ワケあり男の恋愛事情

持田 牡丹

第1話  蓮水 迅



2023年4月13日 23時26分


ある繁華街の一角で、突然暴動が起こった。体格の良い男達が、次から次へと店から飛び出し、路上で暴れ始めた。

ある男は蹴られ、ある男は棒の様な物で殴られ、怒号が飛び交い、辺りは騒然となった。

どこからともなくパトカーのサイレンが聞こえて来た。

その音に混じって「パンッ!!」という渇いた音が鳴った。一瞬にして辺りが静まり、一気に緊張が走った。


銃声だったからだ。


銃弾はある男の脇腹を貫通した。

撃たれた男は、ガクっと膝から崩れ落ちて地面に倒れた。


「アニキっ!!!」


蓮水はすみじんは、撃たれた男を目掛けて走りだした。

それほど距離はないが、撃たれた男を大勢の男が取り囲んだ為、その男に容易に辿りつけなかった。


「アニキっ....!!」

—— 今、行きますからっ!!

「、、、テメェら...どけぇーっ!!」

迅は集っている男たちの襟元を、背中を、強く掴んで後ろに押しのけ、中に入って行った。

やっとの事で、「アニキ」と呼ぶ男の姿が見えたとき、非情な光景を目にした。

複数人の男たちに蹴られていたのだ。

辺りは血だらけだった。

「ざけんなぁーっ!! やめろぉーっ!!」

迅は必死だった。

その男を死なせるワケにはいかない。

今や動かず、ぐったりとしている男は

久城くじょう りつといって、迅の命の恩人であり、家族同然の大切な人なのだから。





◇ ◇ ◇



2023年4月15日  12時45分

双葉総合病院 第一内科 1002号室


他の病室より広く、格調高く作られた部屋の奥にあるベッドで、久城くじょうりつは眠っていた。右手には血圧計が巻かれ、左手には点滴の管。口には酸素マスク、胸には心電図が付けられていた。

規則正しく打つモニターの電子音が、静かな病室に響いていた。

じんは、そのすぐ隣りで、力なく座っていた。


「どうだ?りつの具合は?」

突然、病室の扉が開いて

短い白髪の、年にして60過ぎぐらいの男が入ってきた。少し丸い顔で恰幅のいい体型だ。迅は座っていた椅子から極力音を立てないように、スッと素早く立ち上がって言った。

「組長...!? お疲れ様です。だいぶ落ち着きました。ずっと、眠っていますが....」

「そうか、医者は何て言ってた?」

「はい。銃弾ですが、肝臓の右側を少しかすった感じで貫通したそうです。でも、肝臓は自己再生能力が非常に高いので、これくらいなら心配ないだろうと言われました。あと、幸いな事に、太い血管などは傷つかずに済んだそうです。...それでも出血が多かったので輸血をしたと言っていました。あと...撃たれた直後ににだいぶ蹴られたりしましたから、肋骨が何本か折れているそうです。こっちの方が体動時の痛みは辛いだろうと言っていました。大事には至りませんでしたが、とりあえずは、しばらく入院して安静を取るように、と言われました」

「そうか...ひとまず安心といった所か」

白髪の男の表情が少し和らいだ。

「それにしても、生きた心地がしなかったなぁ」

そういって、白髪の男は律の顔に目を落とした。我が子を見るようその瞳の奥に小さな光を迅は見たような気がした。

「迅。ずっと付き添ってて疲れただろう。少し休め、オレが変わってやる。」

「オレは大丈夫です。それより、自分がいながら...りつアニキをこんな目に合わせてしまって...すみませんでした」

「お前のせいじゃない。気にするな」

腰を90度近くに曲げて頭を下げた迅の肩を、白髪の男は優しくトントンと2回叩いた。

この男こそが、「己龍きりゅう組 」NO.1 田嶋たじま 喜十郎きじゅうろうで、

ベッドに寝ている久城 律は己龍きりゅう組のNO.2 だ。

蓮水 迅は久城の直近の子分で、この3人はいわゆるだった。


「それにしても...片桐かたぎり組のヤツら、こっちが手薄の時に狙ってきやがって...これは偶然だと思うか?迅?」

「偶然とは思えません」

迅は即座に答えた。

「だとしたらだ、どこから情報を得た?まさか、誰かが漏らした...」


「片桐組」とは己龍組と対峙している暴力団で、最近ではこの2組による縄張り争いが激化していた。

先の暴動は己龍組NO.2 の久城くじょう りつを狙っての突然の襲撃だった。

NO.1の田嶋たじま喜十郎きじゅうろうが近々、引退するのではないかと噂されていたため、次期NO.1になるであろう久城 律を今のウチに叩き潰そうという思惑が見てとれた。


「迅」

「はい」

「本当に休まなくていいのか?」

「はい。大丈夫です」

迅は気丈に答えた。

「....そうか、じゃあオレは帰るよ」

「はい、お気をつけて。あ、車出します」

「いや、いい。他のヤツに頼む」

「....わかりました」

迅は丁寧に田嶋に向かってお辞儀をした。


扉が完全に閉まった時、声がした。

「あぁ、迅か...」

久城 律が目を覚ましていた。

「アニキっ!! 大丈夫ですかっ!?」

「でけぇ声出すな、傷に響く」

掠れ声ではあったが、その声を聞けて迅は安堵した。

「すっ、すみませんっ!!」

「だからうるせぇってよ... なぁ、迅。あれからどれくらい経った?」

あれからというのは、片桐組から襲撃があった時の事だ。

「2日経ちました。今までずっとICUにいたんです。やっと一般病棟に移れました」

「そうか....お前は怪我はないか?」

「ありません。他のヤツらも大した事ありません」

「やっぱり狙いはオレか」

オレも偉くなったもんだなぁと、律が笑った。

「笑ってる場合じゃないですよ。律アニキにもしもの事があったらオレ...」

そこまで言って、迅は言葉に詰まった。その目は潤んでいた。

「おいおい、泣くなよ、みっともねぇなぁ。お前がそんなんじゃ若いヤツに示しがつかねぇよ」

そう言って、脇腹を抑えて「イテテテ..」と顔をしかめた。声を張ると傷に響くらしい。

迅は慌てて

「アニキ、まだ安静が必要なんですから。じっとしてて下さい」

迅の目はさらに潤んだ。

久城の事が心配だったのは勿論だが、その涙には他にも理由があった。

迅も昔、こんな風に暴行を受けて苦しんだからだ。久城の姿を自分自身に重ねて見てしまった。

——なんで、こんな事を思いだすんだ... 今はそれどころじゃないと言うのに...!!

迅は心の中で自分に喝を入れた。




◇ ◇ ◇



迅は物心ついた頃から、施設育ちだった。

母親に抱きしめられた記憶もなければ、顔も名前も分からない。何処で何をしているのか、それすら分からなかった。

そして迅の心を深く傷つけた言葉がある。


「お前は母親から捨てられたんだ」と


迅はいわゆる孤児だった。

幼かった頃の迅がその言葉を完全に理解したのは何歳の時だっただろうか

自分のもっとも古い記憶力を辿ってみると、既に孤独で惨めだった。

迅は、施設の大人から虐待され続け、同じ施設を利用していた子どもからもイジメられていた。

中学を卒業した後、高校へは行かせて貰えなかった。

「親の居ない人間が行く所ではない」

と、言われ

「働いて、今までの恩を返せ!!」と言われた。しかし、中卒で働かせてくれる所など、どこにもなかった。

迅の心は次第に荒んで行った。

それでも、施設の大人に刃向かえば、何十倍もの暴力で返ってきた。

日々、我慢するしかなかった。

ある日、とうとう我慢の限界が来て、施設長を殴り、重症を負わせた。

怖くなった迅は、何も持たず施設を飛び出した。もう、あそこへは戻れないと覚悟を決めた。


どれくらい歩き続けたのか

気が付くと、繁華街に出ていた。

フラフラと歩いている所を、チンピラに絡まれた。

自暴自棄になっていた迅は勝てる見込みのない、ケンカを買って、案の定ボコボコにされた。

そんな時だった。どこからか、妙に落ち着いた、大人の男の声が聞こえた。

「おい、お前ら何やってんだ?その辺で辞めとけ、死ぬぞ、

それは若かりし頃の久城で、2人の出会いだった。




◇ ◇ ◇



病室の白い天井を見つめながら、久城が言った。

「あれから15年も経ったんだな」

しばらく間を置いてから迅が答えた。

「なんの事でしょうか?」

本当は分かっていたが、気付かないフリをした。

「忘れたか?俺は忘れた事なんてねぇよ。初めてお前に会ったあの日。あの時、お前も相当ボコボコにやられていたよなぁ..俺が大丈夫か?って声掛けたら、すっげえ目で睨んできたよな。 この俺に睨み効かすなんて、すげぇ度胸だなって感心したよ、あん時は...」

久城は身体の痛みを我慢して、小さく笑った。

「いや、だって...まさか...ヤクザだとは思わなかったですよ 」

迅はタジタジになる。

「へぇ、俺がカタギの人間に見えたか?複雑だな」

迅は何と答えていいのか分からず、黙ってしまった。2人の間に長い沈黙が流れた。


あの時、迅は久城に拾って貰ったのだ。

その後の世話もしてくれた。

学歴は大切だと言って、一年遅れて高校に入学させてくれた。それだけでも充分有り難かったのに、大学まで入れてくれたのだ。

迅は、久城律このひとの為なら何でもやると心に決めた。いつか、かならず恩返しすると.....


「あぁ、やっぱり長く喋ってるとダメだな...あちこち痛む」

「もう、お喋りは辞めましょう。寝て下さい。今は安静が第一です」


その時だった。病室のドアが「トントン」と優しくノックされた。


「はい」

迅がドアに向かって返事をすると

白衣を着た女性が入ってきた。栗色の髪を上品に一つに束ねていた。

その女性は、「橘花たちばな」と名乗り、自分は看護師で久城の担当であると挨拶をした。

そして、一言二言喋った後に迅の顔を見て、何かに気付いた様に

「あっ!!あの時のっ...!!」

と、驚きの表情を見せた。

自分の事を知っている様だったが、迅には全く心当たりがない。看護師の知り合いは居ない。それでも何とか記憶を辿る。

その2人を見た律が「なんだ?知り合いか?」と尋ね、2人の事を交互に見る。


橘花という看護師は

「朝の、コーヒーの方ですよね...?」

と、言った。

「コーヒー?」

迅は更に考えて

「あぁ!今朝の...!!」

と思い出した。

——そう言えば今朝、売店の前で足元にコーヒーを掛けられた。その人だったのか...


蓮水 迅にとって、久城 律との出会いは

人生を大きく変えた転機となったが

今。二つ目の大切な転機が訪れようとしていた。

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