電車 湖 嫉妬
ガタンゴトンガタンゴトン
今日も目的地へと人を運ぶ。いつも通りの日常。
片田舎のボロ電車を使う人間はほんのひと握りで、平日の朝はごく僅かな人間しか乗車しない。
こちらからすれば(ああ、今日もあの人がいるな。元気そうでなにより)という気持ちにはなるが、電車をただの自身の目的地へより安価でより早く行くための手段として用いている人にとっては、俺なぞただの便利屋さんに過ぎない。
だとしても、俺は毎日運んでいる。それは、乗車席から見える湖の景色が、俺は好きだから。
特に早朝の太陽が昇り始める頃の湖は、その美しさに拍車がかかってみえる。
光を反射してきらきらとまたたく水面に、時折魚が跳ね上がる様子がとても絵になる。
乗客が湖をどう思っているかまでは分からないが、少なくとも俺は毎朝見る湖が好きだ。
そして、美しい景色を一通り堪能して目に焼き付け、終点駅に辿り着く。
ふうと息をつき、車両から乗客が降りていくのを見届けると、交替番の男が手を上げて、こちらに歩み寄るのが見えた。
「よーっす、おつおつー!」
「菊地か、お疲れ」
チャラついた言葉で近づく同僚、菊地に呆れつつも、俺は挨拶返す。
菊地は俺の肩に腕を回し、ニヤニヤしながらこちらを見つめる。
「今日の湖はどうだった?」
「別に普段となにも変わりゃしない。今日も一段と綺麗だったよ」
「かーッ! いいねぇ! それが女宛に言う言葉だったらどんなによかったか!」
目元に手を当てて高らかに笑う菊地に、乗り込む乗客たちが何事かとチラチラ此方に視線を送る。
朝からややセンチメンタルな気分になっていたことに、急に恥ずかしさが込み上げてきた俺は帽子を深り直しゴホンとわざとらしい咳払いをする。
「そろそろ時間だろ。さっさと行けよ」
「ああ、言われなくても」
菊地は俺からパッと腕を話して口笛を拭きながら車両へと向かっていく。俺は彼の切り替えの速さを尊敬の念を抱きつつ、駅のホームを後にした。
電車は様々な人が、様々な思想を抱えながらも、同じ方角へ向かっていく乗り物だと思う。
同じ線路、同じ時間に走る電車。内側から見える景色だけが移り変わる。
うたた寝をしていても、突然降り注がれた陽光の眩しさに目を覚ますという経験を俺は何度かしたことがある。もちろん、休みの日に乗客として別の列車を乗っている時に。
早足で電車に向かう乗客たちの見つめながら、そんなことを考える。
彼らはどんな思いで電車に乗っていくのだろう。
俺のお気に入りの湖畔の景色を眺めている人はどのくらいいるのだろう。
朝昼夕夜で色とりどりに変化する湖は、俺の心を掴んで離さない。多くの人に知ってもらいたいけれど、あまり知って欲しくもない。ときたま、あまりにも綺麗な景色を見て、なんでこの景色を俺だけが独り占めできないのだろうと、嫉妬心のようなものを覚える時すらあるくらいだ。
そんな感じで物思いにふけっているとあっという間に時間が経ち、気づけばお昼の時間になっていた。
お昼休憩を取りに出かけた俺は、出勤前に買っておいたコンビニ弁当を取り出し、備え付けの電子レンジでそれを暖めた。
チンッと小気味よい音が鳴り、中からホカホカの弁当を取り出す。
「あー、先輩だぁ」
気だるそうな高めの声に振り返ると、そこには俺の後輩である篠本がいた。篠本は垂れた眉をさらに垂らして実に嬉しそうな表情を浮かべ、俺の左隣に座った。
「まぁーたコンビニ弁当ですかぁ?」
「まあな。自炊する時間もないし彼女もいない男のお昼なんてそんなもんだよ」
「むぅ」
篠本はぷくっと頬をふくらませて俺を睨みつけつつ、自分の弁当を広げた。
女の子らしいピンク色の弁当箱に敷き詰められただし巻き玉子にブロッコリー、ソーセージ。丸いおにぎり二個は自身で握ったものなのだろう。
俺は白米を咀嚼しながら何気なしに声をかける。
「それで、篠本は好きなやつとは上手くやってるのか? 俺に構ってる暇ないんじゃないか?」
俺は以前彼女から好きな人がいると恋愛相談を受けていた。同じ職場にいる人でどうしたら振り向いて貰えるかという話で、好きな相手の特徴を聞いた感じだと菊地のことらしいと判断した。
なので、俺は菊地が好きであろう女の子の特徴を伝えると彼女はさも嬉しそうに頷いて去っていったのだ。
俺の言葉に篠本は、自分のお弁当をもぐもぐしながら、答える。
「ん~? 付かず離れずって感じですかねぇ?」
「ふーん、そうなのか」
「まぁ、このくらいの関係の方が面倒くさくないっていうかぁ? 私はこのままでもいいと思ってるんですよねぇ」
「そういうもんなのか」
「そういうもんですよぉ。先輩は乙女心分かってないんですからぁ」
「ん、すまんな」
何せ生まれてこの方彼女など出来たことない。こちらから告白した事は何回かあるがどれも振られてしまった。それからあれやこれやという間に車掌になって、恋愛など無縁のところで生きてきた。
まぁ、彼女が出来たところで、常に仕事が忙しくて構ってやれる自信が無いのだけれど。
それもあって、今はどんなに言い寄られたとしても断るようにしている。全ての愛を受け入れる菊地と違って。
そういった意味では菊地はすごいと思うし、なんなら羨ましいとすら思う。 俺はああはなれない。
俺はぼんやりと真向かいに貼られた湖の写真に目を向ける。あれは秋の早朝の湖畔。時間でいうと、5時頃。四隅に散りばめられたイチョウが秋らしさを表現している。
もし、この先恋人ができたとして。それは恐らく、この湖のような人を好きになるだろう。
静かに、けど、確かにそこにあって、透き通っている。そんな人を。
「……先輩? どうしたんですか?まだおかずいっぱい残ってますけれど……」
篠本に声をかけられハッとする。少しセンチメンタルな気分になっていたようだ。
俺はなんでもないと首を横に振ろうとしていた矢先、篠本は最後に食べようと思っていた唐揚げをひょいと取り上げぱくりと食べた。
「あー! 最後に食べようと思ってたヤツなのに……」
「へへーん、残しておく方が悪いんですよぉ」
「って、シュウマイも食べようとするな!」
唐揚げのみならず、焼売にも手をかけようとする篠本の腕を掴んでそれを阻止する。篠本は細い腕の何処にそんな力があるのか、俺のシュウマイめがけてジリジリと手を伸ばす。
「だいたい、お前の方もまだ残ってるじゃないか」
「先輩が食欲なさそうだったんで、代わりに食べてあげようかと思ったんですよぉ~」
「余計なお世話だ」
そう呟き、はぁと小さく溜息を吐くと、扉が開かれた。菊地だ。
まずい、これは面倒なことになる予感しかしない。
案の定、篠本は入ってきた菊地に泣き縋った。菊地は入るや否や突然自身に飛びついてくる篠本を受け止める。
「うえーん! 菊地センパーイ!」
「お、どうしたどうした?」
「私ぃ、先輩が食欲ないと思ってぇ、唐揚げ食べてあげたのにぃ、怒られちゃってぇ」
「ふーん、なるほど?」
菊地はにやにやしながら篠本とこちらを交互に見やった。
なんだそのにやにやは。篠本はお前のことが好きなんだぞ。ちゃんと相手してやれよ。湖オタクの俺なんかに構わずさ。
「まあまあ。喧嘩両成敗ってことでここはひとつ」
「いや、喧嘩はしてないんだよな」
篠本が一方的に勝手なことをして勝手に落ち込んだだけで。
俺は何もしていない。いや、本当に。
菊地は飛び込んできた篠本をはがし、苦笑いを浮かべて弁当に入ったコンビニ袋を片手にぶら下げながら俺の右側に座った。
「なんだ。どうしても唐揚げが食べたかったのか?」
「別に。そんなことはないけどさ」
「んなら、代わりに俺の食っていいぞ! たまたま弁当同じやつだし」
「いや、いらねぇし」
「なんだよー! 遠慮すんなって!ほら!」
「だからいらねえって!」
「もー! そういうとこだぞ!」
菊地は豪快に笑いながらバンバンと俺の背中を叩く。篠本はというと、完全に拗ねた様子で自分が座っていた席に座り、頬を膨らませる。
「むぅ、先輩。私の時より楽しそうじゃないですか」
「そりゃまあ、同期だし、男同士だしなあ」
「男の友情ってやつですか。羨ましいなあ。私も男に生まれたかったですぅ」
「篠本はそのままでもいいと思うぞ? 俺は篠本のそういう雰囲気に癒されてるところあるし」
俺はさらっと本心でそういうと、篠本は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
「せんぱーい。そういうの、ふいうちっていうんですよぉ、やめてくださいぃ」
「ええ。そんなこと言われてもだなぁ」
俺が困惑していると菊地がけらけらと笑いながら茶々を入れる。
「こらこらお二人さん、いちゃいちゃすんなって」
「いちゃいちゃなんかしてないですぅ」
「といいつつ、まんざらでもないんだろ篠本」
「それはまあ、そうですけど……」
徐々に尻つぼみになっていく篠本を俺はほほえましく眺めつつ立ち上がる。
そろそろ行かないとな。楽しい時間はあっという間だ。
「それじゃあ、そろそろ行ってくるよ」
「えっ、もう行っちゃうんですかぁ?」
「用事があるんだ。寂しい気持ちもわかるけど……」
「うぅ、なら仕方ないですねぇ……。いってらっしゃいですぅ」
「無理すんなよー」
篠本と菊地に見送られ、俺は休憩室を離れた。
時刻は午後二時半。これから向かう先は、俺が好きな湖のほとり。俺の一方的な片想いで振り返ることは無い。
けれども会いに行く。会いたいから会いに行く。
俺は列車に乗ってその場所へと進行した。
三題噺SS 霜月巡 @shimotsuki_meguru
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