三題噺SS
霜月巡
サラダ 横断歩道 レンガ
サラダが食べたい。
そう思い立ったのは今朝方のこと。
そう、私は唐突にあれがしたい、これがしたいという欲求に狩られ、その欲求を満たさずにはいられないという性質を持っている。
既に私の脳内はサラダで埋め尽くされていた。
サラダサラダサラダ。どんなサラダを食べようか。
青になった横断歩道を渡りながら考える。
太陽の光を浴びて赤く熟したトマトを使ったサラダか。
あるいは風味豊かで潮の香りが漂うワカメを使った和風サラダか。
はたまた、グツグツとじっくり煮立てとろける舌触りになったマカロニサラダか。
どちらにせよ、みずみずしいレタスは外せない。あの青春を感じさせるような青さが好きだ。
うーん。どれもこれも捨て難い。想像するだけでお腹がすいてくる。ますますサラダを食べたい欲が増す。
スーパーで野菜を買って帰る頃には、サラダ熱がある程度冷めてそうな気もするから、喫茶店によるべきか。
そんな事を思っていると、はたととある喫茶店に目が止まる。
いかにも喫茶店!という雰囲気のレンガ造りの建物だった。
しかも、サラダが五種類の中から好きなものを選べると謳い文句を掲げた看板付きだ。
これは私のために用意されたものに違いない。
私は吸い込まれるようにして、その喫茶店のドアノブに手をかけた。
ちりんちりんと、ベルの音が店内に鳴り響く。テーブル席を拭いていた男の店員さんが顔を上げ、私の方を見るとやや驚いたように目を見開いた。
「おや、珍しいな。お客さんが来るなんて」
「あ、開店前でしたか?ごめんなさい」
サラダを食べたい欲か強すぎてその辺を確認していなかった。
慌てて引き返そうとした私を、その男の店員さんは引き止める。
「大丈夫。営業中だよ。偏屈な場所にあるから人が来ること自体珍しくて驚いただけ。ささ、好きな席に座って」
好きな席に座ってといいつつ、カウンター席のひとつの椅子を引いてしまわれては、そこに座らざるを得ないだろう。
私は素直にその席に腰掛けると、その店員さんはカウンターの内側に周り、バインダーを手に取った。
「御注文はお決まりですか?」
「えっと、おすすめのサラダってありますか?」
「サラダ、ですか?」
店員さんはキョトンとした表情をしたあと、何かを思い出したようにああと手を打つ。
「ああ!看板に書いてたアレね!」
「は、はい。唐突にサラダが食べたくなって、たまたま看板を見かけて、『ここしか無いっ!』って……」
「あはは、面白いお方だ。ちょっとふざけた感じで書いたのだけれど、まさかそれに釣られる人がいるなんてね」
「うう……、お恥ずかしい」
「お気になさらず。本日のおすすめサラダ、でしたよね。それでしたら、こちらになります」
店員さんはメニュー表から一番上の【ハッシュドポテトサラダ】を指し示した。
添えられている写真には、青々しいレタスをベースに、半分に切り分けられた固茹でのゆで卵に、四角いベーコン、そして、メインであるハッシュドポテトが潰された状態で盛り付けられている。
私は心臓を撃ち抜かれたような気分だった。
まさに、私が食べたいサラダは、コレだ!
食い入るようにメニューを見つめる私に店員さんはクスリと笑う。
「これにしますか?」
「はい!お願いします!」
今にも立ち上がりそうな勢いで私は答えると、店員さんは頷き冷蔵庫を開けて、野菜を取りだした。
私はまるで母親のご飯を待つ子供のようなウキウキとした気持ちで待った。
ああ、喫茶店のサラダなんていつぶりに食べるだろうか。
自分で作ることもあるし、スーパーやコンビニで買うこともあるけれど、喫茶店で出てくるサラダはひと味違う気がする。それくらい、
人の手で作られているのは同じなのになんでなんだろうな。
やはり、喫茶店ならではの和やかな雰囲気というか、手作り感というか、そういうものを感じられるからだろうか。
しかし、お腹がすいた。早く食べたい。
今朝は何を食べただろう?忘れてしまった。
それくらい、空腹が私を支配していた。
腹の虫がなる寸前、注文した品物が差し出された。
「お待たせいたしました。ハッシュドポテトサラダです」
目の前に置かれたそれを見て私はごくりと唾を飲む。
レタス、ベーコン、ハッシュドポテト、そして卵、どれも写真のものと同じ、いやそれ以上に美味しそうに飾り付けられていた。
ヨダレが口の端から流れ出ていることに気づき、慌てて拭う。
フォークを手に取り、それらをまとめてパクリと口を入れる。
「んー!美味しい〜!!」
レタスのシャキシャキした食感と、潰したてでほくほくのハッシュドポテト、そこにベーコンの塩っけとゆで卵のアクセントが絶妙なバランスで口の中に広がる。
ああ、コレだ。わたしはこれを欲していたんだ……。
「お味はどうですか?」
「最高です!こんなに美味しいサラダ、生まれて初めて食べました」
「そんなに?ははっ、嬉しいなぁ」
空腹は最高のスパイスとはよく言ったものだがまさにその通り。先程から手が止まらない。こんなにも美味しいサラダがこの世に存在していたなんて。
夢中で食べているうちに、あっという間に平らげてしまった。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです!」
「はは、ありがとう。サラダだけでこんなに満足してくれるお客さんははじめてだ」
店員さんは爽やかに笑い空になった皿を片付ける。
私はカバンから財布を取りだしつつ立ち上がる。
「ここ、気に入りました。また来ます」
「ほんと?ぜひ来て欲しいな。次はコーヒーとかも頼んでくれると嬉しいけど」
「はい!ぜひ」
私はサラダ代を支払い、店員さんに会釈をして店を出た。
正直に言えばもう少し食べていたかった。
けれど、心は満たされていた。
ああ、今日はいい日だ。そう思えるくらいには幸せだった。
横断歩道を渡り、振り返る。
街角にひっそりと佇むレンガ造りの小さな喫茶店メープル。
明日もまた来よう。今度はサラダ以外も頼もう。
きっと、どれもこれも美味しいに決まっている。
ああ、明日が待ち遠しいなあ。
私は足取り軽く、家路に着いたのだった。
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