第2話  橘花 深月

2023年4月15日  13時14分

双葉総合病院 10階  第一内科 




橘花たちばな深月みづきが、お昼休憩から戻って来ると、ナースステーションの中が騒がしかった。


部屋の中央にある大きな作業台の横で、ナースやドクターが4〜5人が集まって、顔を寄せ合い、真剣な顔で何かを話していた。その周りにも幾つかの小さいグループが出来ていて、やはり何やら喋っている。


深月みづきは、本来なら1時間与えられるお昼休憩を30分も取れなかったというのに、そのわずかな時間で完全に浦島太郎状態になってしまったのだ。


「ねぇ、何があったの」

ナース5年目の深月みづきは、隣にいる2つ年下のナース、藤真ふじま夏美なつみに声を掛けた。

「あぁ橘花たちばなさん!! そっか!休憩入ってたから、分からないですよねっ!! 」

夏美なつみはだいぶ興奮していた。

「実はさっき、にヤクザが入院してきたんですよっ!!」

夏美が「ヤバい、怖い〜」と付け加えて答えた。

深月みづきは「なんだ、そんな事か...」と、表情ひとつ変えずに呟いた。

夏美は、そのリアクションに納得がいかなかったらしく

「"そんな事"じゃ済まされない事ですよっ!!」と反論した。


深月が働いている「県立双葉総合病院」は、病床数400を超える、それなりに大きな病院で、この辺りで唯一、救急センターも合わせ持っていた。その為、毎日沢山の患者が来る。

その中にはもちろん、反社会的な人間も来るだろう。

さらに、近くに繁華街があるせいで、酒に酔った大人や、チンピラ達が大喧嘩して、怪我をして運ばれてくる事も少なくなかった。

救急センターに勤めている同期の咲良さくら

「マジいい加減にしろってんだよ。ここはテメェらの保健室じゃねーんだよっ!!」

とキレていた事を深月は忘れられないでいる。


「でもさ、ヤクザの入院患者なんて珍しくないじゃん。あの人達だって人間だもん、盲腸腫れたり、尿管結石で運ばれたり、糖尿病の教育入院とか、結構あるんじゃない?」

と、深月は夏美に向かって言った。

「違うんですよ。普通の入院じゃないんですよ。なんでも、ヤクザ同士のケンカで!重症らしいですよ!その人!!」

「喧嘩?ったく...いい大人が何やってんだか...毎度の事ながら呆れるわ」

このセリフは咲良からの受け売りだ。

「あぁ、ケンカって表現はちょっと優しかったかも」

即座に夏美が訂正をする。

「正確にはって言ってました。」

「抗争!?」

聞き慣れない言葉に深月は思わず目を丸くする。その反応を見て夏美が「そうこなきゃ!!」と言わんばかりに続ける。

「ナントカ組の親分をナントカ組のヤクザたちが狙ったんですよ。ウワサじゃ殺そうとしたんじゃないかって!!」

「それは物騒だね」

「ですよねっ!?」

夏美が楽しそうだ。

「なんでも、ボッコボコに殴られて顔面ぐっちゃぐちゃで元の顔が分からない上に、銃で撃たれて、半殺し状態で双葉病院ここに運ばれたらしいですよ。ヤバくないですか?!」

「銃で撃たれたの!?怖っ!!」

「でしょ!?初めてですよ、こんなの〜」

「でもさ、ここ内科だよ?入院するなら外科じゃない?」

深月の疑問を聞いて、夏美が大きくため息をついた。

「だからどこの科も拒否ってんですよ」

「なんで?ヤクザだから?」

「もぉ〜病院の外、見ました?黒いスーツ着た、ガラの悪そ〜な男の人がスッゴイいっぱい居るじゃないですかっ!! これは相手のヤクザが、息の根を止めに殴り込みに来るかもしれないからコッチの子分が見張ってるんだって話ですよ。どうします?病室まで襲いに来たら。怖じゃないですかぁぁぁ〜 だからどこの科も拒否るんですよ」

「いくらなんでも、病院までは来ないでしょう。警察呼ばれたら、あっちが困るんじゃない?」

冷静さを崩さない深月のことが面白くなかったのか、夏美が窓の外を見るように促す。

「深月さん、外見て下さい。ほら、あそこに黒い人が居るじゃないですか」

深月は夏美が指を差した方を見る

「あと、あっちにも!!あれは全部ヤクザですよっ!! これは絶対に」

どれどれ、、と、深月は窓の外を見た。確かに黒いスーツを来た体格の良さげな男が2人並んで話していた。

深月は、その黒い男達を見ていて、ある事を思い出した。

「そういえばわたし、朝の売店で黒スーツの男の人に、コーヒーぶちまけちゃったんだよね、あの後、あの人 大丈夫だったかな?」

「えぇっ!?ヤバくないですか?大丈夫でした!?」

「うん。なんか“気にしないで〜"って言い残して、どっか行っちゃった。でも靴元にも盛大にかかっちゃったから、絶対に気持ち悪いと思うんだよね。...本当に大丈夫なのかな」

「深月さん...心配する所が違いますよ...ヤクザだったらどうしよう..でしょ?」

「そうかな?でも、病院っていろんな人が来る所じゃん。患者さんだじゃなくて、営業に来てる製薬会社の人とか、医療機メーカーの人とか...その人達かもよ?」


何を言ってもノリの悪い深月を相手に、夏美がガックリと肩を下げた所で、師長がナースステーションに入ってきた。

ざわついていた空間がスッと静かになる。みんなが師長に注目する。ヤクザの入院患者について、何か新しい情報が入るかもしれないと、興味深々なのだ。


「皆さん、もうお分かりだと思いますが....」


師長の一声にナースステーションが静まり返る。そして皆、師長の次の言葉を固唾を飲み込んで待っていた。

「特別個室の1002号室に入院患者さんが入りました」


深月は「特別個室!?」と思った。

この特別個室は他の個別の病室より広く作られている。

双葉総合病院には全部で3部屋あって、そのうちの一部屋が深月が働く内科にある。

大体の広さは20㎡から80㎡と様々だけど、部その中はどこかのホテルと間違えてしまいそうになるほど、格調高く作られている。

大きい部屋では、付き添いの人もゆったりと休む事ができる部屋や、数人集まって会議が出来る部屋などがあって、まさに特別だ。

更に、特別個室の全ては

洗面所、トイレ、シャワー室が完備されていて、その他にも、大容量のクローゼット、大型のテレビ、冷蔵庫、洗濯乾燥機まであった。

そして何よりプライバシーの確保が徹底していて、他の病室からは離れた所にあり、病院の一階から専用のエレベーターで上がってくる事が出来た。

つまり、他の患者さんや、お見舞いに来た人達との接触をほぼ無くす事が出来るのだった。

その為、会社の経営者、政界人、芸能人などがよく使っている。

当然この部屋は高設備の為、一泊の料金が恐ろしいほど高く、ナースやドクターは「VIP部屋」と揶揄して呼んでいた。


さて、内科のナースステーションは相変わらず緊張感が漂っていた。

師長の次の言葉を皆んな待っていた。

「そして、これも皆さんご存知だとは思いますが、お仕事がとても特殊な方なので、言葉遣いに気をつけるようにして下さい」

その言葉を聞いて、隣りにいた夏美が深月の肘の辺りをコツンと突いた。

(はいはい、ヤクザだからね...)

深月は夏美に向かって小さく頷く。


「それでですね...」


続く師長の言葉を聞いた瞬間、深月は嫌な予感がした。できれば、一生聞きたくない。そんな感じだ。

静まり返ったこの雰囲気から察するに、他のスタッフも深月と同じく嫌な予感を感じているのではないかと思う。


「担当のナースを決めなくてはなりません」


(やっぱり.....)

ここでは、患者一人一人に、担当ナースが付く。

深月は思わず下を向いて目を瞑った。どうか自分になりませんように、、と

ヤクザだって病気に掛かる。職業で病院側が拒否する事は出来ない。

だけど、なるべく関わりたくない。

それが本心だ。


心の中で「外れろ」と念じて顔を上げた瞬間。

師長と目が合った。「ヤバい」と思ったその瞬間

橘花たちばなさん。目が合いましたね。では、よろしく」

そう短く言い残して師長は何処かへ去って行った。

深月の後ろに立っていた、ずんぐりむっくりな眼鏡ドクターに「ご愁傷様」と言われ

「シャレになんないですよ」と返した。





◇ ◇ ◇



13時52分 10階 内科 特別個室

1002号室前





深月は特別ヤクザ個室の前にいた。

これから入院の手続きやら、注意事項やら、部屋の説明などしなければならない。

そして、病室に入る前に再度カルテをチェックした。


久城くじょう りつ 48歳

現在、治療中の病気はないが、既往歴には

5年前に「外傷」記してある。

—— 外傷って何よ..もしかして、とか?


ここに来て、急に怖くなった。

夏美にヤクザの患者なんて珍しくない

と、カッコつけた事を今更後悔する。

あんな事を言わなければ、担当看護師を任された瞬間、意義を申し立てられたのに...

ヤクザに腰を引けているワケではないが、出来れば関わりたくはない。

それが本心だった。


——そういえば、夏美が顔面ぐっちゃぐちゃって言ってたな..


その言葉を思い出して、ことさら恐ろしくなる。

実は、深月は看護師でありながら、のもなのも見るのが苦手だった。

しかし、そうも言ってられないので覚悟を決める。


1002号室の扉をノックした。

すぐに「はい」と、低くて張りのある声が返って来た。

深月は静かに扉を開けた。

ベッドの隣に若い男が座っていた。

深月は一瞬、躊躇って動きが止まってしまった。

本人は重症だろうから、付き添いの人がいるかもしれないとは思っていたが、その付き添いの人が深月が想像しているより、ずっとだったからだ。


「失礼します。久城 律さんでいらっしゃいますよね?」

いつもなら、「⚪︎⚪︎さん

と、確認する所を「ですね?」と言ってしまった。

すると、椅子に座っていた男がスッっと立ち上がって

「はい、そうです」と答えた。

座っていると分からないが、立つと身長が高かった。手足も長く、まるでモデルの様なスタイルだ。


付き添いの男は、「お世話になります」と深々とお辞儀をした。

「あ、こちらこそ...」

あまりの態度の良さに深月は面食らってしまう。

「久城さんの担当になりました。看護師の橘花です。よろしくお願いします」

深月も、深々と頭を下げる。

「ええと...ご家族の方でいらっしゃいますか?」

この人は息子だろうか..それとも...

と、そんな事を考えながら相手の返事を待った。

「あ、わたしは部下の者で、蓮水はすみ じんといいます」

「はすみさんですね」

名前を復唱しながら、手元のメモに名前を記した。

会社の部下というと、子分だろうか。


深月の想像するヤクザの子分と言うと、体格が良い。派手な柄のシャツを着ている。首元にはゴールドのネックレス。シャツのボタンを必要以上に開け、はだけた胸元には濃い体毛。そして、口元や顎にヒゲ。更に、薄い茶色のサングラス。

というイメージだったのに

目の前にいる蓮水という子分は

漆黒のような艶やかな髪で、襟足は短くきれいに整えられてあり、前髪も6対4で、きっちりと分けてセットしていた。

そして、白いワイシャツに黒のスラックスという清潔感のある服装で、胸元のボタンも1番上しか外していなかった。

シャツの袖は肘の少し下までまくられていて、そのから見える腕は白くキレイな肌で、適度に付いた筋肉が何ともセクシーだった。

だから、「キレイ」なのだ。

ヤクザらしくない。

むしろ、大企業の重要なポストに就ていそうな雰囲気だった。


——もしかして、ヤクザってのは誤情報?


そう思ってしまうほどだった。


深月は書いてもらう書類や、入院中の注意事項などが書かれた説明書を渡す為に、蓮水と名乗る男の前に立った。

「.....?」

どこかで見た顔だ。

でも、ヤクザや裏社会に知り合いは居ない。

じゃあ、この初めて会った気がしないのは何故だろう?

深月は高速で頭の中を回転させる


「あっ!あの時のっ...!!」


思い出した。

その蓮水と言う人物は、深月が今朝、売店の前でコーヒーを溢して、掛けてしまった人だった。

夏美の言う通り、本当にヤクザだった。


深月はサーっと血の気が引いて行くのを感じた。

全ての毛穴から汗が滲み出る。


良く見てみれば、手首に付けている腕時計も、靴も、高級そうだ。

もしかしたら、クリーニング代と言われて

高額なお金を請求されるかもしれない


深月は「終わった」と覚悟を決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ワケあり男の恋愛事情 持田 牡丹 @botamochi-2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ