第8話 妖魔と山狩りで悶着

 異界より召喚され、この地に留め置かれた妖魔は、ゆっくりと覚醒した。

 そして己が領域に二人の侵入者がいることを知覚する。


(サキュバス……そう、我の名ではあったな)


 どうやら、そのうちの一人が自分の名を呼ばわったことで目覚めたようだ。

 神々による召喚では無く、人の身による召喚魔法によって顕現した妖魔は、契約が終われば異界に還るはずだった。

 だが、召喚魔法を行った術者達は契約を改竄し、妖魔をこの世界に縫い止めたのだ。


(忌々しい奴らめ。まぁ、結局のところは我の糧となったわけだが)


 その、開拓団を装った術者達は、要するに召喚魔法における制御に失敗したということになるだろう。

 召喚された妖魔は、瞬く間に彼らを喰らいつくしたのである。


(だが……まったく足りぬ)


 執行された召喚魔法の術式が不完全であったため、妖魔は術者達が用意したミスリル銀を依代とせねば存在を維持できない状況にあった。

 これを解消するには、さらなる魔力を取り込む必要があるが、このあたりに分け入る鳥や獣では、保有する魔力量が少な過ぎたのだ。

 かくして、ミスリル銀の欠片……せいぜい砂粒よりは大きいというシロモノだが、それに身を潜め、眠りにつくことで永らえたわけだが……


(おお、これは!?)


 妖魔は自分の名を呼んだ侵入者が保有する、桁違いなまでに膨大な魔力に歓喜した。

 これだけの魔力を喰らえば、ミスリル銀を依代とする、この囚われの身も解放されるだろう。

 とは言え、それは容易いことでは無いように思われた。


(アダマンタイトか。厄介な)


 いつの間に造られたものかアダマンタイトで覆われた小屋があり、侵入者達の気配は、その中から感じられた。

 非常に硬く、加えて魔力への耐性もある黒い鉱石は、“惑わし”の力を主とする、その妖魔にとって容易く攻略できるものではなかった。

 逆に言えば、そこにいるのは、アダマンタイトですら抑えることのできない、信じられないような膨大な魔力の持ち主なのだ。


(どうしたものか)


 陽光の影響がもっとも低い、あの術者達が「魔女の時間ウィッチングアワー」と呼んでいた、妖魔が具現化できる夜の深まった時刻が迫ってくる。

 それまでに、この小屋から侵入者達を誘い出さねばならない。

 考えあぐねた妖魔は、まずは侵入者達の会話を聞き取るべく、聴覚に集中した。


(ふむ?)


 小屋の中にいる二人の侵入者達は、何やら言い争っているようだった。



             ◇



「止めても無駄だぞ。ぼくは行く」


 頑なな態度を崩さない主君に対し、既視感と徒労と、そして、こめかみの鈍い痛みを覚えながら、シンは同じ言葉を繰り返した。


「あまりにも危険です。御自身で妖魔に相対するなど」

「木に登らずして果実は得られぬ、海に潜らずして真珠は得られぬ、竜の巣に入らずして宝玉は得られぬ、『ハイリスク・ハイリターン』、『ノーペイン・ノーゲイン』というではないか」


 古来からの言い回しに、相変わらず意味不明な語彙をつけるフィールだったが、その主張は、要するに妖魔サキュバスへ直接に対峙したいというものだった。

 サキュバスは“惑わし”の力、即ち、魅了の魔法で男を無我の境地に誘い、抵抗できなくなったところで生命力を喰らうという恐るべき存在だ。

 その妖艶な裸体に抱かれた犠牲者は、至福の快楽を覚えつつ、干からびた死骸と化していくのである。

 苦痛と絶望の中で血塗れの肉塊となって事切れるよりは比較的マシな死に方ではあろうし、あるいは金髪の主君としては本望かもしれないが……などという考えが脳裏をかすめたが、それを振り払ってシンは説得を続けた。

 前もってサキュバスと言う妖魔についての詳細をフィールから聞き、その危険性を認識した今となっては、主君の暴走を止めるのに必死であった。


「側近としても、ゾーガの戦闘神官としても、とうてい容認できるものではありません。命を失うかも知れないのですよ」

「だーかーらー。ぼくが妖艶な裸体に抱かれて、存分に至福の快楽を堪能したところで、シンが〈厳之霊いかづちの剣〉でもって、ちょちょいっとやってくれれば良いじゃないか」


 なにが「ちょちょいっと」だ!!

 と、喉元まででかかった怒声をシンは超人的な忍耐力でこらえた。

 「食い逃げ」などという言葉が浮かんできたりもしたが、それは憤怒の念で瞬時に上書きされ、忍耐力を圧迫する材料にしかならなかった。

 もっとも、ゾーガ神殿の修行で死に物狂いで忍耐力を鍛えたのは、こんな情けない局面で役立てる為では、決して無い。 


「いいですか、王子」


 あまりと言えばあまりな言いぐさの王子に対し、赤い髪の美女は憤激の一歩手前で、その美しい顔を引きつらせた。

 ひょっとしたら、白皙の額には青筋がたっていたかもしれない。

 いつもなら、ここらあたりでシンが本気で怒っていることを察し、さすがの王子も大人しくなるのだが今回は違った。

 つまりは、それだけ王子の持つ女体への欲望――サキュバスへのそれが大きいのだろうか、などと埒もないことを心の一部で考えつつ、憤激に呑まれかけた理性の限界で言葉を重ねた。

 そもそも〈厳之霊いかづちの剣〉は、邪悪を撃つ為に軍神ゾーガから拝領した神器である。

 王子の言うような、ご都合主義の用途で使えば、必ずやゾーガの怒りが降りかかるであろう。


「なるほど。ゾーガ神の雷が落ちる、ということか。雷神なだけに」


 シンが忍耐力の限りを尽くし、ようやく絞り出した説得の言葉への、フィールの応えがこれである。

 うまいことを言った、などとドヤ顔をする金髪の美少女に、シンの理性はついに限界を超えた。

 だがそれは激発などではなく、呆れ果てたという感情と、言いようのない脱力感という形であらわれた。

 次の瞬間、シンの脳裏を占めたのは「油断」と言う言葉だった。


「しめた!」


 側近の騎士が脱力した、その僅かな空隙に。

 金髪の主君はましらのごとき身のこなしで出口に駆け出し、アダマンタイトで覆われた小屋の外に出てしまったのである。


 言い合いをしているうちに時は移り過ぎ、すっかりと夜になっていた。

 満月シャルーンの光に照らされた廃墟の村を、フィールはひたすらに妖魔の気配を目指して疾走した。

 透視の魔法で金色の輝きを帯びた瞳には、あるいは既にサキュバスの裸身が映し出されていたのかもしれない。



             ◇



 妖魔は一瞬愕然とした。

 なにしろ、狙っていた獲物が、堅牢極まりないアダマンタイトの小屋から、単身で出てきたのだ。


(いや、これは僥倖以外のなにものでもない)


 ちょうど自身の力がもっとも増す「魔女の時間ウィッチングアワー」が訪れる頃合いでもある。

 妖魔は依代としていたミスリル銀の欠片から抜け出ると、速やかに地上へ――獲物の前へ移動した。

 と同時に魅了の魔法を展開し、情欲を催す効果のある微かな香りが、あたり一帯に充満する。

 膨大な魔力の持ち主は、同時に強力な魔法使いであろうかもしれないが、これが悪霊をも斬る武威の達人であっても、どのみち魅了の魔法で攻撃の意思を奪えばさしたる脅威にもならない。

 そして、魅了の魔法は妖魔の属性でもある。

 本能的に相手の望むであろう姿に自身を変化させるのだが、今回は念を入れて分体することにした。

 立ち止まった獲物の周囲に、それぞれ容姿の異なる妖魔の分体――幻影などではなく、どれもが妖魔自身である存在が現れる。


(人間には好みというものがあるようだからな)


 以前に術者達を喰らった時に、彼らの記憶から学んだ事実だ。

 その感覚や嗜好といったものも含めてだ。


(これだけの体格や顔立ち、年齢の異なる姿を取りそろえれば、どれかが好みにかなうだろう)

(まぁ、見境いの無い者もいるようだが、その場合は数の多さに歓喜する筈だ)


 ほぼ同年齢はもちろんのこと。

 ある分体は包容力のありそうな年上の姿を。

 別の分体は、逆に保護欲と嗜虐心をそそりそうな幼い姿を。

 あるいは、ほっそりした体型の分体もおり、ふくよかな容姿の分体や、あるいは逞しい筋肉を見せつける分体もいる。

 さらには特殊な性癖向けとして、いくつかの分体には年老いた姿や脂肪の塊のような姿を持たせた。

 むろん、どの分体も一糸まとわぬ姿を露わにしている。

 さきほど充満させた催淫効果のある香りとあわせれば、これで正気を保っていられる筈も無い。

 事実、狙っていた獲物――膨大な魔力を保有する相手は、愕然として立ち尽くすのみである。


(くくく。かかったな)


 妖魔は内心舌なめずりをしながら、しかし、その表情には蠱惑的な笑みを浮かべつつ、獲物につめよろうとした。

 だが、そこから先の反応が予想とは異なっていた。


「騙したな。よくも……よくも、騙したなぁあああ!!」


 その獲物は、何故だか滂沱の涙を流しつつ、激しく地団駄を踏んで抗議の叫びを上げたのである。



             ◇



 金髪の美少女は絶望のあまり、地に伏して地面を叩いた。

 全力で走ってきた為にマントはまくれあがり、美しい乳房や艶やかなお尻が剥き出しになっていたが、そんな些事はどうでも良いらしい。

 その形の良い唇から溢れる声からは、圧倒的な絶望の念とともに、ひとつまみほどの悔悟が感じられた。


「どうして、どうして気づかなかったんだ」


 フィールは顔を上げ、その涙に溢れた美しい瞳で周囲をきっと睨んだ。

 そこには様々な容姿をした――素っ裸の男達がいた。


 女淫魔である妖魔サキュバスは、また、インキュバスと呼ばれる男淫魔と表裏一体の存在だ。

 つまり相手の性別に応じて、その容姿や形態を変える妖魔である。

 じつに節操が無いといえるが、淫魔であってみれば至極当然な話といえよう。

 そして、今のフィールは、マントから露わになったあれこれを見る限り外見は完全な少女であり、つまりは女性なのだ。

 妖魔がインキュバスとしての属性を発揮したのは、しごく真っ当な反応だったと言えるだろう。

 しかし、妖艶な女体に胸を膨らませていたフィールにしてみれば、全くたまったものではない。


「何が……何が悲しくて、むさ苦しい男どもを……しかもその真っ裸を見なきゃいけないんだ!!」


 心からの悲痛な叫びだった。

 シンの方は、ごく希に女体化した肉体に精神が引っ張られる兆候があるようだが、フィールの方は確固たるものがある。

 正確には、確固として不動の、揺るぎない女体への欲望である。

 精神的には男性の権化とも言えよう。

 従って、女性に催淫効果のある香りも効果は無い。

 魅力的な微笑みを浮かべる同年代の美男子に対しても、全く心が動かない。


「ましてやだ。おっさん、年端もいかぬガキんちょ、やせっぽち、汗臭そうなデブ、無駄にポーズをとるマッチョ、爺ぃ、信じられないようなデブ……これは何かの嫌がらせか!!」


 美しい少女の、その形の良い唇から、嫌悪にまみれた言葉が怒濤のように発せられる。


「そんな奴らが揃いも揃って、股間にぶら下げたものを見せつけてくるなんて」


 淫魔の態度としてはまことに正しいと言えるのだが、それはフィールにとって、逆鱗を汚れた土足で踏みにじるに等しい行為といえた。

 これほどに乱れた感情と怒気を露わにするのは、金髪の王子にとっても極めて希であっただろう。


「許せない」


 憤然となったフィールは、片手で呪文が描かれたマントを脱ぎ、もう片手で魔封じの宝玉のペンダントを外した。

 その輝くような裸身を露わにした金髪の少女が、両眼から金色の輝きを放ち、しなやかな白い手で中空に紋様を描く。

 と同時に、信じがたいほどに膨大な、桁外れの魔力が動いた。



 フィールの後を追いかけていたシンは、途方も無い魔力を感じた。

 それは雷戦士をして、数瞬でも足を止めさせるほどに凄まじく、山が鳴動したような錯覚を覚えるものだった。


「王子!?」


 シンは極めて短時間で我に返ると、再び主君の痕跡を追った。

 そして見た。

 闇の中で、金色の淡い残光に包まれながらマントを羽織っているフィールと、その回りを取り囲む多くの人影を。


(王子が危機に!)


 背負った剣に手を伸ばしかけたシンだったが、強い違和感を覚え、その手を止めた。

 王子を取り囲んでいると見えた人影の群れだが、どれもが微動だにしないのだ。


(石像だと? こんな場所に??)


 そう、王子の周囲にあるそれらは石像であった。

 幅広い年齢の男達をかたどったもので、先ほどまで生きていたと言われても信じられるほどに精緻な像だった。

 全てが恐怖の表情を浮かべ、身につけているのが腰に巻いた布だけという、よくわからない意匠であるのだが。

 警戒しながら慎重に近づくシンの鼻腔に、微かな香りが触れた。


「うっ」


 赤い髪の美女は、腰が砕けそうになるのを必死で堪えた。

 「みゃう~」と言う子猫を思わせる声が聞こえたような錯覚があり、思い出してはいけない記憶の奔流が溢れ出そうになる。


(偉大なる剣の神ゾーガよ。そのしもべたる我に武威の加護を与えたまえ!)


 とうとうしゃがんでしまったシンは、己の主神に祈り、歯を食いしばって自分でもよくわからない激情を耐えた。

 そして無限に続くかと思われた地獄は、呪文を唱える涼やかな声とともに、突然に消え失せた。


「ふむ、これで『フェロモン』の類いは消失した筈だが……大丈夫か、シン」


 自分を追ってきた忠実な側近に気づいたらしい金髪の少女が、小首を傾げて覗き込んでくる。


「え、ええ。大丈夫です、王子」

「あー、よく考えれば、せっかくの『チャンス』だったかな。だけど、あの巫山戯ふざけた妖魔をとっちめるのが先だしね」


 フィールが口にした科白の前半は、じつに危ないものであったが、ようやく落ち着くことのできた赤い髪の美女は、貞操の危機を回避したことに、まるで気づいていなかった。

 それよりも気になったことを尋ねた。


「その……王子、これらは?」

「妖魔の分体だ。逃げ出した奴以外は残らず石にしてやったのさ。むさ苦しいものは見たくなかったから、そこらへんの木切れで布を作って一体化したけどね」


 人間に化ける妖魔が存在するという知識はあったが、目の当たりにするのは初めてのシンは、興味津々と言う風情で、あらめて石像の群れを見やった。

 何度見ても生々しく、追加されたという腰布以外は露わになっているので、ほとんど人間と変わる所が無いのは明らかに見てとれる。


(本当に妖魔か? いや、これは!?)


 シンは全ての石像で臍の形が同じであることに気がついた。

 一人や二人ならともかく、これだけの人数――幼児や年寄りまでいる集団で、全員がそうであるというのは異常である。

 そもそも、これらが人間であったのなら、たとえ息を潜めていたとしても、こんな大人数の気配を戦闘神官であるシンが見逃すはずがない。

 つまり、王子が言うように、これらは妖魔の分体であるには違いない。


(はて? 妖魔は女の姿で“惑わし”の力を振るうのでは無かったか)


 シンは、一瞬、疑念を持ったが、相手が王子一人――武器を持たない、文字通りに丸腰の少女だけと見て、数による力押しに切り替えたのだろうと、勝手に一人で納得した。

 同時に、剣を持った自分が妖魔に対峙することになった局面を想定してみる。

 おそらくは、当初の想定通りに女の姿で現れたかもしれない。


(あるいは、こちらの姿か)


 石像と化した妖魔の中、幼子の形態をとったそれを見やって内心で溜息をつく。

 見ると聞くとは大違いというのは、まさにこのことだろう。

 妖魔である、とは聞いていても、ここまで精緻に人間の姿をとれるとは想定していなかった。

 このような女子供の見た目をした相手に、躊躇無く剣を振るうことが、はたして自分には可能だっただろうか。


(相性としては最悪か。ドラゴンを相手にする方が、まだしもだな)


 妖魔としては低級の強さであろうが、シンにとっての危険度は最上級の相手に違いない。

 そんな妖魔を、金髪の主君は単身で退治したのだ。

 フィールへ向けて賞賛の言葉を口にするのに、何のためらいも無かった。


「こんな危険な妖魔を退治された。素晴らしい功績です」

「まぁ、ぼくとしても許せなかったしね」


 功を誇る素振りすら見せず、さらりと言う主君に、シンはますます畏敬の念を深くした。

 これに比べれば、先ほどの小屋での言い合いなど、じつに些末な話だった。


『いいかい、若いの』


 師と仰いだ先達の言葉を思い出す。


『口は上手いが何もできねえってのは最低だ』

『話が下手だろうが、口が悪かろうがな。結果を出す奴が偉いのさ』


 これにはシンも深く同意したものだった。

 あの小屋でのフィールの言動は、口が悪いのとは少し異なるような気もするが、それこそ些末であろう。

 シンはひとつうなずき、さらに言葉を重ねる。


「こんなものが街中などに潜んだら、見つけ出すのは容易ではありませんね」

「消化器官なんかも人間と異なるようだけど、さすがに見分ける方法としては難しいかな」


 その光景を想像してしまい、赤い髪の美女は苦虫ククリカの粉でも飲み込んだような顔つきになる。

 武人が主君への忠誠に偽りなしの証として、自身の五臓六腑を示さんとする旨の古来からの言い回しがあり、過去にはシンも口にしたことがあるわけだが、言うまでもなく現実にそれを行った記録は無い。

 ただ、遠方の国で反乱を起こした罪人の処刑方法として採用されたとの伝聞があるのみである。

 実際に、そのような蛮行に及ぶのは、侵略を行った軍の兵士か、さもなければ山賊の類いであろう。


「ふむ。『レントゲン検査』でも無い限り厳しいかな。ああ、透視魔法を魔動具にすれば良いのか」


 などと、相変わらずに意味不明なことを呟く王子であるが、どうやら解決策を見いだしたらしい。


「さて、分体を一つ取り逃がしたんだが……遠くには行けないようだから止めを刺しにいくとしよう。ああ、そう言えば、もう必要ないから、アダマンタイトの小屋は元に戻しておくか」


 素早く考えを切り替えたらしいフィールは、中空に紋様を描く。

 おそらくは、居場所に使っていた小屋を元に戻したのだろう。

 そして、さっさと歩き出した。

 シンは慌てて主君を護るべく、その前に出た。

 本来、邪悪を撃つのは雷戦士たるシンの役割である。

 功績を云々するつもりは毛頭無かったが、ゾーガの戦闘神官としての義務を、これ以上主君に肩代わりさせるわけにはいかない。

 背負った〈厳之霊いかづちの剣〉に手をかけながら、主君の示す方向へと慎重に歩を進めていった。


 さほど歩くこと無く、村の外れの、草の一本も生えていない場所に辿り着いた。

 その剥き出しの地面には、魔方陣が刻まれていた跡がある。

 美しい瞳に金色の光を煌めかせたフィールが、興味深そうに呟いた。


「ふうん、これは召喚魔法か。珍しいな」

「召喚魔法?」

「異界から魔物や妖魔を呼び出して使役する魔法だよ。術式は途絶えた筈なんだが……大陸の西方では残ってたかな。どちらにせよ、状況的に見て、ここの妖魔は魔法で召喚されたには違いない」


 それを聞いたシンの表情が険しいものになる。

 魔物や妖魔を撃つゾーガの戦闘神官にとって、絶対に相容れない魔法術式である。


「そんな忌まわしい魔法があったのですか」


 赤い髪の美女の口調が物騒なものになるのも当然であろう。

 しかし、一方の金髪の美少女は、怪訝そうに小首を傾げるだけだった。


「だけど、おかしいな。いにしえの邪神が世界のことわりを曲げて召喚したのならともかく、魔法で召喚された存在は、契約が済んだ時点で異界に還る筈だ」


 そして、しなやかな指で形の良い顎をなでながら言葉を続けた。


「おそらく、通常の……と言っても、召喚魔法自体が滅多にあるもんじゃないんだが、その召喚魔法に特別な術式を加えたんだろう」

「それは捨て置けませんな。そんな邪法を行った術者達は、草の根分けても探し出さねば」


 拳を握りしめて力説するシンに、フィールは魔方陣跡から離れた場所を指さしながら、あっさりと言った。


「ん~、たぶんだけど、そこらへんに埋まってる骨が、その術者達のなれの果てじゃないかな」

「は?」


 シンが急いでそこを掘ると、複数の人骨らしきものが出てきた。

 ちなみに、掘っている時に短衣の裾がずり上り、赤い髪の美女の、下着をつけない諸々が密かにフィールを喜ばせたのだが、むろん、シンが気づくことは無かった。


「術者がこれじゃ、あとは呼ばれた当人に聞くしか無いな」


 窃視したことを何食わぬ顔ですましたフィールは、マントと宝玉を手早く外し、魔方陣の中心に向かって言った。


「と言うわけだ。隠れてないで出てこい。さもないと、お前が依代にしているミスリル銀を鉛に変えてやるぞ」


 その言葉から数瞬遅れて、地中から先ほどと同様に、美しい少年の姿をした妖魔が現れた。

 その美しかった顔は憎悪に歪められており、禍々しい赤い眼光が魔性の存在であることを示していた。

 シンが素早く〈厳之霊いかづちの剣〉を抜き放つが、フィールは片手を上げてそれを制する。


「おのれ、何ものだ。我が魅了を一切受け付けず、我が分体を石と化すとは」


 剣を扱うシンは今一つ理解していなかったが、姿を自在に変える淫魔は霊体寄りの存在であり、これを石化したと言うことは霊を物質化したという事である。

 これを可能にしたフィールの魔力は、今更ながら生半可なものではない。

 抵抗することもおぼつかず、憎々しげに顔を歪めるだけの妖魔に対し、フィールは堂々と応じた。


「我が名はフィール。ウルネシア王国の第一王子である」

「王子? 王子だと??」


 裸身を恥ずかしげも無く晒す金髪の美しい少女に、当然の疑問を投げかけようとした妖魔だが、自分を取り囲む凄まじい魔力に気づいて口を噤んだ。


「疾く答えよ。汝を召喚せしは何ものか」


 魔力の発露たる淡い金色の光に包まれ、神々しさを感じさせる少女が厳しい口調で問いかけてくる。

 分体を失い、衰弱した妖魔には、それに抗うすべはなかった。


「良く知らぬ。だが、奴らは自分をソグニと称していた」

「ソグニ?」


 博識なフィールでも初めて耳にする名称だったのだろう。

 美しい眉をひそめつつ、金髪の少女は先を促した。


「その連中の目的は?」

「そうだな。名を呼ぶことすら禁じられている御方を招聘せしめる、とか言っていた。我を召喚し、この地に留めたのは、その術式を磨く為の一環だと」


 ソグニと称する術者達を喰らい、彼らの記憶をも取り込んでいた妖魔は、そこで卑しい笑みを浮かべ取引を申し出た。


「ここにいた連中以外にも仲間がいたようだぞ。我にいくばくかの魔力を与え、見逃してくれるなら教えてやっても良い。術式の詳細もだ」

「いらん」


 あっさり即答したフィールに、妖魔よりもシンの方が驚いた。


「王子!?」

「いかな内容であれ、妖魔と取引する気は無い。契約は曲げられ、さらなる不幸を呼ぶだけだ」


 フィールはきっぱりと言った。

 その口調には、交渉の余地は皆無と感じさせるものがあった。

 サキュバスの女体や快楽だけ堪能しようとした過去などは、どこかに放り投げているようだった。


「では、この妖魔はいかがします?」

「そう……だな。他の分体同様に石像に……いや、多少の情報を与えてくれた礼として、多少はマシな青銅に変えてやろう」


 側近の問いに応えたフィールは、妖魔に向かって、最後にこう付け加えた。


「残念だったな。最後のチャンスを活かせなかった報いだ」


 そう、最後まで男淫魔インキュバスとして姿を現わした妖魔は選択を間違えたのだ。

 せめて女淫魔サキュバスとして現れれば……あるいは、もう少し何とかなっただろうか。

 だが、一縷の望み――フィールにとって最後の期待を裏切った妖魔に、容赦する理由は無かった。

 金髪の少女が中空に、魔法の紋様を描きだす。

 その時、側近が慌てたような声を発した。


「王子、ちょっと不味いかもしれません」

「ん? どうした」

「取り囲まれようとしています。それも凄い人数です」


 隠密集団〈月光〉で参謀を務めるクロノスの策が、フィール達の前に結果を現そうとしていたのだ。


「余裕はありません。今すぐにここを離れないと、包囲の輪が閉じてしまいます」

「わかった」


 フィールのしなやかな指が、取り急ぎで紋様を描く。


「くっ、おごぉ」


 魔力に取り囲まれた妖魔は逃げ出すこともできず、その足元からが青銅に変わっていくのを見つめるしかなかった。

 即座に全身が青銅に変化しなかったのは、急いだフィールがいくつかの術式を省いたせいであろう。


「おのれ、おのれぇええ。貴様の名は忘れぬぞ、フィールぅうう」


 憎悪と呪詛の言葉をまき散らす妖魔には構わず、金髪の美少女と赤い髪の美女は、その廃墟の村を後にした。



 あとに残された妖魔は、大人しく最後を迎えるつもりは無かった。


「くっ、このまま終わってなるものか」


 妖魔は己を蝕む変化の魔法に対し、因果の繋がりによって己の分体であったものへと流すことで回避しようと試みた。

 実際のところ、それは成功し、石であった分体の像は青銅へと変化した。

 だが、フィールの行使した魔法は、全ての石像を青銅に変えても、妖魔を解放することは無かったのである。


「信じられぬ。人間の身で、これほどの魔力を行使するとは……あのフィールという少女は何ものだ!?」


 その妖魔の疑念は、青銅と化していく中で、理性とともに消え失せていった。


「おのれフィール、フィールめぇええ」


 妖魔であったものは、ついには憤怒と呪詛の念とともに、仇の名を呼ばわるだけの存在と化したのであった。



             ◇



 開拓民団が居たという廃墟の村。

 山が鳴動したかと思える膨大な魔力の動きに恐怖し、それでも勇をふるって、その村へ足を進めた人々が見たもの。

 それは憎悪と絶望の表情を浮かべ、断末魔とも呪詛ともとれる一つの名前を叫びながら徐々に青銅と化していく、うら若い少年の姿だった。

 明らかな魔法によるものと見えたが、市井の民には手の施しようもなく。

 かくして人々の見る中で、少年は完全に青銅の像となってしまった。

 いや、その少年だけではない。

 村を探索した人々は、他にも多くの像――生きている人間を、そのまま変じたような、恐怖の表情を浮かべた青銅の像を見つける事となった。

 彼らが何者であったかは不明だが、とくに議論もなされず、開拓団の生き残りだろうと見なされた。

 その後、シェレク王国から派遣された魔導士は、それらの像に変化の魔法の痕跡を認めた。

 即ち、それらは少年と同様、衣服を剥ぎ取られ、生きたまま青銅に変えられたものと鑑定されたのである。

 さすがに、これらが元は妖魔だったとわかるほどの魔導士ではなく、青銅と化した少年の回りにあった召喚魔法の魔方陣は踏み荒らされ、その片鱗も残らなかった。

 こうして人々は、妖魔であったものを、幼子や老人を含む多くの犠牲者達とみなし、哀悼の意を示し埋葬した。

 そして、このような残虐な行為を行った者として、少年が叫んでいた名前を記憶に刻むこととなった。


 少年の叫びの中で、その場に居合わせた人々の耳朶を震わせた名前。

 それがフィールのものであったことは言うまでも無い。

 この事実は、後世に語られる〈闇の魔王子〉フィールの伝説において、恐怖と嫌悪を構成する、主な要因の一つとなったのである。

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魔導王子フィールの女体化 丹賀 浪庵 @mihotock

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