飛び出したきり、どこに行ったかわからなくなってしまいました。

 こうして家に残っているのは、わたしだけになりました。相変わらず肩は重いし、ぶつぶつ声も聞こえていましたが、それはさほど悪いことではありませんでした。むしろ、一人で好き勝手に過ごせるし、使えるお金もあったので、これまでにないほど快適な暮らしを送ることができるようになりました。

 こうして心に余裕ができてみると、今更ながら身勝手に祠を壊したことが恥ずかしく、また申し訳なくなりました。

 わたしは祠があった場所に行ってみました。でも壊れた祠はいつのまにか片付けられ、何やら建物の土台らしきものまで作られていました。わたしは祠を直すどころか、破片を集めることすらもできず、すごすごと帰宅しました。

 しかし、これでは気が済みませんでした。そこで文句を言う家族がいないのをさいわい、家の庭に新しい祠を作ってみることにしました。

 大工仕事はほとんどできませんが、木箱に木の板を二枚、屋根のように載せてみると、簡単ながらなかなかそれらしいものに見えました。空っぽだと寂しいので、庭にあったきれいな石を中に入れてみました。それから水の入った湯飲みと、庭で摘んだ菊の花を供えて、ごめんなさいと手を合わせました。

 そうやってみても、肩は重いままで、ぶつぶつ声も相変わらずでした。でも、何かひとつ肩の荷を下ろしたような気分になりました。わたしは鼻歌をうたいながら、だれもいなくなった家に戻りました。

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