守るための自己犠牲

道化美言-dokebigen

守るための自己犠牲

 朝晩関係なく、黒い空と黒い地に覆われた土地。私が治める魔界には、飽きることを知らぬ人間が毎日破壊行動を行いにやってくる。

 戦線から離れた後方。視界の端に映ったのはひとりの救護班の魔族だ。

「私の役に立たぬまま、人間ごときに殺されるなど許さんぞ」

 戦場を駆け回る彼を殺そうと、岩陰から剣を振り上げ飛び出した二桁はいた人間を睨めば、たったそれだけのことで脆弱な体は黒い灰となり、魔界の地に降り積もった。

「ま、魔王様⁈ すみませんっ、ありがとうございます!」

 魔王。七百年前、私は人類の共通する敵……必要悪として神々に生み出された。

 そして、絶対的な力と人間よりも強い魔族や魔物たちを従者として与えられ、この魔界に閉じ込められた。増え続ける人々を摘み取り、神々が気に入った人間という玩具を試し遊ぶために。

 私は冷酷な悪の魔王ラザールとして、私を慕う魔族たちから本心を隠し、人間を殺し、領地を奪い、人間を追い込まねばならない。

 しかし、私自身は影に隠れながらひっそりと。

 卑怯だと言われようが構わない。もしでしゃばって死んでしまえば。楽にはなれるが、私の代わりに別の誰かがこの重荷を背負わなくてはならなくなる。

 私を慕う魔族たちを騙し続けているのだ。嫌だとか、本当は大切なお前たちが傷つくのを見たくないだとか、言えたものではない。

 だから、寡黙で冷たい魔王の皮を被る。

 それが私の、神に次ぐ全能を与えられた所以なのだから。



「僕さ、あの魔王様に助けてもらっちゃったんだ!」

「はぁ⁈ お前だっさ! でもいいなぁ、俺も颯爽と現れるラザール様に助けられてみてぇよ」

「けど、あのひとって細っこいよな。心配かけないように、しっかり肉食って強くなって、早いとこ人間の領土全部かっさらっちまわないとな!」

「アタシも! ラザール様って結構壁作るタイプじゃん? 一度でいいからあの長くて綺麗な黒髪、結ってみたいんだよね! 鍛えて側に置いてもらえたらできないかな?」

 賑やかな声が城内に木霊する。今日は月に一度開くことにしている大きな打ち上げを私の城で行っていた。

 普段は私と他数名しか足を踏み入れることはなく、静寂に包まれているが……。こうして大切な者たちの温かい声が響くのは心地よい。

 しかし、やはり私は彼らの中に混じるのは得意ではない。

 私ではなく、今日までの功労者は彼ら自身だというのに。私が姿を見せるだけで満面の笑みを浮かべ、褒め称えてくれるのは嬉しいが……彼らを騙しているようで、息が詰まった。

「向いていないな」

 皆の輪の中から離れ、一度自室に戻る。夜の帷が下り、暗闇に包まれた部屋の中。明かりもつけずにローブを脱ぎ、二メートルを超えた全身を映せる、大きな鏡の前に立った。

 窓から差し込んだ月明かりに照らされた痩躯。

 黒いシャツ越しでさえ、肋骨が浮く。仕立ててもらったばかりのズボンも、またぶかぶかと空間ができ軽い違和感がついて回った。

「……化粧はいくらやっても分からん」

 青い目の下にできた隈と、青白い肌を隠すために塗っていたファンデーションはいつのまにか落ちかけていて。恐らく、先ほど頭から被ったシャンパンのせいだろう。

 ベッドの上に放っていた質の良いタオルを手繰り寄せる。濡れた黒髪を掴み、腰元まである髪全体に含まれたアルコールを拭った。

「コンコン! 失礼するよラザール!」

「っ……! エミル、驚かせないでくれ」

「あっはは、ごめんごめん。俺だって心配だったわけ! まさか崩れたシャンパンタワーの先に魔王様がいて、思いっきり中身被るとは思わないじゃん?」

 ころころと笑いながら私の手からタオルを奪うのは、私と似た容姿を持つエミルだ。肩口で切り揃えられた艶のある黒髪に、垂れた碧眼。私よりも少し血色は良く、健康的な肉付きをしているが。

「……私は、何度彼らに嘘をつかねばならんのだろうな」

「嘘?」

「ああ。彼らは、人類を滅ぼしこの世界を私たちの物にするのだと、そう謳う私を慕ってくれている。それなのに……」

「あーあー、ラザールったらまぁた落ち込んでんね」

 ずいぶんと昔に冷え切った肩へ腕を回され、エミルの体温が移る。

「大丈夫だって! みんなさ、口下手だけど優しいラザールが好きなんだから。ね? 俺もしっかり裏から支えてあげるし! ちゃんと俺を造ってくれた恩は返すよ?」

「……ああ」

 ベッドにタオルを放ったエミルに笑いながらばしばしと肩を叩かれる。

 エミルは、目の前にいる私そっくりの男は、簡単に言えば私の分身だ。

 正確に言えば、生まれ落ちた瞬間に取り憑いてきた悪魔を五百年かけて捕食し、体に馴染んだことで得た魔法。それにより生みだしたクローンだとかドッペルゲンガーに近しい存在だ。

 私にとって唯一本性を晒せる兄弟であり、親子であり、親友であり、相棒であり……名状しがたいが、いなくては生きていけない大切な存在だ。そして、私に何かあれば私に成り代わる裏の魔王でもある。

 だから、私以外の誰にもエミルの存在は知られてはならない。

 思わず気が抜けて弱音を吐いてしまったが、またエミルに気を遣わせてしまうのは良くない。

 話を変えようとしたとき、ふと開け放っていた窓の外から聞き覚えのない声、下品な哄笑が聞こえてきた。

「魔王だと? 君たちの主人は逃げて隠れて、我々人間の前に現れたのはもう百年以上前のことだと聞いている! そんな臆病者が本当にこの世で最強の存在なのかね? はっは! 勇者であるこの俺の前に跪かせてやろう!」

 そして、突如として響いた爆発音。

「うわ⁈」

「人間⁈ まだ残ってたのか!」

 短く聞こえた詠唱と、じりじりと肌を撫でる熱。ここ最近やってくるようになった勇者が得意な上位の火炎魔法だ。

 魔法により爆ぜ散った城の一角。

 ひとからひとへ、飛び火していく混乱を可視化するように、飛び散る破片は談笑の響いていた場に混沌をもたらした。

「ちょっと待って、ラザール! ダメだってせめてローブを——あっ!」

 引き止めてくるエミルに一言謝罪して、軽装のまま窓から外へと飛び降りる。

「ここを私の城と知ったうえでの狼藉か? 勇者よ」

 暗い魔界を照らす炎を闇魔法の中に吸収しながら顔を上げる。

「魔王の城だから壊しているんだよ。ふむ、その黒髪に碧眼……君が臆病者の魔王と?」

 片眉を上げながら嘲笑を浮かべる人間に、怒りが削られていくのを感じる。

「私が魔王であることは確かだ。つまり、私には従者たちを守る義務と、人間であるお前を始末する義務がある」

「はっ、今まで散々部下任せだった奴が何をほざくんだか!」

 答えることもせず、ただ手のひらを目の前の人間に向けて突き出す。

 私の使う闇魔法は、全てを無に帰す魔法。闇は物質を過去へと誘い、私から人間の光を消す。

 通常、勇者であろうと優秀な魔族であろうと魔法を使うのに詠唱は必須だ。しかし、これも神の気まぐれか。私に詠唱など必要ない。

 必要なのは、ただ、人間を駆逐するという無機質な凶暴性のみ。

 ……その中で、情の移った誰かを守りたいなどと考えてはいけないのだ。

「大人しく、滅んでくれないか」

 私は自分以外、自分にさえ無関心にならなければいけない。

 煙のように漂わせた闇が少し触れただけで脆い人間は崩れ去る。これもそうに違いない。

「っ、ラザール!」

「は——?」

 背を向けてすぐ。人間の笑い声が響き、振り返れば視界が眩い橙色に包まれる。ふと、外に出てくるはずのないエミルの声が鼓膜を揺らした。

「エミル?」

 名を口にした瞬間。体がよく知った体温が肩に触れ、横へ突き飛ばされる。

「チッ。魔王じゃなくて肉壁か」

 ひゅ、と喉奥から空気が無理に通る音がした。

 私の使う闇魔法は全てを無に帰すもの。

 しかし、魔法を展開する前に攻撃そのものに当たってしまえば死ぬ。それは私の分身であるエミルも相違ない。たとえ、私が生きている限り何度だって蘇生できるとしても。死の苦しみを味わうこととなる。

 こうしている間にも人間は再び詠唱を始めて魔物たちの咆哮が響く。

「……」

 声が向かう先を見て、脳裏で何かがぷつりと切れる音が響いた、気がした。

「……どうして私は、大切な者のひとりも守れない?」

 ずっと、気づかないようにしていた。

 私を慕い、讃えてくれる従者たちの声だけに耳を傾けて、この惨状は天命だからと言い訳をして逃げてきた。

 本当は、ずっと。こんな凄惨な世界を終わらせてしまいたかった。

「……私は神の玩具でしかない。それなら、壊れた玩具を直さなかった神々の問題だろう……?」

 飲み込み続けてきた言葉を吐けば、霧が晴れた心地だった。引き結ばれていた口端は生きていて初めて、歪に吊り上がっていく。

魔界ここにはこんな私を慕いついてきてくれる者たちが集まっている! 彼らを守れず、臆病になり、そんな矮小な存在を誰が魔王と呼ぶものか!」

 魔王の皮を被らず、私として初めて張り上げた声には狂気が滲み、どうしてか前に突き出した左手ががたがたと震える。

「このくらい加減しても貴様らは朽ちるだろう? 滅んでくれ、人間。私の愛する者たちを生かすために」

 視界に広がるのは燃え盛る炎。体の一部に火が移り叫ぶ魔物たち。いつのまにか数を増やしていたらしい人間共。そして、夜よりも深く、暗い闇。

「なんだっ⁈ こんな魔法、見たことが——」

 震える手に闇を纏わせ、魔物や魔族たちを避けながら炎と人間共を暗く、重たい闇で包み込む。彼らが「存在しなかったこと」に世界の法則を書き換える。この作業も、もう何度目か。

 しかし、これほど清々しい気持ちでいられるのは初めてだった。

「ふ、ふふ……」

 人影や炎は瞬く間に消え失せ、平穏が戻ってきた魔界の地。そこに転がる魔物や魔族、目深くローブを被っているエミルに闇を纏わせれば、数秒もしない内に瀕死の状態であった者たちは起き上がる。

「おお……流石は魔王様!」

「今日はいつもよりもノリノリですね!」

 飛んできた賞賛の言葉に、胸がじくりと痛む。

「……ありがとう。すまない、用事があるので先に休ませてもらう。城の被害は気にしなくて良いから、引き続き打ち上げでも楽しんでくれ」



 暗い自室に戻り、抱えていたエミルを下ろす。

「は〜! 危なかったね! 大丈夫? ラザール」

 パチ、と暗闇の中でも輝く碧眼と目が合う。覚えた安堵のままエミルへ縋るように手を伸ばした。

「……エミル、すまない。もう、私にはできない、これ以上エミルたちが傷つくのを見るのは、耐えられない……。エミルなら、できるだろう? 私は中枢となる部品が錆びて、壊れた玩具なんだ」

 七百年、耐え続けてきた。

 もう限界だ。本当に悪に身を堕として無差別に誰も彼もを襲う化け物になる前に、私は。

「……じゃあ、絶対に目覚めるって約束してね。少し休むだけだよ。まあ、年中無休で最強の魔王様やるのは疲れるよね、うんうん」

 浮かべられた満面の笑みに胸を撫で下ろす。

 力の抜けた体を抱き留められて、そっと全身が暖かい闇に包まれた。


「ラザールが休んでる間、俺が上手く誤魔化したげる。あんなバカみたいな威力の魔法は使えないけど……。私は、演じるのが役目だからな」

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