第2話 「.25口径と広がった翼」

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「えっ……えっと……そっ………その……ありがとう?」


伊集は、命の危機から抜け出したばかりで、緊張による震えが収まらないものの、辛うじて、命の恩人となった彼女に礼を言った。


向き合った正面から見れば、彼女の人間の身体との差異がはっきりと見える。

角に鱗に翼。背面からは見えなかったが、爪は人生で見たこともないような長さと太さで、カーブを描いたような、命を刈り取ると言わんばかりの形をしている。


何よりも際立つのが、女性の体に、動物の攻撃的な部分を取ってつけたような姿が、恐ろしさと同時に、独特な艶やかさを描き出していた。


幸いなことに、ある程度身体が鱗に覆われていて、大事であろう箇所は服のように隠されているため、伊集の顔が炙られるように赤くなることはなかったが、隙間から顔を出すように隠れた曲線美が、伊集の視線を彼女から逸らさせた。


少し前まで銃口を突きつけた男は、顔の中心にクレーターが如く窪みができているうえに、ぶつかった壁にはヒビが拡散している。彼女の力が只者ではない証拠であった。


彼女がゆっくりと立ち上がり、伊集へと一歩、一歩と近づく。


伊集は、もしかしたら彼女は、彼らと同じような見境のない敵意を持っているのではないかと思いつつも、言葉を通じ合わせようと試みた。


「大丈夫……ですか?」

伊集は、銃口を突きつけられてから意識の外にあった、自分がショットガンのグリップを握っていることを思い出し、ショットガンを地面へゆっくり落とす。


「...」


無言の返しをされつつ、伊集は彼女の顔をじっと見る。


ふと、伊集はバッグの中の保存食のことを思い出した。食べ物の分け与えは少なくとも敵意がないことを示せる。


急いでバッグを下ろし、詰めていた保存食のなかで、なるべく甘いものを取り出した。


氷砂糖、エナジーバー、ゼリー系、チョコ……

「あぁっと…このチョコはだめだな…」


ブランデー入りチョコ。かつて、伊集が店に頼み込み、品出し用の箱で買ったほど好んだチョコで、手に取れば舌と鼻に味が自然に蘇るほど食べたチョコである。


伊集が、これは惜しいなとバッグの中へ戻そうとした瞬間…


「お…さ…け…?」


伊集の手が止まる。

彼女の顔を見上げる。


飢えた獣の目。

涎の垂れた口。

急接近してくる爪。


「酒だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


伊集は彼女の豹変に心臓を吐きそうなぐらい驚くも、すぐさまバッグを蹴飛ばし、扉の方へと逃げ込み、すぐさま閉じた。




扉のガラス窓があったところから中の様子を恐る恐る見る。


彼女は慣れない手つきでチョコの箱を開けると、包装のプラスチックを引きちぎり、、箱を口まで持っていき、ペットボトル飲料の如く口の中に放り込んだ。


「あっ! ちょっ…ちょっとぉ!」


伊集は本日、二度目の危機にあったにもかかわらず、勢いのままにドアを蹴り開け、彼女へと駆け寄った。


「それは僕の大事な大事なやつっ!」


「ふぉふぁへふぁーひふひ!」

恐らく、「お酒だーいすき」とでも言ったのだろうか。口いっぱいに頬張りこみながら、満面の笑みを浮かべる彼女。


伊集は、思いっきり頬を引っ張ろうとしたが、勢いがなくなってきたおかげで、彼女の人でない部分を思い出し、自分の昂りをどうにか鎮めた。


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「自己紹介がまだだったな!」

「私はクイー! あの『大皇帝』 からも信仰される唯一の種族であり、大陸の全土をも支配すr」


「ちょっとまって… 理解が追いつかないんだけれど、その…大皇帝とか種族とか…」


「えぇ〜! 君は我々のことを、全く知らぬのか? ...ふ〜む… もしかしなくても、私はかなり辺鄙な土地まで飛ばされたようであるな!」


クイーは、伊集が抱いていた最初の印象とは全く違く、自慢げな物言いと大袈裟な身振り、自信の裏付けのような、瑠璃色の目の輝きが、彼女を今いる場所の薄暗く、寒さだけが横たわる空間から彼女を浮かせるように、輝いていた。


「それで...そなたは?」


「僕は"伊集 銘"。特にどうってことない、ただの学生だよ。あぁっと…大学生。」


「ほぅ!"イシュー"か。 よろしく頼もう!」

「大学生っと、いうことは博識の徒か。 確か…薬草の混合実験だとか、漂浪鉄から炎金への変換研究とかに勤しんでいるのだな!」


「えぇっと…」


これも、生きている世界の違いなのだろうか。しかし、あまりに否定しすぎても、すれ違いだけが生まれていくだけかもしれない。伊集は彼女でもなるべくわかりそうな単語で応えた。


「僕の学んだことは未来予測......かな。機械に色んな事を学ばせて、お目当ての物事がどんな可能性であるかを探すんだ。」


「あの歯車仕掛けも、この土地だとそんなすごいことに使われているんだな!」


少し違うところがありながらも、ある程度は通るのだろう。もしかしたら、クイーの本来の場所は中世の時代なのかもしれない。


伊集は会話が通じることにホッとしながら、気にしていた事をクイーに問いた。


「お酒…そんなに好きなの?」


クイーは目をさらに輝かせて応えた。

「ああ! よく巡礼者達がお供え物で持って来るんだ。 ずぅっっっっっっと暇だからさ。ずぅっっっっっっと飲んでいたい。」

「あの奇抜な酒は良かったぞ イシュー! チョコの中に酒が入っているなど聞いたことがなかった! 今度、巡礼者に作らせてやろうかな。」


なるほど、本来の世界だと、神様のような存在らしい。そんな存在でさえ酒に頼るのか。伊集は、そんな小言を思い浮かべていた。


「あれ、僕の...」


「まぁまぁ…そっちも間一髪で助かったんだし、これでチャラということで…」

クイーは、バツの悪そうな顔で手を背に当てながら、自分が殴り飛ばした男を見つめた。




しゃがれた、低い男の声が聞こえてくる。

「こっちだぁ! 『錆釘』兄貴ぃ!」


集団が慌ただしく走る音が伊集達の方へと近づいてくる。


「おおっと、誰か来たようだな。 ここは一つ、あやつらに熱いお灸を据えてやろうではないか。」

クイーはなんの警戒も無しに、音の方へと向かっていく。


「待って! そいつらは...」


「気にすることは無いぞイシュー! 私の前で武器を手放さずにいられるほど肝の座ったやつはいない。」


クイーは伊集の制止にも応じず、扉を勢いよく開き、いまだに薄暗く、寒いスーパーの方へと、向かってくる集団と相対する。

伊集は猛烈に迫り来る嫌な予感で震えそうになりながらも、ショットガンを拾い上げて持ち直し、ゆっくりと弾を装填する。


「我が名はクイー! 我に歯向かうものは誰一人としt」


クイーが名乗りを言い終わる前に、クイーの肩あたりをハープーンが掠め、発砲音が遅れて響く。


「なっ 名乗りすらしないとは! 卑怯な輩め!」


伊集はクイーがこっちの方へ逃げてくると思い、追ってきた彼らを撃とうと思っていたが、その思惑に反し、クイーは翼を広げながら、発砲してきた者の方へと走り出していく。


「無駄無駄無駄ァ!!」

クイーは叫びながら、突き進んでいく。複数のフルオートの銃声が彼らから放たれ、クイーの体と翼に当たっていくも、乾いた鉄の音と共に、火花を散らしながら跳弾し、貫通する様子が全く見られない。


伊集は、彼女の思い切りの良さに泣きそうになりながらも、撃たれることを覚悟の上で、クイーの方へと向かって行った。


クイーは怯むことなく突き進み、彼らの激鉄の響きを奥へ、出口の方へと押し込んでいく。

伊集も、クイーの後ろにいながら、銃の制圧射撃が止む機会を伺いつつ、前方へショットガンを撃っていく。命中する目処は立たないものの、彼らのうちの何人かは前に出過ぎたがために、弾が命中し、鮮血を廊下に散らしている。


撃ってくる彼らを出口直前まで押し込んだ時、伊集の目の前が鮮血で真っ赤に濡れ、ハープーンが首スレスレを掠めた。


「クイーっ!」


彼女の翼の一部分が貫通されたらしく、痛みのためか、突進の勢いが弱まり、少しうずくまるように姿勢が低くなる。

「っっ... 案ずるな! かすり傷だ」

クイーはそう言うも、貫かれた跡から血が滲み出し続けていた。


彼らの歓喜するような声が聞こえてくる。

「兄貴ナイス! さあ早く次の祈りを!早くッ!」

「俺ら『釘打ち部隊』の根性の見せ場だ!」


太陽の光か、幾分かマシになった明るさが故に、彼らがはっきりと見えてくる。

おおよそ6人。突進の最中に2人、倒れているのを見たため、元は8人だったのだろう。

伊集を追っていた二人組と服装はあまり変わらないが、1人だけ、異質な者がいる。

大柄な体格に鹿の頭骨、血飛沫のかかった汚れのロングコート、聖書のような分厚い書物を左腕で胸に当てながら、右腕で大型のハープーンガンを構え、息苦しそうな声で呪文のような言葉を繰り返し唱えている。


彼らが「兄貴」に発砲を急かすも、祈りが終わらなければ撃てない、あるいは撃たないのか、ハープーンガンをクイーへ向けたまま祈りを唱え続けている。


伊集は「兄貴」を目掛けて発砲しようとトリガーを引くも、乾いた音しか響かない。弾切れだ。

伊集は冷や汗をかきながらバッグの横ポケットを手探りで確認するも、ショットガンのシェルらしきものは1つもない。


痛みに慣れてきたのか、クイーはいきなり、彼らの中で比較的前の方にいた男目掛けて飛びかかり、胸ぐらを掴んで壁に向かって投げる。

骨が何本か粉砕されたような音と共に、男が持っていた銃が右腕から離され、伊集の足元へ滑り込む。


伊集はその銃を拾いあげ、残りの5人に目掛けて撃ち放つ。


向こうは、恐怖のあまりか、2人が悲鳴をあげながら一目散に逃げていき、相対する残りは「兄貴」を含めた3人になった。



外は依然として雪が降り続いている。

あたり一面に積雪しか無い駐車場、細長く立つ照明も、何本かは電球部分はへし折れている。


クイー達は彼らを外まで追い込んだ。


「そろそろ降参したほうがいいんじゃないか?」

クイーが威勢よく彼らに向かって言う。


彼らの様子を見るに、かなりの焦燥感で張り詰めていた。銃弾が効かない相手、唯一の対抗手段も再装填までにあまりにも遅い。


「兄貴...やっぱすまねぇ 仇は後でとるからさ... すまんっ!」

一人がそう言うと、後ずさるように逃げていき、とうとう、クイー達と同数となった。


「寄せ集めの盗賊集団のようだな 呆れるほど団結力が無い...」

クイーが哀れんで呟き、彼らを冷たい眼差しで見つめる。


伊集は用心深く彼らの様子を見、また引き金を引かないかに注視する。

「兄貴」はいまだに唱えながら、ハープーンガンを構え続けており、その側にいる一人は、震えた手で銃を伊集側へと構えているが、顔は「兄貴」の方を向いて、彼が撃つのを待っている。


「Deus, Deus, ne derelinquas me」

死に際の息遣いのような声が伊集の耳へと入ってくる。


「Vita profananda」

くぐもった声、しかし確かに聞こえてくる声は「兄貴」の口が紡ぎ出したものであった。

ハープーンガンが下され、胸に当てていた書物を開きながら腕を挙げて高く掲げる。


「Ignosce mihi」

肺の奥底からの声を吐き出した瞬間、書物が握り潰されたかのように赤い血のような液体へと変わり、彼の側にいた仲間は血反吐を吐きは出し始め、うずくまるように前から倒れ込んだ。

背中で何かが蠢くと同時に、脊髄のような物、いや、脊髄が勢いよく剥がれるように皮膚を突き破って分離し、それと同時に事切れたように動かなくなった。


伊集はグロテスクな状況に目を向けられず、目を背け、クイーの方を見た。

クイーは耐性があるのだろうか、「兄貴」と死体の方を驚くように後退りしながら見続けているが、禁忌を犯した者を見るような、驚きと少し怒りがこもったような眼であった。


「兄貴」は出てきた脊髄を引き抜き、何を思ったかそれを思いっきり腹部へと突き刺した。


「愚か者っ!! 後戻りできぬ道を選んで何になる気だ!」

クイーの怒号が「兄貴」に向かって飛んでくるも、全く聞いていないのか、脊髄を腹の奥へと押し込んでいく。


「兄貴」の被っていた鹿の頭骨の空いた目から赤黒い煙が吹き出、ロングコートの袖からはドス黒い粘液が垂れ滴る。


「まさか.......」

クイーの声はさっきの怒号とは変わり、威勢の消えた、少し震えるような声でだった。

槍撃手ゲラルド...」


「兄貴」はクイーの言葉に反応するかのように、ハープーンガンを片手で構えながらクイーを目掛けて撃ち込んだ。


クイーは身を回転させるようにして躱し、ハープーンは地面へと突き刺さる。しかし、突き刺さった場所から、彼の袖から出ていた液体であろう物が吹き出るように辺りに飛び散り、純白の雪を黒く染めていく。


「クイー...」

伊集は処理し切れないことが一斉に頭の中に飛び込んできたようで、その場に固まったが如く動けなくなってしまった。


「逃げるよイシュー!」

クイーは伊集の手を思いっきり引っ張り、半ば引きずるように逃げる。


「兄貴」はそんな彼らに目掛けて、ハープーンを何度も何度も撃ち込んでいく。

黒い液体には浸食作用があるのか、付いた雪からは焼けるような音と共に溶けていき、鉄が腐ったような匂いを撒き散らしていく。


クイー達は悍ましい匂いにえずきながらも、「兄貴」と距離を離していく。

「兄貴」のハープーンが届かない距離まで走った時、クイー達目掛けて廃車が豪快な音と衝撃波と共に飛び込んできた。

幸いにも、その前にクイーが足をつまずかせてしまい、伊集もそれに釣られて倒れていたため、当たらずに済み、廃車は鉄の潰れる音を出しながら転がっていった。


クイー達が痛む足を起こし、廃車の飛んできた方向を見ると、黒い液体の水溜りから巨大な触手が生えており、まだ駐車場にいくつか残っている車をクイー達目掛けて投げつけていた。


「捕まってて! イシュー!」

クイーはそう伊集に言うと、伊集を抱き抱えながら、翼を広げ、助走をつけて飛び立つ。

先に投げられていた物は2秒前までクイー達がいた場所に叩きつけられていく。


伊集が逃げ切れたと思い、ほっとため息をついたのも束の間、伊集の足が強い力によって引っ張られる。


触手がクイー達の直下の地面に生えたようで、飛ぶのを阻止するように伊集を引っ張る。


クイーは触手に引っ張られながらも、伊集の腕をしっかりと握り、翼を大きく羽ばたかせている。


しかしそれも、「兄貴」の思惑どうりか、その隙を狙って触手によって車が投擲され、風を切る音と共にクイー達へと急接近していく。


ついにはここまでかと、伊集はクイーだけを逃す選択肢をも取ろうとしたが、クイーは伊集の腕から血が出てしまうほど強く握っている。


伊集の顔面近くまで鉄の塊が迫ったその時、触手が縮むが如く、水溜まりの中へと引き戻されていき、クイーも伊集も、それに釣られて地面の雪に叩きつけられるように着地した。


何が起こったかがわからないのも束の間、クイー達の後ろから、ロケットランチャーの弾が発射され、「兄貴」に着弾した。爆ぜる音が響き、「兄貴」のいた場所を覆い隠すような硝煙が昇っていく。


「こっちよ! 早く来て!」

女性の人の声がクイー達に向かって発せられ、軍用トラックがエンジン音を鳴らしながら向かい、クイー達の近くでドリフトすると共に、荷台の部分をクイー達に向ける。


「早く乗り込んで!」

荷台から軍の制帽を被った金髪の女性が身を乗り出しながらクイー達に手を振る。


クイーは着地の衝撃で気絶しているのか、頭の上にひよこが回っていると言わんばかりにフラフラとしていたため、伊集はクイーの手を引っ張りながら軍用トラックまで連れていき、荷台へと引っ張り上げた。


「あっ ありがとうございます」

伊集は金髪の女性に礼を言うも、極度の疲労で、さっきまで動いていた体が糸が抜けたように動かなくなり、目を開いておくことさえ困難になり、そのまま荷台に倒れ込んでしまった。


「生存者二人確保。 引き上げて頂戴!」

金髪の女性は操縦席に向かってそう言うと、軍用トラックはまたエンジン音の唸り声を上げながら、どこかへと向かっていった。

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Gray Zone ~~異形の者と脱出者達~~ 無縁衆 @THERMIDOOR-9

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