空白

 一週間後。


 僕は、以前にも増して廃人と化していた。何も喉を通らない。眠ることもない。ミルクに辛い思いをさせた償いに、アリシアの写真も捨てた。


 僕には何も無くなった。


──コト……。


 空になった酒瓶を置いた。


 あの日以来、酒を飲んでも酔えなくなっていた。


 そんな酒も無くなってしまった。


 何も……。


 無くなってしまった……。


 

 ……。


 ……。


 ミルクの入っていたガラスの容器に手を触れる。


 ミルクがそれに合わせて手を差し伸べてくれた事を思い出す。


 涙がこぼれる。


 あれ? あれだけ泣いたのに……まだ、出るんだ? 涙……。


 空しい。


 虚しい。


 むなしい。


 僕にはもう、この心の空白を埋められるものは、何も持ち合わせていない。


 僕には何も無くなったのだから。


 何も……。


「ミルク……」


 思えば、ミルクの存在は大きかった。アリシアを失った僕の心の空白のほとんどを埋め、束の間の笑顔さえ取り戻す事が出来た。それなのに僕はアリシアの幻影をミルクに求め、自分を癒やすことばかり選択してきたのだ。


 これは罰だ。


 アリシアを忘れようとし、ミルクを蔑ろにした、僕への罰だ。


 今、僕の心はアリシアではない、ミルクへの喪失感で蝕まれている。


 苦しい。


 ミルクに。


 会いたい……。


 逢いたい……。


 あいたいよお……。



──コンコン! 不意にドアノッカーの音。


「……」


──コンコン!


「……」


──コンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコン!


「……」


──コンコン!


「アンリ様! 開けてください!! 私です! フレデリカです!!」

「……」


──ドン!ドン!ドン!ドン!


「アンリ様!! まさか!?」

「……」


──ドカッ!! ドカッ!!


「ドア、壊しますからね!! せーのっ!」


──カチャ、……ドン。


「わっぷ!!」

「……」


「えっ!? アンリ様!? 本当にアンリ様なんですか!? めちゃくちゃやつれてるじゃないですか!? ちゃんと食べてるんですか!?」

「……要件は何だ?」


「え、あ、ああ、アンリ様、あの白いスライムはまだこちらにいらっしゃいますかっ!?」

「……ああ、あれは保護していただけで、もう自然に帰した。それがどうかしたか?」


「森で白いスライム、今までに確認されたことのない希少種が確認されて、今、騎士団の小隊が捕獲に向かっております……私の見間違いでなければ、大切にされていたアンリ様のスライムが、白かったのを記憶しておりましたので、お節介だとは存じましたが、報告に参りました……」

「騎士団の活動守秘義務はどうなっているんだ?」


「私の私情です!」

「……そうか」


 フレデリカは眉尻を下げて、とても心配そうな顔を向けてくる。そんな顔をされてもな……。


「……そうだな、お節介だ。帰ってくれ」

「そう……ですか。失礼いたしました!」


 そう言うと、フレデリカは深々と頭を下げて引き換えした。何度も振り返り、振り返り、去って行った。


 僕はそんなフレデリカを見送ると、ドアを締めた。


 関係ない。


 騎士団が動いた?


 ミルクは希少種だ。


 捕獲はされるかも知れない。だが、さすがに命まではとるまい……。


 仮にミルクの命に危険があったとて……。


 僕には……。


「くそっ!! 関係ないだろ!!」


 関係ない。


 関係ない。


 僕には関係のないことだ。


 なのに……。


 僕の足はどこへ向かっている!?


 それも、こんな早足で!?


 どこへ……。


 僕は、全速力で森へと向かっていた。

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