エピローグ

 元の世界に戻った健太たちは、それぞれの日常へとゆっくりと溶け込んでいった。異世界での冒険は、夢のような感覚として彼らの心に残り続けたが、その経験が彼らの魂に深く刻まれているのは、誰よりも彼ら自身が感じていた。


 街の風景、騒がしい通り、どこか懐かしい日常の匂い。すべてが以前と同じでありながら、同時に何かが変わったような気がしていた。それは彼らが異世界で得たもの――友情、絆、そして多くの試練を乗り越えたことによる変化だった。


 日常の中で健太は久しぶりに職場に戻り、机に向かい合った。窓の外に広がる日常の景色がどこか温かく、心にじんわりと染み渡る。彼は軽く息を吐き、手にしたペンを握りしめた。


「あの時、ミリアと出会えてよかった…」

 彼はふと口に出しながら、その言葉を胸の中で反芻した。


 ミリアとの出会い、彼女との別れ――そのすべてが、今となってはかけがえのない思い出だ。そして、彼女が異世界に残り、自分たちに託したものは大きい。彼女が示した道が、これからの自分たちの生き方にどう影響するのか、健太は確信していた。


 その日、健太はふと窓の外を見ると、夕焼けの空にふわりと漂う雲が、ミリアの笑顔に重なって見えた。遠くにいる彼女もまた、自分たちを見守っているのだと感じながら、健太は微笑んだ。


 亮もまた、日常へと戻っていた。仕事の合間、彼はふと書類に手を止めて、異世界での出来事を思い出すことが多かった。冷静でありながら、ミリアとの別れの時に感じた胸の痛みは、彼にとっても大きかった。


「いつか、またあの世界に戻ることがあるかもしれない。」

 亮は一人呟きながら、ミリアの言葉を思い返した。「いつかまた会えるかもしれない」という言葉が、彼にとって一筋の希望となっていた。


 ミリアがいなくても、自分たちはまた新しい道を歩んでいける。その確信を胸に、亮は再び仕事に向き合い、次の冒険に備えて心を整えていた。


 龍太は、相変わらず元気いっぱいに過ごしていた。異世界での経験を誇りに思いながら、仲間たちと会うたびに、ミリアとの思い出話や飲み比べの話を楽しそうに語っていた。


「ミリアがいたら、今頃また俺たちに何か楽しいことを教えてくれただろうな。」

 龍太はいつもそう言って、どこかで再会できることを信じていた。彼の明るさは、仲間たちを笑顔にし続けた。龍太は仲間を信じ、ミリアとの再会を胸に秘めて、これからも楽しい人生を送っていくつもりだった。


 直樹も日常に戻っていたが、彼は常に冷静で落ち着いた態度を崩さなかった。しかし、時折彼が見せる微笑みは、ミリアとの絆や、異世界での冒険を思い出している瞬間だった。


「彼女が見ている。俺たちがこれからどう進むのか、きっと見守ってくれている。」

 直樹はそう感じながら、仲間たちとの時間を大切にしていた。彼にとって、ミリアはただの仲間ではなく、心の支えだった。これからの自分の人生にも、彼女が残してくれた力が影響していくだろうと確信していた。


 それぞれが日常に戻ったものの、やはり健太たちの絆は変わることなく強く結ばれていた。そして、どこかで「最後はいつも通り」だと感じていた彼らには、ある一つの結論が待っていた。


 ある日、健太のスマホにメッセージが届いた。送り主は、言わずもがな、龍太だった。


「なぁ、健太。結局のところ、俺たちがやるべきことって何かわかるだろ? そう、酒だ!今夜はまたみんなで飲みに行こうぜ!」


 健太は苦笑いを浮かべながら、亮と直樹にもそのメッセージを転送した。二人とも、同じように微笑んだ。




 異世界で数えきれない年月が過ぎ、ミリアは遂にその長い旅路の終わりを迎えようとしていた。彼女が背負った罰、神の酒を飲んだことで天界を追放され、人間として生きる運命を課されたミリアは、迷い込んだ旅人たちを元の世界へ送り返すことで、その罰を果たす。


 今、彼女の心には確かな感覚があった。すべての役目を果たし、天界に戻る時が来たのだ。


 天界の広間で、ミリアは一人立っていた。かつて彼女が天使として仕えた神々が、静かに彼女を見守っていた。ミリアの姿は以前とは違い、長い試練の旅を終えたことで、どこか成熟したものになっていた。彼女は天界に戻るための許しを得るため、今ここに立っている。


 すると、神々の中で最も権威ある声が広間に響き渡った。

「ミリア、お前は長い年月にわたり、罰として課された任務を全うしてきた。」


 その声は、ミリアを追放した張本人であり、彼女が天界にいたころから最も畏敬していた存在だった。ミリアは静かに目を伏せ、これまでの過ちと、それを償うために歩んできた道を思い返していた。


「お前は、グランコールに迷い込んだ者たちを導き、元の世界へと送り返してきた。これにより、お前は自らの罰を全うした。」

 神の声は穏やかでありながら、威厳に満ちていた。


 ミリアは神々の前で、静かに頭を下げた。彼女の心には、迷い人たちを見送るたびに感じた寂しさや喜びが溢れていた。健太たちとの出会いも、その中でも特別なものだった。彼らとの冒険を通して、ミリアは人間の感情や温かさを学び、心から彼らを導くことができた。


「ミリア、お前の罰はここで終わる。お前は天界に戻り、再び天使としての役割を果たすことが許される。」

 神の言葉が静かに広間に響き、他の神々も静かに頷いた。


 ミリアはゆっくりと顔を上げ、神々の視線を受け止めた。

「ありがとうございます。私は過ちを犯しましたが、この長い旅路を通して、多くのことを学びました。人間として過ごした日々、そして迷い人たちとの出会いは、私にとって何よりも大切な経験です。」


 神々はその言葉に深く頷いた。ミリアは人間としての試練を乗り越え、再び天使として天界に戻る資格を得たのだ。


 すると、天界の中央に大きな杯が現れた。それはかつてミリアが飲んでしまった「神の酒」。神々の許しを象徴する杯だった。


「ミリア、今度は許しの杯を飲みなさい。この杯を飲むことで、天使としての役割を再び担うことになるだろう。」

 神が静かに杯を差し出した。


 ミリアは慎重にその杯を手に取り、目を閉じて心の中で感謝の祈りを捧げた。そして、ゆっくりと杯に口をつけ、その神の酒を口に含んだ。


 酒は温かく、穏やかな光を帯びた液体となり、彼女の体中に広がっていった。その瞬間、彼女の背中に天使の翼が再び現れ、かつての姿を取り戻したのだ。


 ミリアは再び天使としての力を得たが、その心にはこれまでにない感謝と決意があった。神々の許しを得た今、彼女は再び天界で新たな役割を果たすことができる。しかし、その心の中には、グランコールでの思い出や、健太たちとの絆が永遠に残り続けていた。


「私が学んだことを、これからも忘れない。」

 ミリアはそう心の中で誓い、天界の神々に向かって再び深く頭を下げた。彼女の心には、グランコールで健太たち4人との思い出が深く刻まれていた。彼らとの出会いが、彼女に人間としての感情を学ばせ、そして成長させてくれたのだ。


「ミリア、お前が人間として過ごした時間は無駄ではなかった。それは天界にとっても貴重な知恵となるだろう。」

 神の声は優しく、彼女を称えるように響いた。


 ミリアは微笑みを浮かべながら静かに答えた。

「ありがとうございます。私は天界に戻りましたが、グランコールでの経験は一生忘れません。彼らとの絆は、私にとってかけがえのないものです。」


 天界の神々は静かに彼女の言葉を聞き、理解を示していた。ミリアの心にある健太たちとの絆が、これからも彼女の力となることを知っていたからだ。


 ミリアは神々の広間を後にし、天界の美しい庭へと向かう。そこには、彼女がかつて天使だった頃から慣れ親しんだ風景が広がっていた。優しい風が彼女の翼を揺らし、天界の空を見上げると、果てしなく広がる青空が目に入った。


 しかし、ミリアの心は今、もう一つの世界、「グランコール」に向けられていた。健太たち4人と過ごした日々、そのすべてが、今もなお彼女の胸の中に息づいていた。


「彼らもきっと、元の世界で幸せに過ごしているでしょうね…」

 ミリアは微笑みながら空に向かって呟いた。


 その時、ミリアはふと懐かしい気持ちに駆られた。グランコールで、健太たちと交わした数々の酒宴が思い起こされたのだ。あの無邪気で愉快な時間、彼らと笑い合い、時には涙を流しながら飲み交わしたエールの味が、彼女の心に蘇った。


「彼らも、またどこかで乾杯しているかもしれないわね…」


 ミリアは一つの決意を胸に抱いた。彼女は天界に戻ったが、健太たちとの思い出を胸に、彼らに捧げる最後の杯を掲げることにした。庭に佇みながら、ミリアは手に取った透明な杯に、天界の清らかな水を注いだ。それは、彼女にとって神聖な祈りの象徴でもあった。


「健太、亮、龍太、直樹…あなたたちに捧げる杯よ。ありがとう。いつかまた、別の形で会える日を願って…乾杯。」

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異世界酒宴 @daikichi-usagi

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