ティアという名のスライム

 私はティアと言うらしい。身体が然程も言うことを聞いてくれない。もっと動けると思っているのは錯覚なのか。歯がゆい気持ちがいっぱいだ。


 私をいつも優しく包みこんでくれる、この手の持ち主はアンリと言う。どこか懐かしく、とても親しみのある名前で、気持ちが温かくなる。


 アンリはいつも私と一緒に居てくれて、ご飯をくれる優しい人だ。彼は事あるごとに私に話しかけてくれる。


「ティア、僕がアンリで君がティアだ。わかるかい?」

「ティア、今日は冷えるね? 寒くはないかい?」

「ティア、美味しい? こっちの樹皮は食べられないかい?」

「ティア、おやすみなさい。また明日」


 話しかけられているうちに、少しづつ彼の言葉が解るようになってきた。かと言って、私も同じ様に話せるわけではない。似たような音を出せるだけだ。


 けど。


 彼と話せたら、どんなにか幸せだろう。と、思っていた。


「ミルク……」


 彼は寝ている時、『ミルク』と言う言葉を発する。その言葉がいったい何を指し示すものなのか、理解できないでいるが、何故か懐かしく、心が熱くなる。そして、ギュッと締め付けられるような思いに困惑していた。


 ミルク、まるで自分の影を呼ばれているような、変な感覚だ。しかし、私はティアだ。アンリがつけてくれた大切な名前。他の名前で呼ばれるようなことはない。


「ミルク……」


 彼はそう言いながら、目から水を流す。それは、月明かりに揺れて、キラリと光り、彼の頬を伝い、ぽとり、テーブルに落ちた。


「アンリ……」


 私はよくわからないうちに、そんな言葉を発していた。彼の事をもっと知りたい。そう思うようになったからだ。


「アンリ」


 しかし彼は、目を覚まそうとはしない。薬草と呼ばれる草が無くなってから、彼は一日中私の食べれそうな物を探しては持ち帰ってくる。つまり、彼自身疲れているのだろう。


 ぴと。


 彼に触れてみる。彼は温かいのだ。日中のお出かけの時は、私が寒くないかと自身の懐に私を入れて温めてくれる。優しい人。そうだ、アンリは優しい。彼の優しさはいつも私に向けられているのに、何故かこの時だけは他の何かに向けられているような気がして……モヤモヤした。


 私はアンリに寄り添いながら、彼のことを思う時間が増えて、彼が目を覚ますのを待った。


「アンリ……」


 そう呼びかけると、彼はにっこり笑った。


「ティア……」


 私には心臓なんて臓器はないが、不意に呼ばれるとドキッとしてしまう。


 私は彼の口元へと移動して、もう一度呼びかける。


「アンリ?」

「ティア……」


 彼の低い声が、波となって私の身体を駆け巡る。その波が余韻となって消える前にもう一度。


「アンリ」

「ティア」


 彼の声が私を満たす。心も躰も彼の波が満ちて、なんとも心地良い。


 窓から差す月明かりが、私を透過して、彼の顔に注がれ、その影がゆらゆらと揺れる。


 私はスライムだ。


 彼と私が異なるものだと言う事はわかっている。なので無いものねだりなのだろうか。

 彼の優しさが、体温が、私に温もりをくれる。この温もりを欲する私は、スライムとしては異常なのかも知れない。


 それでも私は、彼が寝覚めるのを待っている。彼が、


 私を見てくれるのを待っているのだ。







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