捻くれ者は東へ逃げる

※この短編は本編「浅き眠りの夢見鬼」の読了を前提としたネタバレを含みます。ご注意ください。※


 新月の夜に京都で起きた妖物達の暴走事件は、街に施された大結界の管理不足によるものと片付けられ、一人の陰陽師を追放処分とすることで闇に葬られた。

 追放となった陰陽師は芦屋竜胆。

 大結界の管理をしていた一人ではあるが、決してこの者に全責任があるとは思えない。

 かつ、これだけの大きく、死傷者も出ている事件の処罰がが追放だけというのも妙な話ではある。

 実は他に黒幕がいるのではないか、という噂は町中で囁かれてはいるものの、貴族という身分の者が残るこの街では珍しい事でもない、というのもまた事実ではある。

 そんな街から少し離れた街道のとある宿屋、さほど大きくもなく侘しい宿だが、この日は二部屋が客で埋まっていた。

 そのうちの一部屋には若い男が二人、神妙な面持ちで座っている。

 一人は身なりは地味だが育ちの良さが醸し出ている男で、生まれたばかりの赤子を抱いていた。

 男は緊張した面持ちでため息を吐くと、もう一人の少し派手めの格好をした男の傍へ寄る。

「あさき、悪いけど根夢を頼むわ。……晶墨の所へ行ってくるさかい」

「あんたさ……」

 あさきと呼ばれた男は怪訝な顔をしつつも赤子を受け取る。

「晶墨んとこ行って何すんだよ」

「……わてを殺してもらうんや」

「まさか隣で殺人が起きるってんじゃねぇだろ。どういう意味でだ」

「……」

 答えに困ったように男は俯く。

「竜胆、どういう意味だって聞いてんだよ」

 竜胆と呼ばれた男はあさきの言葉を無視するように踵を返した。

「おいっ――」

 赤子を預けられた手前、制止のために手を伸ばすこともできず、あさきは部屋を出ていく竜胆を見送る。

 あさきは大きなため息を吐き、乱暴に頭を掻いた。


  ・・※・※・・


「晶墨、ええか?」

 竜胆は先ほどいた部屋のすぐ隣にある部屋の前で声をかけた。

 程なくして扉が開く。

「どうしたんですか芦屋先輩。根夢君は……?」

「ちょい、お前にお願いがあってな。根夢はあさきに預けてきたわ」

「……そうですか。どうぞ」

 怪訝な顔で晶墨と呼ばれた男が竜胆を招き入れる。

 就寝間際だったのか晶墨は浴衣一枚という楽な格好をしていたが、竜胆の訪問を気にしたのか部屋に入ると羽織を纏う。

 晶墨は竜胆に座るよう促すと、どこか居心地悪そうに自らも座布団の上へ座った。

 座ったものの、話し出す様子の無い竜胆に晶墨が口を開く。

「で……何でしょうか、お願いって」

 晶墨の言葉に、竜胆は一瞬顔を上げるが、またすぐに俯き所在なさげに自身の入ってきた扉へ視線を逃がした後、意を決したように頭を下げた。

「今回のこと……おおきにね」

 実のところ、街で起きた騒動は、烙条家という貴族に近い一族が起こした反乱のような事件だった。

 しかしその烙条家自体も、何者かに襲撃され、ほぼ皆殺しにされている。

 そして、その、皆殺しにした犯人というのが竜胆だ。

 烙条家に関しては発覚しているだけでも妖物の大量虐殺や、忍びの里を卑怯な手で陥落させ、郷中を手中に収めるなど、倫理に欠けた所業が多く街全体としても目の上のたんこぶとなってた。

 主に人間を取り締まる警備隊の邏卒や他の貴族、陰陽師達の間では、烙条家をどう取り締まるか、むしろ始末するべきではないかという過激な意見が出るほどになっていたというのも事実だった。

 そんな烙条家を一人で始末してしまった竜胆。

 彼をどう処分するか、協議した結果〝追放〟という処分に落ち着いたのだった。

 腐っても旧時代の貴族である烙条家を何の権限もなく殺害した竜胆を、死罪ではなく追放という処分に出来たのは、様々な事情や思惑が絡んでの事だった。

 しかし、竜胆の身をどうにか守ろうと晶墨が奔走していたのも確かだった。

「頭を上げてください。今回の事は、自分が何かしたからどうという物でもありませんから」

「……」

 そう声をかけても、竜胆は頭を上げない。

 晶墨は心配そうに竜胆を覗き込む。

「芦屋先輩?」

「晶墨……」

 竜胆が俯いたままぼそりと呟く。

「わてを殺してくれへんかな」

 竜胆の言葉に、晶墨は目を見開き、竜胆の肩を掴んだ。

「何言ってるんですか! 自分は、芦屋先輩に生きてほしくて、こうして一緒に来たんですよ。根夢君だっているんです、駄目に決まってるじゃないですか!」

「かんにん、晶墨かんにんや、違うんよ晶墨」

 竜胆は晶墨の袖を掴むと大きく息を吐く。

「芦屋竜胆は、今日ここで死ぬ。芦屋竜胆の気持ちを、全部ここで葬りたいんよ……」

「何を言ってるんです……?」

 理解しかねる竜胆の言葉に、晶墨が首を傾げる。

「晶墨、わてを抱いてくれへんか」

「は?」

 予想外の言葉に晶墨は体を硬直させる。

 長い沈黙が部屋の空気を重くする。

「何……言ってるんです……?」

 ひりつく喉の渇きを覚えながら、晶墨が言葉を絞り出す。

 俯いたまま、ぼんやりと一点を見つめた竜胆が口を開く。

「晶墨、前に言ったやろ……わての事、そういう意味で好きやて。そやさかい……そやさかいな、わて、名前捨てるやろ、東に逃げて、芦屋竜胆でなくなってまうやろ。わてが芦屋竜胆のうちに……芦屋竜胆として最後、手にかかるなら、わての事好いてくれてるお前にそうされたいって思てな……」

 支離滅裂ともとれる竜胆の言葉に、晶墨は悲し気に眉を寄せる。

「なんでそんな……だって芦屋先輩、あの時……好きな人居るからって言ったじゃないですか」

「……」

「何なんですか、今更そんな」

「……死んでもうたんや」

 竜胆の言葉で晶墨の中にある疑問が繋がっていく。

 自分の告白、拒否の理由、竜胆から見聞きする普段の様子、そして死。

 いくつもの要素のが紡がれ、繋がり、木之下桂という男の名前が竜胆の思考を支配した。

「そういう事でしたか……」

 晶墨は奥歯を噛み締め、目を閉じる。

「芦屋先輩……。俺は、貴方を抱けません」

 普段から一人称を〝自分〟と言っていたのが、〝俺〟に変わった意味を竜胆は噛み締める。

「そうか……そりゃ、そうやね」

 竜胆はスッと姿勢を伸ばし、立ち上がった。

「ほな……あさきに頼んでくるわ」

 光の消えた目で竜胆が呟く。

「あさきは鬼やさかい、ちゃんと殺してくれるやろ」

 歩き出そうとする竜胆の腕を、晶墨は力強く掴んだ。

「待ってください。どういう事ですか」

 まっすぐな視線を向ける晶墨に、竜胆は小馬鹿にしたような目で笑う。

「そのまんまや、あいつは鬼なんよ。お前の嫌いな妖物や」

 あからさまな挑発だった。

 判っていても、晶墨はその挑発に抗えるほどの理性も、善性も待ち合わせてはいなかった。

 強い力で引き寄せられた竜胆の体が床に叩きつけられる。

「っつ――」

 仰向けに倒れ、顔を顰めている竜胆の腕を押さえつけながら、晶墨がのしかかる。

「痛いですか。当然です。俺も痛いです」

 怒りなのか悲しみなのか愛憎なのか、晶墨の唇が震える。

「ああ……痛いよ晶墨」

「酷い人だ。本当に……酷い」

「そうやね」

「最悪ですよ。……でも、そんな貴方が好きでした」

「知っとるよ」

「本当に……最悪です」

 晶墨が震える唇のまま竜胆に口付ける。

 不慣れな口付けは息苦しさを覚え、離れる事でようやく息ができると、二人とも息が上がっていた。

「っは、あ……晶墨、酷くしてくれ……死んでまうくらい酷く」

 今にも泣きそうな顔で晶墨は首を振る。

「お願いだよ、晶墨」

 晶墨は深く深く眉間に皺を寄せ、竜胆の唇に噛みついた。


 赤く染まった満月が、声無き慟哭を抱いて沈んでいく。

 後に宮ノ内榊と名乗る竜胆を、晶墨はその生涯、二度とその名前を呼ぶことはなかった。

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短編集 後日譚 狐花真凪 @kohana_mana

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