最終話 大切な人

 そして、いよいよ発表会の日が訪れた。文化会館には、ほどよい緊張が立ち込めている。拓海たち鳳花高校の出番は午前二番目で、風宮学園の直後だ。拓海たちは大ホールの自分の席で、他校の発表を鑑賞していた。

 トップバッター・風宮学園の演目は、難易度が高い他作品のカバーだった。しかし、さすがは実力派の桃瀬だ。彼が出た途端、舞台の雰囲気が一気に安定する。と、鳳花高校は上映の準備で、いったん観客席を離れた。

 楽屋にて準備を整えて、全員そろって舞台裏へ。台本を読み直して最終確認をしていると、梅咲さんが拓海の肩を叩いた。

「桜木くん、お腹痛くなってきた。私、やっぱり怖いかも」

 すると、美紀が「七月のときのミス、思い出しちゃったの?」と尋ねた。黙ってうなずく梅咲さん……と、舞台表から聞こえる桃瀬の声が、セリフの真っただ中で止まった。桃瀬は焦って言い直したが、再び派手に噛んでしまい、これには観客席もややざわめいた。

「桃瀬、ちょっと間違えた。だけど、あいつの演技なら、きっとここからカバーして巻き返してくよ。だから、もし香里がミスしても、減点されたぶん、私たちで取り返してみせるから大丈夫。途中で逃げ出さないで、しれっと続きを演じてればいいのよ」

 舞台の桃瀬の声に安定感が戻ってくる。梅咲さんはようやく落ち着いた様子で「ありがとう」と微笑んだ。

 自分たちの演目がアナウンスされ、拓海は深呼吸して舞台裏を出た。開始早々から舞台に拓海の堂々とした声が響き渡る。身体が温まり、喉の調子が整ってきたとき、美紀の出番が来た。美紀は舞台に出ると、伸び伸びと自分の役を演じた。部長の頃は身勝手だったが、今の美紀は適度に自分を抑え、周りの演者たちを引き立てている。その姿はまさに鳳花高校演劇部の縁の下の力持ちという感じだった。そして、続く梅咲さんも過去最高の演技で会場を沸かせた。演目の一番盛り上がる場面も、目立ったミスなくこなし、無事、鳳花高校の発表は幕を閉じた。

 拓海は発表が終わって着替えを済ませると、梅咲さんに楽屋に残るよう頼んだ。他の部員たちがいなくなると、拓海は頭を下げた。

「黙ってて悪かった。俺、実は明日から半年間、アメリカに留学することになってるんだ」

 梅咲さんの息を呑む音が聞こえる。状況を飲み込めず固まってしまう彼女に、拓海はいきさつを説明し始めた――。


 時はさかのぼり、八月のお盆休み。雪菜がペットの死で落ち込んでいる裏で、拓海は家族で蕾のお墓参りに行った。

「桜木蕾」と書かれた墓石を見ると、もうかなりの時間が経つというのに、拓海はいまだに胸が苦しくなる。無言のまま墓石に水をかけ、花や線香を添える。一連の動作が終わったとき、ようやく母が口を開いた。

「拓海、今、心の調子は大丈夫?」

「うん。落ち着いてると思う」

「なら戻ったら、蕾の遺品箱を開けよう」

 拓海たちは家に帰ると、遺品箱を開けた。中には蕾が生前作ったものや書いたものが入っていて、まさに「蕾の生きた証」という言葉が、それ以上でもそれ以下でもなく正しく感じられた。涙こそ出てこなかったが、代わりに胸の奥につかえてた感情が、臓器を圧迫してえぐる感じがした。母はタイムカプセル用と書かれた手紙を、拓海に手渡した。

「お兄ちゃんは、昔話したコロンブスの話、覚えてる? 高校生はりゅうがくというべんきょうで、コロンブスみたいに海外に行けるみたいだけど、お兄ちゃんもやってみたらどうかな? そのときはお友達には、直前までひみつにして? だって、みきちゃんが知ったら、ぜったい止めてくるから」

 顔を上げると、向かいに座る父が数枚の紙を机に置いた。それらは留学に関するパンフレットや書類だった。

「もし拓海がやりたいなら、金は俺がなんとかする。無理にとは言わないが、今から学校で相談すれば、十一月末からの留学には参加できるだろう。拓海はどうしたい?」

 いつになく真剣な声の父。拓海は真っすぐ彼を見据えて、「行きたい」と答えた――。


 ふたりの意識が文化会館楽屋に戻ってくる。唐突に梅咲さんが俯いた顔を上げ、目と目が合った。彼女の両目は血走っていた。

「ズルいよ! いくら約束してたって、前日まで黙ってるなんてズルいよ! 私たち、友達だよね? 大切な仲間って言ってくれたよね⁉ 美紀も竹原さんも桜木くんの気持ちを考えて行動してるのに、今更になって隠し事はおかしくない? 大切な人が突然いなくなったらどれだけ悲しいか。それは桜木くんが一番よくわかってるはずでしょ⁉」

「……ごめん」

「私じゃなくて美紀と竹原さんに謝ってよ! ふたりは建物の外にいるから」

 言葉を聞き終える前に楽屋のドアを開ける。拓海は通行人をよけながら、文化会館入り口の自動ドアへと走った。

 美紀と雪菜は入り口近くで話をしていた。拓海が近付くと「どうしたの?」と尋ねてくる。拓海は謝りながら、留学の件を伝えた。聞き終えると、美紀は寂しそうにつぶやいた。

「そうなんだ。大切な仲間にはいつ会えなくなるかわからない、ね」

 すると、雪菜は肩から掛けていたカバンを開け、ビーズネックレスを取り出した。

「ずっと落ち込んでるわけにはいかないので切り替えます。桜木先輩、これ、文化祭で作って一番上手にできたネックレスです。留学先ではこれを私だと思って、大切に身に着けてくださると嬉しいです。遠くに旅立っても、私はずっと桜木先輩のそばにいますから!」

 そう言ってネックレスを手渡す雪菜。思い出すのは五月頃の喧嘩。仲直りのときにも、雪菜は同じような言葉を言ってくれたな。

 続いて「拓海!」と美紀の声。彼女も思い返すように話し始めた。

「同じ高校になって、顔を見れて嬉しかった。まだ昔みたいには話せないけど、名前呼びに戻ったように、時間をかけて適度な距離に戻りたいな。それと、蕾ちゃんのこと。拓海はまだ自分を責めてるだろうけど、私は拓海が悪いなんて全く思ってないよ。だから、留学先では辛い過去にとらわれず、学びたいものをしっかり学んできな」

 雪菜と美紀は涙ぐんでいた。ああ、こんなにも自分を大切に思ってくれるなんて幸せだな。拓海は冷たい空気を吸って話した。

「雪菜、向こうに行っても、小説が更新され次第、読んで感想送るよ。引き続き、雪菜にしか書けない面白い話、書いてくれよな。美紀、演劇部部長の権限は返すよ。今の美紀になら部を導いて、根室先輩の代より進化させられると思う。頼んだぞ!」

 ふたりは涙でぐしゃぐしゃになった顔で、「任せて!」と返事した。


 拓海が旅立ってから一か月が過ぎ、美紀たちは新年を迎えた。先日の発表会にて、鳳花高校演劇部は、見事、一位の結果を収めることができた。そのおかげで、演劇部と文芸部は廃部を免れ、今まで通りの活動に励んでいる。そして、一月一日の深夜、美紀のLINEに香里から初詣の誘いが来た。待ち合わせ場所の神社で、夜明けの澄んだ空気を吸い込んでいると、香里と雪菜が姿を現した。

「あけましておめでとう。今年もよろしく!」

 三人の間に同じ言葉が飛び交う。美紀は「さっそく行こう?」とお賽銭の列に並んだ。

「桜木くん、今頃何してるのかな?」

「向こうで勉強頑張ってると思います! 頑張りすぎて倒れちゃわないか心配です」

「別荘で缶詰になって小説書いてた雪菜がよく言うよ。あんたも無理しすぎないでね?」

 列が前に進み、美紀たちがお賽銭する番になる。三人は賽銭箱に十円玉を投げて、両手を合わせた。箱を離れると、雪菜が「松永先輩は何お願いしたんですか?」と訊いてきた。

「拓海がアメリカで成長して、たくましくなって帰ってきますように、って。雪菜は?」

「同じです。あとは、小説書く技術が上がりますように、とか。梅咲先輩は?」

「今更だけど、気付いたことがあってね。私がこないだ、桜木くんにあんなに本気で怒れたのは、自分が寂しかったという理由もあると思う。だから、桜木くんが帰ってきたらまた四人で思い出作りがしたいとお願いした。私たち、ずっと友達だよ!」

 ふと見上げると、新年初日の空は、透き通るように晴れ渡っていた。

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メインアクター 葉桜 @Hazakura__394

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