Gray Zone ~~異形の者と脱出者達~~

無縁衆

第一章 「Into Gray Zone」

第1話 起章「.32口径と鱗の手」

「緊急放送です。 これは訓練ではありません。ニューヨーク州、ニュージャージー州、...」

けたたましい程の音でテレビが放送を流す。家々から鳴り響く大合唱は、時計が深夜を指しているにも関わらず、眠りにつき掛けた心臓を無理やりに叩き起こし、釘付けにする。

「...州で異常事態が発生しています。速やかに安全を確保し、南部、西部へ避難してください。『亀裂』を発見した場合、直ちに離れてください。絶対に触れないでください。繰り返します...」


窓を開ければ、どんな朝ですら見れないであろう光景、大通りに行列をなして逃げる人々と、めいめいがクラクションを鳴らし、急かす車の列が嫌でも目に入る。

マンションの窓から見ていた青年も、その列へと加わるために荷物をまとめ、避難の支度をしていた、その時だった。


人々の列の向かう方向、それを横切るが如く、紫と赤が入り混じったような『亀裂』が走り、さっきまでそこにいた全てを飲み込んでゆく。列の進行方向は真っ逆様。車道はバックしようとする者と、『亀裂』に気づかずに前へと押し進む者へと分かれ、残った中間はプレス機に入れられた玩具のように潰れていく。


阿鼻叫喚の光景を見た青年は、ただ立ち尽くすだけだった。逃げ場のない、警報の鳴り響く街を見ながら。


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~アメリカ_ペンシルベニア州_AM 10:24~


「もう...こんなに荒れ果てちゃったんだな...」

厚めのコートにジーンズ、キャンプ用のバッグを背負った青年がかじかむ両手を擦り合わせながら、電気のつかない暗いスーパーの中へと入って行った。


あの「災害」から、夏であるにも関わらず、豪雪に近いほどの雪が毎日降るようになり、かつての街の面影は『亀裂』によって地面ごと滅茶苦茶になってしまっていた。

青年も、少し前であったはずの日常がいつの間にか2年前のような感覚になってしまい、かつてと同じものを見ると懐かしい気持ちが沸くようになってしまった。


青年の名前は"伊集 銘"。元々は日本で生まれ育ったが、母親の再婚によって中学卒業と同時にアメリカへ移り住み、18歳の誕生日に「災害」が起こってしまうまで、普通の大学生活を送っていた。日本に残っていればこんなパニック映画みたいな事態に巻き込まれなくて済んだのに...、彼はもはやそう思う他になかった。


彼が、家であったマンションが『亀裂』で倒壊し、出ることを強制されてから1週間。バッグの中に入っていた食料は底を尽きたうえに、頼る人はおろか、人の影すら見当たらないこの街では、もはや頼る手段が、もぬけの殻になった商業施設から漁ることしか無くなっていた。


缶詰、缶詰、保存食。保存の効くような菓子をバッグに詰め込んでいっている途中、彼はまるで自分が強盗のようになってしまったような、しかし、この緊急事態で誰が自分の行動を責めるのだろうかというような気持ちで胸がいっぱいになり、詰め込む手を止め、天井を見上げた。

しばらくして、気持ちの整理がついたのか、バッグいっぱいに詰め込んだ後、今では店員一人すらいないレジへ向かい、詰め込んだ分、おそらく少しお釣りが出るであろう額のお金を置いた。当然、この状況では全く意味がない。しかし、彼の気持ちは、わだかまりが晴れたようだった。


カツッ カツッ


彼から発されていない、誰かが歩く音が遠くの方から聞こえてくる。

自分以外にこの街に残っていた人もいるのかと、彼は内心、少し喜びながら、音の方向へと歩いていく。


二人組の男性。しかし、服装は伊集と同じような厚着の普段着ではなく、軍人だと1目でわかる服と装備、骸骨の描かれたフェイスマスク。近付こうものなら、銃口を向けられるような雰囲気が漂っていた。

伊集は、近くの商品棚に身を隠しながら、話し続ける二人組が通り過ぎるのを待った。


「動くもんは迷わず撃ってもいいんだよなぁ?」


「問題無し。ここいら一帯にいるのはもう悪党ぐらいだ。『奴ら』はもういないが。」


「まったく、上の連中も不安症だな。ネブラスカにいられれば、『奴ら』と聖戦できたんだがなぁ」


「『奴ら』に侵食されれば一発アウトだ。一回でも出てきた場所からは何回でも出てくる可能性がある。永遠に出てこないことはないだろう。」


「チッ 面倒くせえ。 嫌になっちまうよ。 こんな寒いだけの退屈な場所。」


物騒な言葉しか出てこない会話を、緊張を抑えながら聞き、どのようにしてこの状況から逃げようか考えていた矢先、恐らく、縛っていた結びが緩かったために、バッグの横から落ちてしまったショットガンが、甲高い音を立ててしまった。


ダンッ


発砲音が響き渡り、弾が地面に当たった音が間近に響く。


「ムダ撃ちするな。弾代を考えろ」


「まぁ確実に何かがこん中にいるってことは分かったよな! とっ捕まえんぞ!」


伊集は慌てて、落ちたショットガンを拾い、弾が装填されているかを不慣れな手つきで震えながら確認する。

彼らが近づいてくる。


「間違いねえ! ここら辺だぁ!」


「死角と待ち伏せに気をつけろ。 気を引き締めていけ。」


破裂しそうな心臓を無理やり押さえつけ、ゆっくりとショットガンを構える。

そして、こちらへ向かってくる足が見えたとき、思いっきり引き金を引いた。


ダンッ!


緊張で瞳孔が完全に開いた目が捕えたのは、血の飛沫。


「アッッッッッッ! ヒィィッ!」

撃たれた者の痛みに悶える声が銃声と張り合うような響きで響き渡る。


「大丈夫か! おいっ!」


彼らの注意が逸れている間に、出口の方向へと走る。


ダダダッ! ダダダッ!


もう少しで進んでいたであろう方向の地面に次々と穴が開いたのを見た瞬間、伊集は向かっていた反対側、スーパーの奥の方へと逃げてしまう。


方向を考える余裕すらない状態。奥の暗く、入り組んだ道でなんとか振り切ろうと必死に逃げるが、相手はタクティカルライトで周囲を照らしながら、着実に伊集の方へと近づいていく。


伊集は、心臓が痛いほどの緊張と焦りの中、見つけたドアに咄嗟に入り、待ち伏せでこの状況を打開できないかと、ドア裏に隠れる。

もう一度、ショットガンの装填を確認し、相手が入ってきた瞬間に打ち込めるように構える。


タクティカルライトがドアを照らした瞬間だった。

ドアの窓を突き破って入ってきたのは細長い筒。


"手榴弾"


脳内でそう分かっても、それを対処する術はなく。伊集の視界は瞬く間に目を焼く程の光に包まれた。

目の痛さに悶えながらも、自分の死が間近に迫っていることが底力を出させたのか、腰が抜けながらも、伊集は構えたショットガンを離すことなく、トリガー何回も引く。


「やっぱり、フラッシュバンは役に立つな。」

追手の声がする。


「『奴ら』かと思えば...小僧か。」

「っていうことは『ファーストフォール』の生き残りか...。運良いんだな。」

「それも、ここで尽きたみたいだな。調子乗りやがって」


かろうじて見える伊集の視界からは、ゆっくりと近づく追手の影のような姿が間近に見える。

伊集の額に銃口がついに当てられ、追手の顔が伊集を見下ろすように影を落とす。


「今じゃクズだが、昔は神父だったんでね。 15秒。 なにか言い残すことはあるか?」


もはや逃げられない死に絶望し、伊集はただ天井を見上げるだけだった。


余命5秒。


伊集の口から遺言が出てこないことにため息をついた。

「何もないのか? そんなにつまらない人生だったのか?」

「家族はどうだ? 父は? 母は? 兄弟にも言いたいことは無いのか?」

「友人なんかもどうだ? 好きな人の一人ぐらいはお前にだっているだろう?」


「何も...無いんです。」


「あぁ...そうか。 感謝すらないんだな」


「結局...誰かの目的のために"生かされていた"、それだけです おそらく 多分...」


無音と暗闇が対面した二人を取り囲むようにへばり付く。


追手は想定していなかった言葉に何か思うところがあったのか、銃口がゆっくりと下がっていったが、握り直すように、銃口をまた額の位置へと戻した。


「セカンドチャンスがあるんだとしたら、次はもっと上手く立ち回ることだな」

カウントが始まる


「5」


ただ天井を見上げる。それは、走馬灯を頭の中で巡らすためか、


「4」


無機質なコンクリートの天井、色の無かった中学時代、場所が変われども、目に入るものは本だけで、


「3」


誰とも話さず、怒られないためだけに勉強し、トップの成績でも祝うものは誰一人としていない


「2」


ふと、天井に赤紫の絵の具のしみのような模様が入っていった。

思えば、あの日から自由になれたと思った。だけれど、自由が目の前にあっても、首輪で繋がれた心はそれを許さない


「1」


『しみ』から悍ましい配色の手が伸びてくる。

誰かが敷いた安全なレールをただ誰よりも早く歩いただけだった。それから逃げようとしたなら、その誰かがレールごと握りつぶすだけなのだろう


「0」

ただ、目を閉じ、トリガーが引かれるのを待つだけだった。






ドスっ!


明らかに、撃鉄ではない音。


閉じた目をゆっくり開けば、そこには倒れた2つの人影。

下敷きにされたのは、さっきまで自分を殺そうとしていた者


もう一人は... 女性... 人...?


前方から倒れたのか、伊集から見えるのは背中部分だけだったが、明らかに"人"とは違う。


腕から手、腰から脚には岩のような鱗。


後頭部から生えている羊のツノ。


そして、背中から生えている翼。


あまりにも現実離れした状況に、伊集は足すら動かず、ただ固まるだけであった。


「ツッッッ 痛ッッてぇ...」

下敷きにされた男の方は気絶していなかったのか、何が起こったのか全くわからない様子で周りを見渡した。

そして、自分に落ちてきた 人...? を見た瞬間、鼓膜が飛ぶのではないかと思うような声量で叫び始め、 彼女...? もそれによって目が覚めたのか、驚いた様子で、反応するように叫び始めた。


そのおかげだろうか、伊集はさっきまで置かれていた状況をやっと思い出し、逃げ出そうとするが、もはやその必要がないことが、その数秒後に分かった。


ドゴぉッ!


彼女の馬鹿力で出た右ストレートが、追手だった男の顔面を目掛けて放たれた。


前歯が全損したであろう物騒な音をたてて壁へと吹き飛ばされ、男は力無く倒れた。


伊集は、さっきまでと別ベクトルの意味で腰を抜かし、その場から動けなくなってしまった。


彼女と伊集、バラバラな呼吸音でそれぞれが息を整える中、ついに目が合ってしまう。


再び、張り裂けそうな痛みを発する伊集の心臓。彼はただ、意識を保つことに全力を尽くしていた。

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