第40話
40
八重樫エリアナ8
電話は切れた。
聞きたいことは山ほどあった。だが、目の前に不自然に首が曲がった男の死体がある状態ではかけ直すには憚られる。言葉を失ったまま周囲を確認すると、そこはどこかの家の中で、八重樫エリアナは廊下の突き当たりに位置している。廊下の中ほど、階段下に男の死体。階段を転がり落ちたものであろうか。そして対面の玄関には逆光を浴びた五式清一郎の姿があった。
「僕はまだ何もしていない」五色清一郎は土気色になった顔色から言葉を搾り出す。
「久しぶり」携帯電話に向かって言った。
五式清一郎は靴を脱いで廊下を渡り、男を跨いで八重樫エリアナの側に来た。
「靴を脱いで。それからそれを手に持って外に出るんだ」
言われるままに男を跨いで土間に辿り着き、振り向いた先で五式清一郎が廊下を制服の袖で擦っているのを見た。五色清一郎は外を指差し、八重樫エリアナは頷いた。
走って向かった先は神社の境内であった。五式清一郎は憔悴したように顔を伏せ賽銭箱の前に座っている。荒い息遣いの合間に深呼吸を繰り返していた。八重樫エリアナは携帯電話の時刻を確かめ、残り時間を確認した。
「あと十五分」
「なぜ君はあの家にいた?」
どう答えたものかと思案していると、五式清一郎は自嘲気味な表情を浮かべ、賽銭箱に凭れかかった。
「僕は役目を果たせなかった。結末は望んだものだが、気は晴れない。それでも有利な状況になったから余計な手出しはしなかったけれど、なんだろうな。綱渡りの綱からは落ちなかったが境界は越えてしまったような気がする」
「ありゃ誰だ」
「壊れたオルゴールだよ。その音色は人を不快にさせるだけのものになった。それが神様からのプレゼントだとしたならば、人は壊れたオルゴールをどう処置すればよいのかな」
「ナルシズムに酔うのは構わないが、私には時間がない」
「奥野さんの世話になろうと決めたよ」
「あと十二分」
「トリックは不要になってしまった。でも似たようなもんだ。死体を放置してきたんだから」
「奥野さんて誰だ? どこかで聞いたことのある苗字だな」
「鍵はポストに入れてきた。あの子はこれで大丈夫。確かに心配だけれど、お姉さんもいる」そこで五式清一郎は深いため息をついた。「穢れるのは体じゃない、記憶なんだ。僕の記憶は汚物で埋め尽くされた。これ以上はもうどうしたって内側に留めておけない、今にも粘性を持った感情が穴という穴から溢れ出してしまいそうだ。あの子も皆も僕の汚物に触れさせるわけにはいかない。一度でも触れさせると後はもうどうでも良くなる。分かるんだ。仲間が欲しくなって意図的に汚す。受け入れてくれるのが分かっているから汚す。僕がされてきたことを他の誰かに向けるだけ。きっとそれは素晴らしい体験になるもうひとりじゃないし香月は僕になってだから手をつなげるしそれ以上にもなれる荷台に乗せて坂道をふたりで滑り落ちていく母さんにされたようなことも香月とすればきっとそれは綺麗に洗われてそうでも本当のお母さんは口笛が吹けないからってオカリナをくれたからいつか僕のそばにきて空の向こうへと手を引いてくれるだから父さんも」不意に黙り込む。
「十分」
石段に生えた苔をむしり、目に付いた蟻を一匹残らず潰していく五式清一郎は、ただその作業に没頭していた。
汗が引いてくると途端に体が冷えてきた。肌寒い季節でも蟻はいるんだな、と八重樫エリアナは思った。
「分校で待っていたんだけどね」と八重樫エリアナの背後から声がした。
黒いコートを着込み、くわえ煙草のまま五式清一郎を睥睨している背の高い男は、ちらとだけ八重樫エリアナに視線を向け首だけで会釈する。
「予想よりずっと早かったなあ。そもそも五式君には荷が重すぎた。僕がやるって言ったんだけど、彼は頑として譲らなかった。よっぽど頭にきていたんだろうね」
男は誰に話すというのでもなく喋ってはいるが、五式清一郎の様子からすると私に話しているのだなと八重樫エリアナは思った。
「彼は殺してない」
「君は彼が何をしようとしていたか知っているのか?」
「興味ない。だが、あれはただの事故だ」
「あれ、ねえ」男は薄ら笑いを浮かべ、八重樫エリアナの顔を覗きこむ。「自分の手で終わりにできなかったのが却って新しい重圧になったのかもしれないな、彼の場合。自分の手で成し遂げていたならば生い立ちのカタルシスになる可能性もあったんだが。それはそうと、さて困ったな。五式君から返事をもらわないうちにこんな事態になると今後の身の振り方に迷う」
「お前、奥野ってやつか?」
「君は僕の知っている子にそっくりだよ。口調はもっと丁寧だけれどね」
「お前の世話になるとこいつは言っていた」
「本当か」表情を消して男は言った。
「嘘を吐くメリットがない。私には関係のない話だからな」
「ありがとう」そう言って男は五式清一郎の腕を引いて立たせた。五式清一郎は蟻を潰す手を名残惜しそうに空中に這わせたあと、生気のない目をしたまま男の指示に従った。お礼だよ、と言って男は八重樫エリアナに金属片を放った。
「分校の合鍵。大分前に親父が買い取って、僕の秘密の遊び場にしていたんだ。無線機とか色々置いてあるから好きに使っていいよ。まあ、口止め料でもある」
「了解した」
二人が階段を下りていくのを見送っているときに視界が白濁してきた。
「やはり四十八分間か」
次の更新予定
千年少女〜狂って死んで蘇る。千年生きた少女に人身御供にされた僕。 長沢紅音 @NAO308
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