第十一話 縁の下の力持ち
カラッとした秋晴れの午後。鳳花高校の教室には、生徒たちの楽しそうな笑い声が響いていた。今日は文化祭準備。退屈な授業が丸々潰れ、代わりに今月にある文化祭準備のための時間に充てられる。美紀たちのクラスの出し物はゲームコーナー。今作っているのは、的当てやボールを転がす迷路だ。
「ちょっと美紀、今時間いいか?」
拓海が話し掛けてくる。「何?」と尋ね返すと、拓海はプリントを見せながら答えた。
「今からこの紙、印刷しに行こうと思ってるんだけど、コピー機の使い方わからないからついてきてほしいんだ」
拓海と教室を出て、印刷室への廊下を歩く。美紀に尋ねたのは、近くにいたからというだけだろうが、告白を断られたばかりなので意味深に感じてしまう。考え事をしているうちに、印刷室の曲がり角が見えてきて、ドアを開けると、月島がコピー機と格闘していた。
「お疲れさん。さっき表裏逆に印刷しちまって、今やり直してる」
コピー機が音を鳴らし、ふたを開ける月島。今度こそ印刷が成功したようで、彼は続けて美紀に視線を移した。
「よす。ここ最近で松永、変わったな」
「それはどうも。あんたもこの頃、たくさん勉強してるようで凄いね」
「まだまだだよ」と月島。彼は梅雨頃から成績が上がり、東大の受験を勧められたらしい。
「もし受かったら、同じクラスに東大生がいることになるのか。俺の場合は部活だけど、月島に負けないように本気で取り組むよ」
「発表会、俺は模試で行けないけど頑張ってな。あと、例の準備も順調みたいでよかった」
「例の準備って?」と美紀が尋ねたとき、不意に月島が「ない!」と大きな声を出した。「メモ帳をどこかに落としたみたいだ」
「教室に置いてきたのかも。早く戻ろう?」
三人は早足で来た廊下を引き返した。教室に着いてドアを開けると、さっき作業していた机で、俯いて立つ香里の姿を見つけた。彼女は手に月島の手帳を持っていた……と、突然、香里が叫び声をあげる。拓海は「担任呼んでくる!」と教室を出ていった。
その日の放課後、美紀が保健室に香里の様子を見に行くと、養護教諭と香里の姿があった。美紀が挨拶すると、養護教諭は「ちょうどよかった!」と大きな声を出した。
「梅咲さん、さっき松永さんと話したいって言ってたのよ。私は席を外すから、何かあったら職員室まで来てね」
養護教諭の姿が見えなくなると、美紀は「もし嫌じゃなければ、どうしてパニックになったのか教えて?」と香里に尋ねた。
「死んだ私のお兄ちゃん、東大志望だったの。だけど、試験に落ちちゃって、浪人させてくれとお父さんに頼んだら、うちにそんなお金はないって怒られて、大喧嘩になっちゃってさ。その日の家出が最後だった。さっきは拾った手帳に東大の文字を見つけて、途端に全部フラッシュバックしてきたんだ。でも、落ち着いてきて、今はだいぶ元気になったよ」
そう話す香里の顔色は、いつも通りの血色に戻っていたので、美紀は安心した。
「昔のことって考え始めると、どんどん思い出しちゃうよね」
「美紀も蕾ちゃんのこと考えたりするの?」
「よく思い出すけど、ネガティブなことばかりでもないかな。例えば、蕾ちゃんいわく、私の名前には、『木の幹のように上の花を支えられる、縁の下の力持ち』って由来がありそうだって。だから、私もそんな人になりたい」
「美紀なら充分なれてると思うよ。また何かあったら、今日みたいに頼らせてもらうね」
香里はすっかり落ち着いた顔で微笑んだ。
文化祭当日。鳳花高校は外部からのお客さんで賑わっていた。今日は午前中、美紀たちは自分のクラスの出し物を手伝い、午後はアリーナのステージにて演劇部の発表をする。美紀が出し物の仕事をしていると、教室に奇抜なヘッドホンをつけた客が入ってきた。
「桃瀬じゃない。久しぶり!」
「やあ、髪色変えたのか。時間があるときに話がしたいんだが、シフトはいつまでだい?」
「ちょうどそろそろ終わるところ。そこのイスに座って待ってて」
それから時計が十一時のチャイムを鳴らし、美紀のシフトが終わった。美紀は桃瀬を連れて、いつもの休憩室へ向かった。休憩室には相変わらず人影がなかった。
「来月の発表会で部の運命が決まると聞いたが、鳳花の演劇部は守れそうかい?」
「もちろん。今度こそはうまくいくと思う。そう言う桃瀬は調子どうなの?」
「絶好調だよ。完璧なのはいつもだけど」
「なんでそんなに自意識過剰なのよ?」
「楽観主義と表現してほしいな。うまくいかないことがあってもポジティブに捉えるんだよ。何か後悔することがあったら行動パターンを変え、身近な人のミスを見たら、自分のことだと思って直してしまえばいい」
美紀は聞きながら、菜ノ葉先輩の言葉を思い出していた。美紀たちは自分みたいに手遅れにならないように、と言ってくれたな。
「あのさ、桃瀬。ひとつ相談いいかな?」
それから美紀は桃瀬に、拓海への恋心と告白に失敗したことを伝えた。今回はダメだったけど、次こそは成功させたい、と。
「クリスマスに再び想いを伝えたいのか」
「……そうなの。でも、もし次も失敗したらとか考えちゃって」
「クリスマスじゃないとダメかい? 大切な仲間にはいつ会えなくなるかわからないよ?」
「拓海が死んじゃうみたいに言わないでよ」
「それは失礼した。いつ告白しようと、思い残しだけはないようにね。じゃあ、僕は帰るけど、部活も恋愛も頑張ってくれたまえ」
「うん。聞いてくれてありがと。またね」
桃瀬はカバンからヘッドホンを出して、頭に装着しながら休憩室を去っていった。
そして、午後になり、演劇部は発表の時間を迎えた。四十分間の演目が始まったのだが、さっそく練習の成果が顕著に現れ始めた。菜ノ葉先輩のアドバイスに従ってやった、即興演劇練習。おかげで舞台に出た演者は、まるでアドリブのように動くことができ、観ている観客たちを圧倒した。全ての演技が無事終わり、ゆっくりとステージの幕が下がっていく。香里は舞台から戻ってくる美紀に、「やったね!」と元気よくハイタッチした。
文化祭が終わり、美紀が教室を片付けていると、雪菜がドアに姿を現した。美紀は荷物を置いて、「どうしたの?」と廊下へ出た。
「桜木先輩っていらっしゃいますか?」
「拓海なら打ち合わせで会議室に行ったよ」
「あ、なら松永先輩でも大丈夫です」
「何よその私がおまけみたいな言い方」
「あと一時間すると、私がこないだ応募した小説の、選考を通過した作品が貼り出されるんです。ひとりじゃ心細いので、パソコン室で一緒に結果見てくれませんか?」
「もちろん行くよ! 雪菜が部を守る瞬間、この目で見届けてあげる」
その日の放課後、美紀は三階奥にあるパソコン室へ向かった。教室のドアを開けると、雪菜がパソコンを立ち上げて待っていた。
「あと三分で、ここに名前が出されるんです」
そう言ってパソコンの画面を指差す雪菜。ふたりはドキドキしながら、壁の掛け時計の秒針を睨みつけ、時間になると同時に、雪菜は「結果発表」のボタンをクリックした。
パソコンの画面が移り変わり、入選作品と作者名が書かれているページへ飛ぶ。ふたりは血眼になりながら、「スノウ・ウーマン」を探した……しかし、ページの一番下まで見ても、その名前が見つかることはなかった。
「……あれ? もしかしてないのかな?」
「ちょっと待って。もう一度、上から順番に確認してみよう?」
美紀はマウスを握る雪菜の手を、さらに上から握って操作した。
「……ほんと、ね。ない……みたいね」
美紀が答え終わる頃には、雪菜は肩を震わせて泣いていた。美紀はすかさず、強引にその手を引いて立ち上がった。
「雪菜、職員室行くよ。文芸部を守るために!」
美紀は雪菜の腕を握って走り出した。迷わずパソコン室のドアを開け、廊下の角を曲がり、階段を駆け降りて職員室へ――。
ガラガラと職員室のドアを開けると、デスクでパソコンを叩く演劇部の顧問と目が合った。美紀は彼に近付き、食らいつくように「ちょっとお話いいですか⁉」と大声を出した。
「どうした松永?」
「あの、文化部を廃部にするって話、なかったことにできませんか⁉」
「無理だ。最初に会議で決まったことじゃないか? それより、名乗りもせずに急に職員室に来て、松永のほうこそどうしたんだ?」
「さっき、文芸部の存続が賭かった公募の結果発表があったんです。結果から言うと、雪菜は選考を通過できませんでした。でも、こんな理不尽なことで文芸部が廃部になるなんて納得いきません!」
「理不尽も何も、初めに決めたことだ」
「その、初めに決めた基準が理不尽だと言ってるんです!」
それから美紀は、雪菜が二学期初めの三週間、いかに頑張っていたかを語った。京都に家族旅行に出掛けたのは嘘。本当は別荘にて缶詰めになってまでして、執筆作業に明け暮れていたのだと。だから、雪菜ひとりだけに責任が掛かるのはおかしいのだと。
「わかったよ。俺のほうから交渉する。でも、初めに決まったことをあとから取り消すのは、普通、簡単にはできないことだからな?」
職員室からの帰り道。雪菜は「ありがとうございました」と頭を下げてくれた。
「当然のことよ。雪菜に非はないし、あんたもあれくらいは言い返せるようになりなよ?」
「はい。でも、先輩は文芸部と関係ないのに、どうしてあんなにかばってくれたんですか?」
「だって、雪菜は大切な友達だから。あんたに落ち込まれると、こっちまで調子狂うのよ」
「ありがとうございます! 松永先輩だって、私の大切な先輩です!」
「あー、やっぱ恥ずかしいから今のはナシ!」
雪菜の表情がようやく緩んで、美紀も胸を撫で下ろした。天国の蕾はさっきのやり取りを見ていただろうか? 今日の自分は、縁の下の力持ちというより、堂々と文句を付けてしまった。でも、今までで最も自分に素直でいれた気がして、清々しい気持ちだった。
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