第5話 ドッペルゲンガー
ドッペルゲンガーというものを知ったのは、天才児と言われた二宮にしては、少し大人になってからのことであった。
あれは、高校時代に、物理学の本を読んでいて出てきたのが、
「ドッペルゲンガー」
というものの存在であった。
それまで、少々のことには、自分が発想する理論と、そこまでかけ離れていなかったことで、ある意味、発想をスルーしてきたのだが、実際にその存在を考えてみると、
「逆に、自分の発想がピタッと嵌ってしまうというドッペルゲンガーに対して、今度は興味津々になる」
ということであった。
「ここまで自分の発想がぴったりと嵌ってしまうと、気持ち悪い」
と感じた。
「自分が興味を持つのは、ある事象がある場合に、自分の常識の範囲で考えてみた時、最初はしっくりとこない考えが頭をよぎった時、印象深くなってしまったことで、そこから、自分の頭をフル回転させ、何とか、自分の理屈に合わせるかのように、理解しようと努力することで、理解できた時は、すっきりと自分の中で理解できているということで、そこから他の発想に行きつくことができる」
という発想に行きつくことで、自分の発想を先の世界に発揮できるという思いを強く抱くのであった。
だが、この
「ドッペルゲンガー」
というものを初めて聞いて、自分が、その存在というものを人から聞いた情報だけで、理解しようと、いつものように発想をめぐらせてみると、その時、いつもは、段階的にどこかで、
「発想の転換というものを余儀なくされる」
ということになり、そこから、自分の転換によって、先に進むべくエネルギーが発揮されることで、自分の力にもなり、発想の転換が、新たな証明を生むことになると自覚できるのであるが、今回のドッペルゲンガーというものに関しては、自分の発想が、段階を踏むことはなく、どんどん膨れ上がってくることで、
「時間に比例して、膨れ上がる発想が、きれいな直線を描く」
ということであった。
今までの発想が段階的になるというその動きというのは、
「まるで、階段グラフ」
のようなものであった。
小学生の頃に習った、
「グラフの中でも、少し異色な存在」
ということ頭の中に残った、
「階段グラフ」
というものの存在は、
そのたとえとして、思い出されるのが、
「タクシー料金」
といえるものだった。
タクシー代というのは、まず、最初に一定距離は、
「初乗り料金」
と呼ばれ、その距離は、一律の値段であり、さらに、それを超えると、いくらか値段があがり、そこにも一定距離は同じ値段となり、そこから先は、値段が上がり、2段階目と同じように、値段が、
「ある一点を境に1段階上がっていくということを繰り返す」
というものであった。
その形が、階段というものと似ているということで、
「階段グラフ」
と呼ばれるのである。
「ドッペルゲンガー」
というものを考える時、普段であれば、非礼を描くような直線的なグラフを思い描くのであるが、この時は、最初から話を聞いていて、
「いきなり階段グラフというものを想像したのだ」
ということであったのだ。
「階段グラフ」
というものを、最初からイメージするということは、今までもなかったし、これからもないだろうと、その時までは思っていた。
たぶん、その時までは、普通の比例系のグラフで理解できるだけのものだったに違いない。
もし、簡単には理解できない場合に、やっと、
「段階的に理解する」
ということができるようになるのだということで、その段階ごとに理解するタイミングというものを身に着けていくことで、その身に着けるという発想が、それこそ、そのまま、
「階段グラフ」
となっているということを、ずっと理解しないままに、
「ただ、段階を踏んでいる」
ということを感じているだけであった。
それを思えば、
「どうして、今まで最初から階段グラフの発想をすることがなかったんだろうか?」
と今までの正しいと思った道筋に対して、急に疑問を呈してくるということになったのも、ある意味、無理もないことなのかも知れない。
ドッペルゲンガーというと、結構昔から言われていていて、そのせいもあるのか、意外とたくさんの人がその言葉だけではなく、結構認知しているようだった。
その理由は正直分からないが、
「ひょっとすると、マンガやゲームというものから、その情報を得ている」
ということなのかも知れないと思っていた。
ただ昔から存在している話ということで、結構有名だということで、二宮が、
「その発想は、スムーズに意識して入ってくることができた」
という理由として分かるというものではないかと考えられるのであった。
そして、ドッペルゲンガーというものには、共通する逸話が残っているということも、その印象に深く残るということから考えられることなのかも知れない。
「なるほど、印象に深く残るから、皆が認知しているんだ」
ということで、
「忘れない」
ということ、つまりは、
「忘却の彼方に忘れ去れることはない」
ということから、
「ドッペルゲンガー」
というものは、言葉だけでなく、その内容自体も、
「ハッキリと認知されているのではないかということになるのであろう」
ということであった。
ドッペルゲンガーというものを、どのように理解すればいいのかというと、
「もう一人の自分が、同一次元の同一時間に存在している」
ということが大前提であった。
そして、この
「ドッペルゲンガー」
というのは、
「世間には3人はいるといわれる、よく似た人」
というものではなく、あくまでも、
「本人自身」
つまりは、
「もう一人の自分」
なのである。
だから、ドッペルゲンガーが現れるその場所というのは、
「必ず、その元になっている本人の行動範囲以外ではありえない」
というものであった。
だから、
「海外旅行に行ったことのない人のドッペルゲンガーをニューヨークで見た」
といっても、それはあくまでも、
「よく似た人」
というだけで、
「もう一人の自分ではない」
ということで、
「ドッペルゲンガーではない」
ということになるのであった。
さらに、いくつかその前提となる話はあるのだが、一つとして、
「決してドッペルゲンガーはしゃべらない」
というのだ。
だから、
「口を利けば、ドッペルゲンガーではない」
ということになり、裏を返すと、
「ドッペルゲンガーの声を誰も聞いたことがない」
ということになるのだ。
そして、ドッペルゲンガーの伝説として、一番共通で言われているものというのは、
「ドッペルゲンガーというものを見てしまうと、近い将来、必ず死んでしまう」
ということであった。
ここが、一番の都市伝説であり、都市伝説でありながら、その信憑性はかなり高く、ただ、高い割には、曖昧さがどうしてもぬぐい切れないということで、
「都市伝説だと言われる、一番の理由だ」
ということになるのであった。
その信憑性というのは、
「今までにたくさんの著名人や有名人が、ドッペルゲンガーを見たということで、命を落としている」
という伝説が残っていることであった。
その中でも、一番不気味な伝説というと、
「芥川龍之介の話ではないだろうか?」
というのは、
「芥川龍之介が自殺を試みるその前日に、編集者の人が訪れていて、その人の前で、作品を執筆中に中座したのだという。その時、編集者の人が龍之介のいない間に、そこに置いてあった作品をちょっとみようとすると、龍之介が戻ってきて、編集者に対して、今までにはないくらいの勢いで怒りをぶちまけ、その原稿を、編集者の前で、破り捨てたというのだ」
そこまでは、普通にある話なのだろうが、
「翌日になると龍之介の自殺死体があることで、編集者はびっくりするのだか、それよりも何よりも、一度目の前で破り捨てたはずの原稿が消えていた」
というのだ。
もし、書き直したとしても、とてもじゃないが、自殺を試みるまでに書けるはずのないものであった。
そこで、
「その不思議なできごとへの解釈」
として、ドッペルゲンガーの話が持ち上がったのであった。
つまり、
「中座から戻ってきた龍之介は、あくまでも、ドッペルゲンガーであり、きれいな原稿も、ドッペルゲンガーの仕業ではないか?」
ということである。
というのは、
「ドッペルゲンガーが、龍之介にとってかわろうとしたのではないか?」
と考えられ、
「本人の原稿を破り捨てることで、自分が表に出ようと考えたのだとすれば、辻褄が合うのではないか?」
という考えは奇抜なものであろうか?
ということであった。
そもそも、
「ドッペルゲンガーというものを見ると、近い将来死んでしまう」
という伝説の根拠はどこにあるというわけではない。
しいていえば、
「有名人、著名人がたくさん伝説を残している」
ということからくるもので、その理由についても、いろいろ言われているが、そのどれもが、
「後付けということでしか、証明できない」
ということになるのであろう。
その中でも、なんとなく説得力を感じるものとして、一つは、
「タイムパラドックスに対しての挑戦」
といってもいいだろうか。
というのは、
「同一次元の同一時間に同じ人間が二人存在するということは、タイムパラドックスの矛盾をつく」
ということで、
「パラドックスによって、片方を消しにかかる」
という発想である。
奇抜ではあるが、その発想には一理あり、証明さえできれば、定説となることは間違いないことであろう。
そして、もう一つの考え方としては、
「そもそも、ドッペルゲンガーを見る」
ということは、
「病気による錯覚」
ということで、
「その病気が悪化したことによって、死を迎える」
という、一番すっきりすることであり、信憑性がありそうなのだが、ここに結論をもっていかないのは、それだけ他の説にも信憑性があると考えられるからではないだろうか?
「それだけ、ドッペルゲンガーというものは、得体の知れないものだ」
ということになるのだろう。
ドッペルゲンガーとは違うのかも知れないが、日本では、特に線独時代などでは、
「影武者」
なる存在があったという。
それは、戦国武将の、身代わりということであり、もちろん戦などでは、総大将がやられてしまい、首を取られると、そこで終わってしまうということで、影武者など人を身代わりにする形で、本陣にある総大将の席に、総大将の鎧を着せて、そこにドンと構えさせておくというのが、影武者と言われるものだったりする。
しかし、少し不思議な気がするのだが、
「どうして、攻め込む方は、その人が、総大将だ」
と分かるのだろうか?
確かに
「その場所に座っているから、総大将だ」
ということが分かるのだろうが、どうしてハッキリと分かるのだろうか?
相手に本陣に攻め込まれると、本陣は総崩れになるか、皆で必死に総大将を守ろうとするからなのだろうが、総崩れになることだってあるはずだ。
何しろ、本陣に攻め込まれるというのは、
「徐々に押し込まれてきて、守り切れずに攻め込まれている」
という場合であれば、
「それまで必死に守ろうとしているにもかかわらず、それでもだめなのだから、防衛線を突破されれば、それまでの防衛が利かなくなると、一気に逃亡へと舵を切り替えることになる」
ということで、そうなると、大混乱を期するのは、当たり前のことであろう。
もう一つとしては、一気に攻め込まれるとすれば、
「それこそ、ハチの巣をつついたような騒ぎになり、それこそ、戦術、戦略が総崩れになるので、必至になって逃げだそうとするに違いない」
ということである。
そうなると、
「総大将の場所」
に、総大将がいるわけではない。
だとすると、
「誰が総大将なのか?」
ということを考えると、
「後は、鎧で判断するしかない」
ということになる。
確かに冷静に見れば、
「逃げながら、大将を守ろうとしている武士がいるはずだから、見ていれば分かる」
ということになるのだろうが、喧騒とした中において、そんな判断が簡単にできるわけはない。
そうなると、やはり、鎧兜を見ることになるだろう。
しかし、相手の武将が、総大将の鎧兜が、どういうものなのかというのを分かっているというのだろうか?
自軍の総大将であれば、当然分かっていて当たり前のことであるが、何といっても、写真などがない時代である。
ましてや映像などがあるわけではなく、あるとすれば、似顔絵のようなものだけであろう。
果たして、当時、色を塗った絵があるわけでもないだろうから、どんないでたちなにかを詳しく知ることは難しいだろう。
しかも、コピー機がないだろうから、一枚一枚が手書きということになる。
そうなると、皆が皆、
「相手の総大将のいでたちが、そう簡単に知ることは難しいだろう」
ということになるのだ。
確かに、
「一番総大将らしい鎧」
というのがどういうものかは、その時代に生きていて、ましてや、兵士として働いているわけなので、今の時代の人間よりも分かるということはあるだろう。
しかし、最初から、首だけを狙っている武将がいるわけではないのだから、混乱の中で、自分も相手の兵から狙われるわけなので、自分の命を守りながらということになれば、当然、必死になるに違いない。
そんな状態で、相手の総大将というものが分かるのだろうか?
それが、
「戦国時代の七不思議のひとつ」
といえるのではないだろうか?
首を持ってきて、それを持参してきて、首実検というものを行う。
そこで、本人であることが確認されると、その時点で、論功行賞の対象になるというものである。
ということは、
「首実検を行う人は、少なくとも相手の総大将の顔を知っている」
ということになり、それこそ、少なくとも、家老以上が勤めるということになるのであろう。
前述の、
「総大将を見分ける方法」
として、一番の可能性があるとすれば、それは、相手の総大将が、
「本当の武士」
というものであり、
「自分はもうダメだ」
となった時、
「ここで潔く討ち死にをしよう」
と思う人もいるだろう。
「もし、このまま逃げ切ったとしても、結局落ち武者となり、落ち武者狩りになったり、いずれ見つかって捉えられ、処刑されることを思えば、ここで潔く、最後を迎える」
ということが、
「武士の本懐だ」
ということだと考えたとすれば、そこで、自害することができれば、その場で自害して、首を渡さないように、するのだろうが、本陣にまで攻め込まれた時点で、その混乱から、自害も難しいと考えると、あとの行動として、
「潔く打ち取られる」
という道を考える総大将もいるに違いない。
その時、こそこそ隠れるということをしないで、
「我こそが、総大将の、〇〇なり」
といって、名乗り出ることも当然のごとくあるだろう。
そもそも、日本の武士の戦いの基本というのは、
「平家物語」
に出ているような、
「お互いに名乗り合っての、一騎打ち」
ということが当たり前のようになっているのではないだろうか?
だから、鎌倉時代の末期に起こった。
「元寇」
と言われる、
「モンゴル帝国」
という中国王朝が攻めてきた時、日本の武士の特徴である。
「一騎打ち」
というものが通用せず、相当に苦しめられたという事実が残っているではないだろうか?
それを考えると、日本の武士というのは、
「伝統的に、卑怯な戦法はすることはなく、武士道に則ったやり方で、潔い」
というのが基本だったりする。
もちろん、戦国時代の武将には、卑怯な戦法を用いる人もいた。しかし、それも戦術としては立派な戦術であることに違いはない。要は、
「相手がどう感じるか?」
ということであり、やはり基本は、武士道に則ったものであった。
その考えを利用して、天皇制と絡めたのが、大日本帝国の軍や政府であり、
「戦陣訓」
を始めとした考え方に、
「国民を洗脳した」
ということになるのだろう。
戦国時代は、それでも基本は武士道に則った潔さで、
「もうダメだ」
と思った時に、
「やあやあ、我こそは」
ということで、総大将を名乗る人もいたはずである。
しかし、それを逆に利用したのが、
「影武者」
というもので、影武者が、
「自分はそうだ症だ」
と言えば、相手は疑うことはないだろう。
結局、総大将の首ということで、首実検に差し出したとして、中には、そのまま
「大将の首」
ということで通る場合も中にはあっただろうが、実際には、
「バカ者。これは、〇〇ではない」
と言われて、蹴り飛ばされるということが多かったのではないだろうか。
見事に相手にしてやられ、総大将は、まだ生きているということで、戦には勝っても、相手を屈服させるわけではないので、相手の領地を占領もできず、
「論功行賞に使える土地がない」
ということで、部下からの不満が出てくることになり、
「果たして戦はどっちが勝ったのか?」
ということになるのであろう。
それだけ、
「大将の首」
というのは大きなもので、逆にそれがあれば、
「相手は全滅することもない」
ということになるといっても過言ではないだろう。
そんな影武者が、
「実はドッペルゲンガーだったのではないか?」
と考えるのは、
「あまりにも都合のいい解釈ではないだろうか?」
ということであるが、やはり、この話には、信憑性が少ないともいえるだろう。
また、
「影武者」
というものではないが、昔などは、
「建築物を建てる時というと、工事が難航したり、不吉なことがあったりした時などは、いわゆる、
「人柱」
というものを使って、神様の怒りのようなものを鎮めるということが平気で行われていたというではないか。
つまりは、今でも残っている、
「地鎮祭」
なるものがあって、
「建物の安全を保たせるには、神の怒りを鎮める」
という考え方が主流になっていたのだ。
だから、領地を守るためという、
「城」
であったり、
「要塞」
などを築く際には、神の怒りを鎮めるということで昔から、
「人柱」
という形での儀式が行われていたということである。
昔はそれ以外にも、
「山の中に化け物が住んでいて、夜な夜な人をさらってきてから、子供などの肉を食らう」
というような伝説があったりしたが、その際は、化け物に大して、
「一定期間の間に、いけにえを差し出す」
という儀式があったりした。
これも、結局は、
「人柱」
と同じで、
「生きている人間を差し出す」
ということになるのだ。
だから、昔の城建設に伴って、
「人柱にされた」
という人が結構たくさんいて、その人柱というのが、ほとんどといっていいほど、
「若い娘さん」
ということになっているのだった。
何といっても、人柱などは、
「生き埋め」
なのである。
「殺しておいて、相手に差し出すということと、訳が違う」
ということで、
「その恐ろしさは、想像を絶する」
ということになるのではないだろうか?
どんなに苦しくても、自然に死ぬまで、その苦しみから逃れることはできない。
それこそ、
「切腹をして、介錯をしてもらえない」
という苦しみと同じであり、
「いや、それ以上に時間は長いわけなので、どれほど恐ろしいものなのか?」
ということである。
そういえば、戦前くらいの探偵小説の中で、
「人が死んでしまったので、当時は主流だった土葬にされたのだが、奇跡的に蘇生してしまったが、呼吸もできないで死を待つだけの恐ろしさに、その男は、最後にはどうにかして助かるのだが、髪の毛は一気に、その恐ろしさから、真っ白になってしまった」
ということであった。
それが、恐怖ということであり、
「自分を死んだことで、得をした連中に復讐をする」
という話であったが、やはり前半の、
「生き埋めのなった描写が生々しく描かれていたのは、衝撃的な作品であった」
ということで、今では、
「隠れた名作」
と言われているようだった。
意識してなのか、それとも働く意識がないということからなのか、
「人柱」
であったり、
「生贄」
として差し出されたものを、表現するものは、文書としては残っていなかった。
それは当たり前のことだといってもいいかも知れない。
なぜなら、
「人柱」
であったり、
「生贄」
というものは、何といっても、助かることを前提としているわけではなく、
「城を守るため」
あるいは、
「民衆を守るため」
ということで、
「皆の命のために、一人が犠牲になる」
ということで、皆、後ろめたさは当然のようにあるだろう。
もちろん、若い娘さんの中には、
「よかった。私じゃなくて」
と、ホッと胸をなでおろしている人もいるだろうが、あくまでも、
「その時は助かった」
というだけで、そんな風習が残る以上、
「いつ、今度は自分が犠牲者にされないとも限らない」
ということで、その恐怖を敢えて、文書に残すことはしなかったのだろう。
「人柱として使われた」
ということだけを言い伝えとして残しておくだけで、その詳しいことは、まず黙っておくというのが、その当たり前のことだといっても過言ではない。
そんな
「人柱」
にも、
「ドッペルゲンガーというものが使われている」
という話を聞いたことがあったが、それを文書に残すようなことは、絶対といっていいほどあるわけではない。
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