白ワイン

sui

白ワイン

 サワサワ、パシャ、パシャ。

 チャプリ、ピチョン。

 水面の跳ねる音は呟きよりもなお小さい。



 都市部とは異なる爽やかな空気。

 周囲を木々に囲まれて、柔らかな土の上に草花が茂る。

 山から流れ込む水が作り上げた湖。


 木陰の下にチェアを置き、バスケットを乗せて水と近付く。

 景色に合わせて選んだファッション。手元のバスケットにはワインとお供の軽食達。


 空は晴れ、時折白い雲が流れている。



 見た目は恐らく優雅な休日。


 けれどもそこに漂うのは僅かな生臭さ。

 日光を跳ね返し輝く湖面も長時間裸眼で眺めていたなら目が痛み出す事だろう。

 水は一見透明なのに触れれば飲める程ではないとざらつく指が知らせてくれる。

 泳ぐ無数の小魚は地味な砂色で、深みに目を向ければ人工的なゴミの破片。それをより醜く見せるのは藻や泥や微生物。

 チェアに座って木に目を向ければ樹皮に無数の虫を見つけるだろうし、何かが突然頭や肩の上に落ちて来るような事も起こる。


 サンダルのヒールは泥濘に染まりやすく、風が吹けばスカートが喧しく跳ねて足に纏わりつく。

 運んだチェアは決して軽くない。バスケットの中身を理想通りに揃えていたならもっと苦労は多かっただろう。



 現実とは美しく楽しいばかりではない。

 そういうものだ。


 世界に理想なんてない。

 夢を見ても利益にならない。

 希望だけでは食っていけない。

 考えたって仕方がない。

 安寧を否定する程の事ではない。

 何をしても、しなくても辿り着く先は結局一つ。

 そういうもの。



 そう。分かっている。

 なのに抗いたくなってしまう。この衝動は一体何なのだろう。


 バスケットを開けてペットボトルのワインを取り出す。キャップを捻ればキチキチと音がする。

 携帯用のチープなグラスに中身を注ぐ。

 一杯目だけで聞く事が出来るこのコッコッコッという音。

 黄色味がかった液体が揺れ乱れながら溢れ出る。

 ガラス瓶でなくても片手で持つにはやや辛く、その不快さについ舌打ちが出る。

 沸いた怒りを落とすように、ぐっとグラスの中身を飲み干した。


 途端に回るアルコール。

 クラッカーにチーズ、ナッツやジャムを取り出し、皿の上で組み合わせて口の中へ放り込む。

 このワインには塩気のある物がよく合う。酸味と僅かな渋味、そして癖のある香り。

 飲み物らしい、ただただ柔らかく甘い種類も嫌いじゃない。あの瑞々しさは癖になる。

 けれども今必要なのはこのワインなのだ。


 じわじわと上がる体温。

 フワフワと浮くような感覚。締め付けられていた何かが外れるような気分。


 最後の一杯を一気に煽る。

 ここまでくれば、味も何もない。

 グラスに付いた雫を振って払い、ボトルと共にしまい込む。

 零れたクラッカーの欠片も叩き落として全てバスケットの中へ。


 そして立ち上がる。



 世の中、甘いもんじゃない。

 負けた所で何が悪い?

 我慢も時に必要だ。

 流された方が気は楽さ。


 だから何だ。それがどうした。

 勝利を眺めて負けが嬉しいと思えるのか?

 欲しい物は欲しい。嫌なものは嫌。美しいものこそ美しい。

 その感情をどうして消してしまえる?


 私は私として生きていたい。ただそれだけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白ワイン sui @n-y-s-su

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画