樹洞で眠る男

 アンリは意識を失い、死の淵を彷徨っている。


 あと幾ばくもなく、彼は息絶えてしまうだろう。


 しかし。


 そんなことはさせない。


 この命に変えても。


 私は彼を、近くの樹の根元にある大きな樹洞へと運び込んだ。


 息も絶え絶えに苦しそうに顔を歪めるアンリ。それを見ているだけでも心苦しい。


 彼の顔に触れる。


 熱い。


 全身が熱を発して上気している。


 忘れようとしていた彼への想い、『好き』と言う感情が、私の中に沸々と蘇る。


 彼の唇に指を当てる。


 私には心臓なんて不便な臓器は無いが、気分が高揚していくのがわかる。


 今、彼は、私だけの彼で、私は、彼だけの私。


 たったそれだけの事が、たまらなく嬉しかった。


 彼を失いたくない。


 助けたい。


 この身に受けた彼の愛を返す為に、私は彼を抱き込むようにその身体を覆い尽くした。

 樹の洞は彼をすっぽりと受け止め、それに蓋をするかのように、私の身体で彼を満たす。


 彼の肺から漏れた呼気が、私の中をプクプクと通過してゆく。私の白い体液が彼の肺へと浸透してゆくのだ。肺から血管へ、血管から心臓へ、そしてそこから彼の全身へと行き渡る。


 彼の全身から毒を抜かなければならない。


 ゆっくりと。


 確実に。


 私の白い身体に、彼から抜けた毒が排出されて、黒く変色してゆく。


 私は、彼の身体から毒を抽出しながら、彼の体力を回復してゆく。


 残念ながら、私の身体には解毒作用はない。なので、彼の身体から排出されたヒュドラの毒は、私の中に蓄積してゆく。


 白かった私の身体は、次第に鈍色濃い灰色へと変色していった。

 

 青白かった彼の顔色が、少しずつ血色が良くなり、苦悶に満ちていた表情も和らいだ。


 ここまで来れば大丈夫。


 少し休めば、彼も動けるようになるだろう。


 私の意識が遠退いてきた。


 あと少しだ。


 ここで気を失えば、彼を溺れさせてしまうことになる。


 少しづつ。


 少しづつ。


 私の中から彼を開放してゆく。


 ずっと蓄えてきた魔力がほとんど尽きてしまった。


 しかし、残された最後の力で、私に移ったヒュドラの毒を彼から遠ざけないといけない。


 アンリは静かに寝息を立てて眠っている。


 穏やかだ。


 ずっと彼の寝顔を見ていたい。


 このときめきを


 ずっと感じていたい。


 こんな穏やかな時間を


 私は望んでいた。


 今も


 こんなにも彼のことが


 好き


 好き


 好きだ。


 ……。


 そうだった。


 好きだからこそ


 別れなければならない時がある。


「アンリ、好き……」


 その瞬間。


 ホロリ、と目から何かがこぼれ落ちた。


 スライムは涙など流さない。


 ならば何が落ちたのだろうか。


 私は朦朧とした意識の中、最後の声を彼に残した。


「大好き」


 彼の口元が


 少しだけ笑った。


 そんな気がした。










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