第4話 二つの命
人間から、
「神」
という存在を創造した時、そもそも、
「命」
という概念はないと考えられるのではないだろうか?
「神様というものが死ぬ」
ということを考えたことがないからである。
二宮少年が、中学受験というものを断念したのは、
「臆病だから」
ということで、それが、彼の持って生まれた、
「自衛本能がいち早く働いた」
ということだからであろう。
そもそも、彼が、
「1+1=2」
というものを、簡単に理解できなかったというのも、この、
「自衛本能」
というものの力によるものなのかも知れない。
彼が、中学受験しなかった理由は、一つは、
「統計的な発想ができる」
ということになるからではないだろうか>
中学受験をすれば、合格は、
「五分五分ではないか?」
と言われていた。
というのは、受験を考えると、そのレベルから、
「受験するなら」
ということで目標とする学校には、合格するのは、五分五分と言われているのだが、それは、一つランクを下げた学校とのレベルの差が歴然としていたからであった。
「ランクを下げるくらいなら、別にその学校を受験しなくても、公立に行ってもそんなに変わりはない」
と思えるところで、
「だったら、無理して私立にいく必要もない」
というところであった。
しかも、そのランクを下げた中学というのは、
「私立ということで、金持ちの子供が、中学は私立に行ったということで、一種の箔をつけたいという意味で、受験するところ」
というウワサガあるところで、その分、入学金も、授業料も他の私立に比べれば、
「高い」
ということになる。
だから、
「そんな学校に、わざわざ進む必要もなく」
そもそもが、
「坊ちゃん学校」
「お嬢様学校」
などと言われ、学校自体が特殊な私立だったのだ。
そんなところに、爪に火を灯すかのような暮らしをしている一般庶民の子供が通学するということは、それだけで、
「親も子供も、惨めな思いをすることになる」
ということであった。
それは皆分かっていることだったので、そこへの受験というのは、
「最初からない」
といってもいいだろう。
ということは、
「中学受験をするということは、最初から五分五分の学校」
ということしか、選択肢は残っていないのだった。
「それなら、受験の必要はない」
ということであった。
学校の先生も、親も、
「受験するだけしてみればいいんじゃないか? 実力を試すという意味でも、決して無駄なことではないんじゃないか?」
とは言ってくれたが、
「いやいや、もういいんですよ」
としか、二宮は答えない。
そこで論破できるくらいの自信はあったが、論破するということは、
「自分の臆病さというものを、表に出すことに繋がるのではないか?」
ということであった。
二宮が考えていることを、他の大人は分かっているだろうか。
「大人ゆえに分からない」
ともいえるし、
「大人だからこそ、子供の気持ちが分からない」
ということへの証明のような気がして仕方がない。
それを思うと、二宮は、
「簡単に受験をすることもできない」
と思うのだった。
彼が感じたのは、
「自分のプライドというものが、入学したことによって、ズタズタになりはしないか?」
と考えたからだった。
それは、
「二宮少年が、小学生の一年生に入学してから、低学年の間。理屈というものが分からないことで、その苦しみというものを、ずっと耐え忍んでいた」
という経験があるからであった。
小学生の頃に、
「底辺も、頂点も、両方味わったわけである」
しかも、
「底辺から頂点ということで、上に上がるということしか経験をしたことがなかったので、今の状態は、頂点にいるということで、もし、変わるとすれば、それは頂点から叩き落されるということであり、見えてくるのは、奈落の底というものではないだろうか?」
と考えることであった。
小学生の受験前というと、クラスでもトップクラスで、曖昧ささえなければ、きっと、
「クラスで一番の成績を、ずっと続けてきたのだろう」
という自負はあった。
小学生は、点数で評価することはなく、ランクで評価する。
だから、そこに、
「表に出てくる、順位というものは存在しない」
ということで、
「差別的な発想は、曖昧にごまかす」
というのが、小学生ではないだろうか?
ただ、当然のことながら、
「優秀な成績を収めている人たちにとっては、何ともいえないような腹立たしさのようなものが蠢いている」
といってもいいのではないだろうか?
というのも、
「順位をハッキリとしてくれた方が、自分に対しても、モチベーションが上がる」
というものだ。
「せめて、ベスト10くらいのところは、教えてくれてもいい」
というものではないだろうか?
小学生ではそれもしてくれない。
「中学生ではどうなのだろうか?」
と考えたが、私立の、いわゆる
「進学校」
と言われるようなところは、カチッとした順位をつけることであろう。
そうやって、モチベーションを挙げることが、個人間での切磋琢磨が、全体のレベルを引き上げ、
「優秀な生徒」
をさらに、篩に架けることで、先生も、
「どの生徒にターゲットを絞るか?」
ということが分かってくるというものである。
それを考えた時、
「公立の中学は、やっぱり小学校の延長なのではないだろうか?」
とも考えた。
それは、
「中学生までが、義務教育」
ということになるのだから、なるべく、
「落ちこぼれ」
というものを増やしてはいけない。
ということになるだろう。
だからこそ、
「ゆとり教育」
というものが生まれたのである。
そもそも、戦後の教育というのは、
まずは、
「戦後復興」
ということが最優先の日本において、
「教育問題」
というのは、深刻なものだった。
復興というものを、日本人の手で行わなければいけないというのも当たり前のことであり、
「そのためには、今の学生や児童の学力の底上げというのが、急務である」
といえるだろう。
そのために、
「学校の差別化」
というものが進み、
「進学校」
というものが増えてくることで、当時生まれた、
「教育ママ」
と言われる、今でいう、
「モンスターピアレント」
と言われるものが、子供に言っているのは、
「お父さんみたいに、学がないと惨めな思いをする」
ということで、
「いい会社に入るためには、いい学校に入らないといけない。お父さんのようになりたいの?」
とばかりの言われ方だった。
当時はまだまだ、父親は
「家族の大黒柱」
ということで、その威厳は、少しは落ちたとはいえ、
「絶対的な存在だった」
といっても過言ではないだろう。
だから、
「その威厳を壊しては元も子もない」
ということで、
「お父さんには、子供の前でこんなことを言っているということは内緒にしながら、子供のモチベーションを高めるために、本当は言いたくないことなのだと子供に思わせるように話をしていた」
ということであった。
実際には、
「言いたくて仕方がないことだった」
ということなのかも知れないが、
「それを口にしてしまうと、どうしようもない」
といっても過言ではないだろう。
特に当時の大人は、
「子供の教育」
というものに対して、神経が過敏になるくらいに大変なものだったといってもいいだろう。
特に、当時のエンターテイメントという娯楽では、
「それまでは、映画だけだったが、カラーテレビの普及がほぼ、
「一家に一台」
ということが当たり前のようになってきたことで、
「娯楽的なテレビ番組が多くなってきたり、マンガがアニメ化したことで、子供に悪影響を与える」
と言われる番組が増えてきたといわれるようになった。
だから、マンガを置いてあった、当時の、
「貸本屋」
などに対して、
「子供が来たら追い返せ」
というようなビラを作って配ったりしていたのだ。
本来であれば、
「営業妨害」
といってもいいのだろうが、まだまだ、町内会というものの力が強かった時代であり、しかも、
「貸本屋などの主なお得意様」
というのが、
「近所の主婦」
というところであったことから、相手が、
「教育ママ」
だということが分かっているとしても、
「それをむげな対応をすることもできない」
というものであった。
それを考えると、
「貸本屋も、、ジレンマであり、子供に至っては、せっかくの教養になるかも知れないものを、十把一絡げにして、マンガは悪書とばかりに攻撃する親のせいで、結局、誰も得をすることのない、百害あって一利なしということになる」
といえるのではないだろうか?
「教育ママ」
というのも、いくら子供のためとは言いながらも、悪書として、まるで何かを、
「仮想敵」
というものに仕立て上げないと、子供に対して、何も言えないという、少し歪んだ考えがあるのではないだろうか。
そんな親が、子供に対していかに対応するか?」
ということが、きっとまだ手探り状態だったのかも知れない。
何しろ、
「このように、仮想敵を作って、子供を悪に少しでも近づけないようにする」
という方法以外には、どう対応していいのか分からないからだ。
というのは、まだまだ教育というものに対しては。
「黎明期だ」
ということであり、もし、この方法が、
「悪いことだ」
ということであったとしても、他に方法が分からず、思いつくということもないと考えた時、考えられる発想としては、
「考えれば考えるほど、一周回って、元に戻ってくる」
ということしかない。
ということにしかならないのであった。
そんな中で、教育方針としては、
「学力の底上げ」
というものが最優先となり、
「それが何を引き起こしたのか?」
というと、
「落ちこぼれ」
というものを、大量に生み出すということになるのだった。
それは、結局、
「校内暴力」
というものを引き出し、卒業式での、
「お礼参り」
などというものが横行してくるのである。
それが、
「腐ったミカンの法則」
というものを生み出すことになるのだろう。
「ミカンなどのように、すぐに腐りやすいものは、他のミカンを腐らせてしまうことから、すぐに排除する必要がある」
というものである。
つまり、まわりに悪影響を与えるような、昔でいうところの、
「不良」
と呼ばれる連中は、優秀な生徒に近づけないようにするということもあり、
「学校の拘束に違反したり、万引きなどの犯罪を犯した連中は、すぐに退学にする」
というやり方である。
昭和の頃には、小学校の中に、特殊学級などというものがあり、
「障害者を、そこに集める」
ということもあった。
ただ、これはそうしておかないと、安全面などからの配慮もあるということで、仕方のない面もあるが、子供たちの意識の中に、
「障害者は、特別扱いをするものなのだ」
という意識を植え付けることになるのであった。
障害者と、不良とは、元々扱いが違うが、
「特別扱いをする」
ということでは、大差ないといってもいいだろう。
やはり、
「いかに差別を行うかということが、子供の心に先入観を与えるかということになるといっても過言ではないだろう」
二宮は、中学は受験をせずに、そのまま地元の公立中学に行った。
「なぜ受験をしなかったのか?」
というと、臆病というよりも、
「それなりに計算づくだった」
といってもいいだろう。
なるほど、
「五分五分でも試験に受かれば、そのまま私立校に入学することになるだろう」
しかし、そうなると、今までがせっかくトップクラスだったのに、今度は、
「秀才の集まり」
というところに入ることになるのだ。
しかも、成績から考えれば、
「五分五分」
というところなので、実際に入ってくる連中は、ほとんどが、
「この学校であれば安パイだ」
と思っている連中が多いとすれば、想像以上に、学力レベルは高い連中が多いことだろう。
そうなると、
「自分の成績では、よくて、中の下くらいで、下手をすれば、下の中くらいのランクになるだろう」
として、自分の成績のレベルが、さらに自分のプライドを傷つけることになる。
今までの自信とプライドが少しでも傷つけられると、どこまで自分の自意識が保てるかどうか、自分でも正直自信がない。
あくまでも、自分に自信を持てたのは、
「プライドを保てる範囲内だったから、うまくいっていた」
ということであり、それが、根底から崩れると、どうしようもないということになったとしても、それは無理もないことになるであろう、
それを考えると、
「俺は、とても、そんな状態ではいられないだろう」
と考えた。
そして、もう一つ考えたのが、
「自分が、落ちこぼれになったら、どうしよう」
ということであった。
母親やまわりの大人たちが、
「落ちこぼれに対してどのような見方をしているか?」
ということをしっかりと見ている。
それだけではなく、何よりも、自分もそんな大人たちの目線で、同じように、落ちこぼれというのを見ていて、しかも、最悪なことに、それが、
「他人ごと」
としてしか見ていない・
ということが、一番の問題だったのだ。
というよりも、
「他人事としてしか見ることができない」
ということである。
いかに、自分にとっての他人というものが、どういうものなのかというと、
「いくら、必至になって自分のこととして見ようとしても、どうしても、他人事としてしか見ることができない」
つまりは、
「他人事としてしか見ることができないというのは、それだけ、自分の頭の中が、逃げる態勢になっている」
ということでしかないからであった。
「どこから逃げるのか?」
そして、
「どこへ逃げようというのか?」
まったく見えていない。
それが、
「他人事として見る」
ということであり、
「逃げ腰になっている」
ということになるのであろう。
それを考えると、
「自分には限界がある」
ということを自覚しているにも関わらず、本来であれば、
「それだったら、世の中に限界があるはずなのに、その根拠が見当たらない」
ということで、
「世の中は無限だ」
と考えると、言い知れぬ恐ろしさに包まれるということが、不気味で仕方がなくなるということであった。
「自分が考えていることの中に、想定していなかったことがたくさんあると考えると、その恐ろしさというものが、無限にある」
と考えてしまうのだ。
無限というものは、可能性というものを、発想として、どんどん広げることなので、
「気持ちに余裕が持てる」
ということでもあるが、それが、
「不安」
ということが少しでも絡んでくると、
「余裕というのが恐怖に変わり、次第に、広がってくるものが、自分を苦しめることになる」
という思いに駆られるのであった。
だから、大人から見れば、受験だって、
「やってみればいいじゃない。挑戦することは悪いことではない」
というのだった。
その時に子供が感じることとしては、口には出さないかも知れないが、
「何をのんきなことを言って、他人事だからいえるんだ。人の気も知らないで」
ということになるのだ。
そう、
「他人事でしかないのだ」
つまりは、まわりが、人の気も知らないで、他人事でいようとするから、
「人のいうことを、まともに信じられなくなる」
それまでは、そこまで人の言葉に対して、疑いを持っていなかった二宮が、最初に疑ってかかったというのが、
「受験を勧める、親やまわりの大人たち:
に対してだった。
その時感じたのが、
「なんて無責任なんだ」
ということである。
それまでは、
「無責任」
という言葉は、自分に対して言われるものだと思っていた。
それは、特に小学生の低学年の頃にであった。
もちろん、成績が悪かったからで、母親などは、
「お父さんの顔に泥を塗らないで」
と言ったものだった。
昭和の頃であれば、そんな言われ方をしていただろう。
年功序列であったりしたので、そんな中で、他の人に比べて、出世が早かったりなどすれば、
「出世競争に勝った」
ということの裏付けになり、
「自慢してもいいレベル」
ということであっただろう。
もちろん、自慢をするには、それだけの結果というものが、形となっているということだからであろう。
だから、家族としても、
「家庭の誉れ」
といってもいいくらいに、お祝いをしたり、自慢の種になったりしたものである。
だが、二宮は、それが実は嫌だった。
というのも、
「いくら家族のことだとはいえ、何で自分のことでもないのに、そんなに自慢ができるんだ?」
と考えたことであった、
確かに、学校でも、スポーツなどで全国大会に出場する生徒を、学校が、
「全面的にバックアップ」
ということで、学校から横断幕に、
「祝」
と書いて、宣伝していたりする。
田舎などでは、最寄りの駅にも、同じような宣言を書いていた李して、
「地元の誇り」
などといって、喜ばしいといわんばかりに宣伝しているではないか?
それを見ていて、
「なぜなんだ?」
としか思えない。
というのは、
「確かに、自分のことではないので、嫉妬心が強く表れていて、それが、我慢できない」
ということになるのであろう。
それは、
「その人に自分がなった時のことを想像して、重ねてみてしまう」
ということだからだろう。
本当にい羨ましいという気持ちから、
「俺も頑張って、いずれは、あの位置にいるのが自分でありたい」
と思う。
しかし、
「今の自分でなければ嫌だ」
という気持ちが強くあるのだ。
ただ。それだけではない。
もう一つ大きい思いが、別のところでくすぶっているからだった。
特に、思い出すのが、
「通りゃんせ」
の歌であった。
内容と解釈は、まったく違っているのかも知れないのだが、その一つとして、
「行きはよいよい、帰りは怖い」
というところであった。
そう、
「全国大会への出場が決まって、県を挙げての、壮行会のようなものを営んでくれるのだが、もし、決勝戦まで進めば、報告会ということで、堂々と、県庁に、報告にいったり、マスゴミが、たたえてくれるのだろう」
しかし、決勝前に負けてしまえばどうなるのだろう?
「行く時は、新幹線の駅まで皆来てくれて、万歳三唱してくれたのに、帰ってきた時は、出迎えなどまったくなく、そのまま寂しく学校に帰るだけである」
ということだ。
戦っている時は、
「一回戦で負けはしましたが、頑張りました」
ということで、決して悪く言われることはない。
ただ、それも、
「勝利者に対しての賛美を高めるために、敗者に対して、変なことを言わない」
という心遣いのようなものなのであり、何も、
「誰も敗者のため」
などと思っている人などいるわけもない。
それを思うと、新幹線の駅に降り立って、数日前には、
「万歳三唱」
までしてくれた人たちが一人もいないということで、余計に、
「敗戦ということの屈辱を味わわされる」
ということになるのであった。
敗戦ということが別に屈辱ではないはずだ。
壮行会を開いてくれたのだって、
「ここまでよくやって代表になってくれた」
ということではないか。
それが打って変わって、
「敗戦すれば、そこで終わり」
とばかりになるのは、実につらいことである。
考えてみれば、
「万歳三唱を駅でやる」
というのは、昔の大日本帝国において、戦時中に、出征兵士を送り出す時のものではないか。
時代が時代だっただけに、
「出征は、国民の誇り」
というご時世だったことで、それは、
「国のために死ぬ」
ということを前提にしてのことであった。
いや。
「国のため」
というわけではない。国家元首である、
「天皇陛下のため」
ということである。
だから、兵士となって死を目の前にした兵士や、民間人は、皆最後には、
「天皇猊下万歳」
を叫ぶではないか。
そう、駅にて、
「万歳三唱をされる」
ということは、
「潔く死んで来い」
といっているのと同じではないだろうか?
時代が変わったのだから、それを思い浮かべる人はいないだろうが、なぜか、二宮はそれを思い浮かべた。
しかも、負けて帰ってくると、分かっていることとはいえ、誰も出迎えすらしてくれない。
駅の横断幕の、
「祝」
という文字を見ると、おめおめと負けて帰ってきた自分たちを、蔑んでいるように見えて、その惨めさと屈辱に、
「身も震えんばかり」
ということになるのであった。
それを考えると、
「そもそも、あの壮行会自体が、茶番でしかないんだ」
ということになる。
もし、全国制覇を果たして帰ってきたとしても、
「戦勝報告までしてしまえば、きっと、県知事をはじめ、役所の人たちの中では、すでに過去のこと」
ということになっているに違いないだろう。
「パラレルワールドが無限なのか、限界があるのか?」
ということを考えると、
「そのどちらにも、信憑性はある」
といえるんだろう。
もしこれが無限だと考えるとすれば、その根拠は、
「限りなくゼロに近い」
という、
「合わせ鏡」
であったり、
「マトリョシカ人形」
のようなものの存在を考えた時、そこにあるのが、
「ゼロに近い」
というもので、そのゼロというものが、無限であるということが証明されれば、
「無限」
という存在も証明されるということなので、
「無限の可能性」
であったり、
「パラレルワールドが無限に存在する」
と考えると、無限の数の命の存在を、今度は否定することはできないだろう。
そして、
「パラレルワールドの存在」
というものが証明され、さらに、
「それが、限界がある」
という考えに至った時、その限界というのが、
「複数系でいうところの最小単位だ」
と考えられる。
となると、
「限界のあるパラレルワールドで存在しているもの」
というと、
「2つということになり、限界である命も2つしかない」
ということになるのだ。
それが、表裏である相対性とする、
「鏡の世界」
であったりが、その可能性となるのではないだろうか?
そう考えると、
「三すくみ」
「三つ巴」
などという3つの世界が織りなすものは、一つの世界において、相対的なものではなく、あくまでも、
「一つの世界の中に存在する、別宇宙だ」
といえるのではないか?
ということであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます