男の慟哭

 僕は死んだのだろうか。


 静かだ。


 光も


 音も


 痛みも


 苦しみも


 なにもない。


 なにもない。


 息をしていない。


 だけど苦しくはない。


 ただ


 爽やかな香りがする。


 野草? いや、薬草だろうか。


 ミルクはいつもこの香りがしたんだ。


 とても心が安らぐ。


 ミルクは……


 元気にしているだろうか?


 何か


 困っていないだろうか?


 寂しがっていないだろうか?


 僕がいなくても


 いなくても……


 何を言っているんだ、僕は……。そんなわけがない! そんなわけがない!! ミルクは寂しがっていたじゃないか!! あんなにも、あんなにも離れるのを嫌がっていたじゃないか!! それを僕が無理やり引き離して!! 別れたんじゃないか!! 僕はなんてことをミルクにしたんだ!!


 ミルクは……


 ミルクは寂しがっていた。


 きっと今も、独り寂しがっているに違いない。


 僕は……。


 本当に駄目な男だ。


 酷い男だ。


 僕は……。


 逢いたい……。


 ミルクに。


 ミルクに逢いたい。


「ミルクに!!」


 ……。


 ……。


「ここは……森の中?」


 急に目を開けたものだから、一瞬視界が真っ白になって、少しづつ色を取り戻してゆく。


 草木や土の香りが鼻腔に流れ込んでくる。しかし、僕の記憶に鮮明に残っているこの香りは、薬草、ミルクの香り。


 そうだ。


 思い出した。僕は、ヒュドラ討伐に参戦して、身体に猛毒を受けた。そのまま意識が薄れてゆく中で、最後ミルクを目にした。


 騎士団の気配はない。かと言ってミルクがそばにいるわけでもない。今の状況が呑み込めない。どうなっている?


 僕は樹の洞の中で横たわっている。雨は降っていないが、身体が湿っているようだ。


 気分で言うならば、ずっとミルクと一緒にいた。そんな気分だ。夢を見たのだろうか。僕に気を遣って、何処かに身を隠してしまったのだろうか。


「ミルク……」


 少し先に目を遣る。どす黒い水たまりが、明らかに不自然な場所にある。


 ザワザワと、僕の胸の奥が騷しくなる。同時に不快な汗が背中を伝う。


 身体はまだ痺れていて自由には動かないが、僕は必死に足掻いて樹の洞を這いずり出た。


 地べたを這いつくばって、水たまりまで辿り着く。やはり雨なんて降っていないし、地面も乾いている。これは水たまりなんかじゃ……。


 途端に涙が溢れ出た。


「ミルク!!」


 あの真っ白で滑らかなマシュマロボディは何処にもない。ただの黒い水たまりに剥き出しの核を目にした僕は、直ぐ様、それがミルクだと理解していたのだ。理屈などではない。だが、誰が何と言おうと、これがミルクだと言うことは、僕には解る!!


「ミルク!! ミルク!! 頼む!! 返事をしてくれ!! ミルク!!」


 核が生きているなら……まだ助かるだろうか?

 核……色がくすんで……もう……?


「ミルクうううううううう……うっ、うあああああああぁぁぁぁぁぁ……あぁ……」


 僕はミルクだったであろう核を拾いあげると、両手で包み込み胸にあてて、握りしめた。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……ミルク、ごめんなさい。僕を許さなくてもいい、君に酷いことをした僕を責めてくれ。こんな僕を君は……どうして助けたんだ……あのまま逝かせてくれたら……僕は……僕なんて……くっ……」


 後悔と、自己嫌悪と、ミルクへの罪悪感で押し潰されそうだ。心を、心臓を、自分で握り潰してしまいそうだ。


「なんで僕なんかが生きてるんだ! ミルク、なんで僕なんかを助けたんだ!? 僕なんか、僕なんかが生きている価値なんてないんだ、クソッ、こんなっ意気地なしの木偶の坊なんか!!」


 僕は、自らの拳を地面に叩きつけようとしたのだが、その拳が振り下ろされることはなかった。








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