『意気地なし』の『木偶の坊』
アリシアはどうして最後にあんな事を言ったのか、あの細い背中の向こうで、どんな表情をしていたのか、死を目前にしている今、あの頃に思いを馳せる。
僕がミルクを思えばこそ、突き放したように、ミルクを失った事の失意の泥に沈んだように、こんな深い闇の中、アリシアは独り旅立ったのだろう。
僕はどうしてあの時、それを振り切ってアリシアを抱きしめてやれなかったのだろう。
この深い泥の底から引っ張り上げてやれなかったのだろう。
後悔はした。
長い時間をかけて、ずっと後悔をしていたのに、僕はアリシアと同じ過ちをミルクにさせていた。
最後に森で見たミルクの顔が焼き付いて離れない。
とても悲しい顔だった。
きっと、アリシアの最期に会った僕は、あんな顔をしていたのだろう。アリシアはあんな顔を、辛くて見ていられなかったのだろう。
全て僕のせいだ。
僕のしてきたことは、みんな間違っている。
……ミルクは、別れの際に、ちゃんとそれを拒絶してみせた。僕と離れたがらなかった。僕のそばにいたい事を、ちゃんと伝えてくれていた。なのに僕は……。
そんなミルクを、突き放してしまったのだ。
僕は何をやっても駄目な男だ。
十年もの間、酒を飲んで寝るだけで、何もして来なかった。あの頃の僕と、何も変わらず、メソメソしてばかりの、『意気地なし』の僕のままだ。
──意気地なし。
アリシアは幼馴染のガンドルフの妹で、僕は小さな頃からずっと陰で彼女を思い続けてきた。そうだ、ずっと思い続けてきただけで、僕は告白する事も出来なかったのだ。
ある祭の日の夜。
僕はアリシアと二人きりになった。今思えばあの時、僕たちが二人になれたのは、アリシア自身が周囲に働きかけて、僕に告白しやすい環境を整えてくれていたんだ。
そのお膳立てがあったにも拘らず、僕はオドオドするばかりで、告白どころじゃなかったんだ。僕は、あの頃から意気地なしだった。
「意気地なし」
そう言って、アリシアは僕にキスをした。
アリシアがどうしてこんな僕を好きになったのか、今でも解らないでいる。こんな優柔不断で意気地なしの僕を、どうして? 何度も自問自答するが、アリシアが優しすぎるから、僕に同情して、手を差し伸べてくれたのだろう、そう思っている。
だから最期の時も、きっとこんな意気地なしの僕に、悲しい想いをさせたくなかったから、僕の事を想いやってあんな態度を……。
アリシアの優しさだった。
僕は図体が大きいだけの木偶の坊だ。ガンドルフはそうじゃないと言って、こんな僕を騎士団に誘ってくれた。
だけど僕は、魔物を殺す勇気もない、ただ立っているだけの木偶の坊に過ぎなかった。騎士団で僕の事を悪く言う人はいない。それはガンドルフが僕を守ってくれていたからだ。
「お前はただ立っているだけでいい」
そうだ、僕は立っているだけで、後のことは全て彼任せだった。彼は鬼神の如くその力をふるった。僕は……。
ただ立ってそれを見ていただけだった。
だけどガンドルフはその功績を二人のものとして、あれよあれよと、騎士団長と副団長まで上り詰めた。
僕は『意気地なし』の『木偶の坊』だ。
やはりこんな僕は、アリシアやミルクには似つかわしくなかっただろう。
そもそも。
ミルクは魔物であって、人間ではない。言葉でコミュニケーションがとれるだけで、本当に意思疎通が出来ているかなんて、誰にもわからないんだ。
わからないんだ。
こんな気持ちは──。
──恋なんて呼べるものではない。
僕は、暗く、冷たい、泥の中でそんな事を考えていた。
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