南総里見八犬伝・一幕

月兎アリス@入賞目指し〜羽ばたけよ〜

一、返したかっただけなのに【side 信乃】

1-1

 風呂に入るときも、寝るときも、食事のときも、墓参りのときも。

 どんなときも、そばに置いてきた刀を、名刀を。

 返すときが、来たというのに──。


 ───‥───‥───‥───‥───‥───


 ぼく犬塚いぬづか信乃しのは、足利氏の家臣の一族に生まれた。

 けれども、早くに両親が亡くなったため、わけあって大塚村の村長・蟇六ひきろくさんと、奥さんの亀篠かめざささんのもとに引き取られた。


 あと僕には、奇妙な特徴がある。

 左の二の腕に、ぼたんの花のアザがある。それと「孝」という文字が刻まれた、親指大の水晶玉を持っている。


 それから、それから!!

 僕は、お父さんから受け継いだ名刀「村雨丸むらさめまる」を預かっているんだ。

 これは、元々は足利氏の家宝。戦乱のさなか、お父さんが足利氏から預かったんだ。そのお父さんも亡くなったから、今は僕が。


 この村雨丸、本当すごくて。

 刀を振るうと、雨みたいに水滴が散るんだ。あと切れ味がすごくって。それとそれと、絶対に曇らないの、刀身が。


 足利氏の家宝、いつか返したいなぁ……と思いながら、この大塚村でもう数年。

 大切なお墓に参っている。


 家には、蟇六さん、亀篠さん、使用人のじいさん、それからあと二人。

 でも、連れてこなくても、残りの二人は来るんだよなぁ……。


「信乃! 信乃! もう墓参りはいいから、来いよ!」


 向こうから叫ぶのは、僕の使用人、額蔵がくぞう

 生意気盛りでお調子者だけど、根はいいやつだ。


「あーうるさいな」

「毎日墓に参るとか、親孝行もいいところだよなー」


 ……額蔵、僕が参っていたの、両親の墓じゃない。

 今の墓は、犬のよしろうの墓だ。


 よしろうとは、僕が飼っていた犬。可愛がっていたけど、役人に斬られてしまったんだよね……。

 そのときに出た玉があの水晶玉、あの日役人とやり合ってできたアザが、あのアザ。


 飼い犬なんて家族みたいなものだ、参って何が悪いというの?


「というか、何の用? わざわざ呼び出して」

「ヒキガエルの命令でよー」


 主人である蟇六さんのことをヒキガエル呼ばわりするの、本当にお前だけだよ、額蔵……。


「蟇六さん? 分かった。どこに行くの?」

「川だよ川。か、わ」

「そこまで言わなくても聞こえるし」


 毎日こんなんだからな、額蔵。僕も慣れすぎて、最近は無視することも増えたよ。

 いちいちツッコんでいたらキリがないからね。

 生意気盛りも、いいところだよ。これでも僕、武士なんだけど……。


「昔なー、母君の風邪を治すため川に飛び込んで。本当、バカだよなー」


 ……。

 その話を聞くのは、嫌いなんだが。


 流石の僕も限界を迎えて、もう口を開くことも、額蔵の戯れ言にツッコむことも止め、スタスタと歩き出した。


「ちょ……お、怒らせたなら、悪いって……」


 もうちょっと後先考えて行動しろって、今度注意しておこう。

 後ろでアタフタする額蔵を後目に、僕は川に向かったのだった。


 ───‥───‥───‥───‥───‥───


 川に着くと、もう蟇六さんは、舟を岸に寄せていた。使用人のじいさんも、一緒に乗っている。


「蟇六さん、どうかしましたか?」

「お、信乃。ちょっと来てくれ」


 舟の中に網が入っていたのを見て、僕は目を見張った。


「今から漁ですか? もう夕暮れなのに」


 太陽は西の山に隠れかけていて、辺りは薄暗い。水温も低いだろうし、漁をするには不向きな時間帯だ。

 何か急ぎなのだろうか?


「ああ。ちょいと宴がね……」

「宴? まさか、幕府のお役人が?」


 にしても、突然宴を開くなんて、急すぎる。夜に始める催し物の準備を、当日の夕方から始めるなんて、無理難題にも程がある!

 でも、開催時間を延ばすのは難しいからね……。


 舟を岸から離して、漁を始めた。

 網を水に投げ入れ、いくらか魚が釣れた、そのとき。


「おおっと!」


 バッシャーン!

 投げ入れた網と一緒に、蟇六さんも落ちてしまった!


「あ、蟇六さん!」


 考えるより先に体が動く。着物も脱ぎ捨て、刀も置いて、蟇六さんが落ちたところに自分も飛び込んだ。


 う……つ、冷たい……み、身に堪える……。

 けれども僕だって、泳ぎの練習は普段からしている。網に絡まった蟇六さんを抱いて、網をほどいて、岸まで自力で泳いだ。


 ふ……ふう……疲れた……。


 河原で水を吐かせて、体が冷えないように、熱を持った丸石で温める。

 はあ……まだ日の入りから時間が経ってなくて、よかった……。


「す、すまないね、信乃……」

「いえいえ、無事でよかったです」


 おじいさんが舟を岸に寄せてくれたので、僕は刀を受け取った。

 にしても、蟇六さんが誤って川に落ちるなんて、珍しい……。


 ───‥───‥───‥───‥───‥───


 急いで家に戻る頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。

 玄関で出迎えていたのは、僕より少し年下の女の子。


 彼女の名前ははま

 この家で暮らす女の子。蟇六さんと亀篠さんの養女、簡単にいうと僕の義理の妹であり、許嫁いいなずけでもある子だ。


「お帰り信乃! 大丈夫? 全身びしょ濡れだよ? 着替え持ってこようか?」


 思わず目をそらす。多分……多分、耳まで赤くなってると思う。


「いいよ……額蔵に持って来させるから」

「体あっためてね」


 数年前まで普通に見れていた浜路の顔を直視できなくなったのは、どうしてだろう?

 分からないけど、とにかくしゅうしんにかられる。


 部屋に戻って、用意された着物に着替えて。

 居間へ行くと、亀篠さんが、囲炉裏いろりで魚を焼いていた。


「ほら、信乃! うちの旦那を助けるのに、川に飛び込んだってねぇ?」


 あれ? 本気だったけど、何か少しバカにされてる? 僕。

 あ、まさかこの展開……。


「信乃の孝行バカ伝説は、絶賛連載中だな」


 料理を持ってきた額蔵が、ケラケラ笑いながら僕を見下ろす。

 思わず湯呑みを投げそうになった。


「ちょ、額蔵……!」


 浜路が間に入って止めようとするけど、額蔵はひょいっと通り越して、僕の目の前まで来る。

 そして、耳元で、


「玄関でたじろいでたの、俺見たからな」


 と言った。

 多分、浜路が迎えてくれて……ってとき。それを見た? 他人がたじろぐ様子を? おい!


「ざけんな額蔵! 何が楽しいんだよ」


 もう少しで額蔵の喉笛につかみかかる、その直前で。


「おお、何だか騒がしいね」


 居間に蟇六さんが入ってきた。とっさに手を引っ込めて、膝の上に置く。

 額蔵はというと……相変わらずケラケラ笑っていた。まあ、一応座りはしたんだけど。


「信乃、ちょいと話があるんだ」

「話?」


 僕が首を傾げると、蟇六さんは途端に表情を変えた。少し真剣な顔だ。


「実は今年、関東公方の足利成氏様あしかがなりうじさまが、滸我こが城に入られてね」


 足利成氏。その名前を聞き、僕はハッと背筋を伸ばす。

 現在の関東公方であり、かつてお父さんが仕えていた足利氏の人間。


 すなわち、僕が村雨丸を返却するべき相手だ。


 滸我……ここは大塚……えっと……。

 頭の中で武蔵国むさしのくに(※現在の埼玉・東京・神奈川の一部)の地図を描いてみる。


 大塚から滸我だから……街道や宿を使って……ざっと、二日か三日? ぐらいで着くかな。


「ま、まさか」

「ああ。今なら、村雨丸を返せる」


 ってことだ!!

 お父さんがたくしてくれた願いを、叶えられるんだ!!


 今まで、意地でも返させてくれなかったからな……これで、これで!!


「長旅にはならん。明日の朝、発てるか?」

「はい!」


 杯に酒を注いでもらい、そっと口をつける。

 すごく甘くて、舌にしみ渡った。

 でも、隣に座る浜路が呟く。


「大丈夫かな……信乃……」


 まさか、この僕が滸我城に行くのに難儀するとでも?

 まあ、ずっと一緒だった浜路だ。心細いのかな。


 仕方ない、今夜は一緒に寝てあげるか……とも思った、そのとき。


「浜路お嬢さんに会えなくて、寂しいんだろ?」


 ……額蔵の言葉が、僕の怒りの温度を沸点ふってんまで上げやがった。


「うるさい! お前、何でいちいち絡むんだっ……!」


 村雨丸を腰に差し、近くにあった木の棒を振り上げて額蔵に向かう。


「ふん、いつもの俺だろ」

「その難癖なんくせ、直せよっ……!」


 二人して居間を飛び出し、庭を駆け回る。



 その後僕たちは、浜路に止められる(正しくは僕が口説かれる)まで、庭中を走ったのだった……。

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2024年10月16日 17:00

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