第1章 映画女優
およそ20人連れでやって来た新参者達にも、ルリ・キネの人々は親切だった。
「芸華会の人達がこんなにいらしてくれるなんて、こっちは大助かりですよ。何しろ慢性的な人手不足でね、週に3日は徹夜をするような有様なんでさ。アハハハ」
出迎えてくれた、字幕職人の青年は、口ではそう言いつつも実に溌溂とした表情をしている。仕事が楽しくてたまらないのだろう。他の社員も概してそうであった。
元・芸華会の面々は、舞台にいた時と同じ部署に配属された。大道具なら大道具係に、衣装なら衣裳係に、役者なら俳優部に。ただ、栄介だけは本人のたっての希望で、監督のもとで撮影技師の見習をすることになった。
彼らの中で最も歓迎されたのは、女鳥とルミラ。というのも、主役を張れる専属俳優を得ても、瞬く間に大手のライバル社に引き抜かれてしまうので、常に看板スター不在の窮境にあえいでいたからである(ちなみに引き抜かれるのはスターだけにあらず、あらゆる優秀な技師までもがその網にかかっていた)。それでは今までどうしていたのかというと、舞台役者の誰彼に一時的に出演してもらって、その場を凌いでいたのだった。
「でも、大変なんですよ。村野女史が目ぼしい人達の名を一覧にして下さるんですけど、いざ彼らに頼みに行くと大抵は断られます。それも、はなから僕達をカツドウヤと軽蔑し切って、話すら聞いてもらえないんですから」
そう言って溜息を吐くのは、照明技師見習の少年。どうやら諸々の雑務も振られているらしい。ルミラが笑ってその肩を叩く。
「もう心配しなくっていいわよ。私や女鳥ちゃんはここを辞めないし、他の役者だって私が見つけてきてあげるわ。浅草なら顔が利くの、私が頼めば大概の人はウンと言うはずよ」
「そりゃありがたい!」
面倒臭い渉外の業務を引き取ってもらえて、歓喜する少年。まあ、こんな風にして元・芸華会の面々はルリ・キネに馴染んでいった。
ヒロインとしてルリ・キネを支えることが最初から決まっていた女鳥などは、殊更に大事に扱われた。女鳥も、早く映画の仕事に慣れようと努めた。が、その心の内には暗い考えが引っかかっていた。それは、彼女が初めてルリ・キネの作品を観た時に強い印象を受けた、あの丹羽モミヂのこと。
女鳥達がこちらに来た時は既に姿が見えなかったから、それ以前にどこかに引き抜かれていったのに違いなかった。
(そりゃあれだけ上手くて美しい人、余所の同業者が放っておくはずがないわ。誘いを受けるのは当然のことだわ)
(そして私は、今度もあの人の代わりにルリ・キネに雇われたようなもの……)
芸華会の時も、今回のルリ・キネも、女鳥の前には丹羽モミヂがいる。偉大なる前任者の影を、ここでも意識しなくてはならない。女鳥はせめて、その人と比較されて引けを取らないだけの実力をものにしようと、一層稽古に精を出すのだった。
――女鳥とルミラが銀幕上に初お目見えしたのは、それから2か月ほど後のこと。製作者たる村野女史は、まず映画的演技の感覚を掴んでもらうためとして、男優が主演の現代活劇に2人を起用した。主役は、浅草の劇団で経験を積んだ二枚目役者・綱本晃平――ルミラに言葉巧みに誘われて、その気になった一人――が務める。その恋人役が女鳥に、敵の愛人役がルミラにそれぞれ割り当てられた。成果はまずまずといったところで、この時点ではまだ無名の彼ら主演陣が注目を集めるには至らなかった。が、村野女史だけは手応えを感じたとみえて、前作とほぼ平行して進めていた次回作2本に愈々本腰を入れるよう、威勢よく指示するのだった。それらはどちらも、村野女史が腕に撚りをかけて書き下ろした脚本をもとにした、ルリ・キネお得意のメロドラマである。
1本は、女鳥が主演する悲恋もの。彼女は深窓の令嬢に扮し、外界と全く隔絶された狭い世界にのみ住まう精神状態を描出してみせた。可憐一辺倒ではない、剛情なまでの潔癖さを有する少女。それゆえに、外界から訪れる「他者」を傷つけてしまい、追い返した後で自己嫌悪に陥る少女。彼女の恋い慕う「他者」を追い、最終的に自動車に轢かれて息絶えるまでの一連のシークエンスは、印象派的なセットや編集も相俟って、冷たくも美しいものに仕上がっている。これは、ロマンチックな世界に憧れる若者、特に学生達に熱く受け止められた。
そしてもう1本が、全く方向性の違うヴァンプもの。主演は勿論ルミラで、洋画の女優顔負けのお色気を振り撒いては、男を思いのままに操り倒す女を演じた。とはいえそれでは検閲を通らないので、彼女が破滅させる男は徹底的な悪人と限り、誠実な者にはどこまでも寛大な性格とした。その苦肉の策が、大半の観客には侠気溢れる姐御と映り、彼女がウンと肘鉄喰らわすような箇所ではヤンヤの喝采が起こるのだった。こちらは、主に女性陣と、ルミラの美貌目当てのインテリ連中が強く支持した。
この2本はともに8月に封切られ、比較的小規模な会社のルリ・キネにしては、かなりの興行成績を挙げた。女鳥とルミラのもとに映画雑誌の記者が取材に来たり、ファンレターが頻りに来たりするようにもなった。女鳥が地元の学生連中に「もだん・べる」と呼ばれて崇拝されていたなどという情報が、どこからともなく流布して当人を驚かせもした。また彼女には、映画界入りに驚いた元級友達からの手紙も届いた。中でも嬉しかったのは、沼田潤子のもの。
『石川さん、ご無沙汰でございました。なぜもっと早く言って下さいませんの――村野女史のところにお出でだったなんて! 昨晩、石川さんの『帳の中の乙女』を家族で観に参りました。初めは懐かしい御顔を拝見したい一心でございましたが、すぐに物語の中に吸い込まれ、令嬢小夜の悲しみに同情し、その死に涙を零しました。学校にいた時分の『ハムレット』も懐かしく思い出されますが、その時の何倍も巧みに芝居していらっしゃることに驚きましたわ。……そうそう、一緒に観に行った兄なんか、もうせんから石川さんの大のファンになってしまって、ブロマイドを写真立てに入れて枕元に置くほどの熱中ぶりです。3月までは私の級友だった方だのにと思うと、何だか妙な気持ちがいたします。……』
潤子を初め、他の友人達も、映画界入りした自分を蔑んでいないらしいのが、何より有難かった。そして、次の作品も彼女達に喜んでもらえるように、誇りに思ってもらえるように頑張る女鳥であった。
それが、『めんどり娘』――ルリ・キネが贈る最初の都会喜劇の、高評価と大ヒットに繋がったのに相違ない。
喫茶店・めんどりの看板娘「めんどりさん」と、彼女を取り巻く人々が織りなす恋愛模様。前作の『帳の中の乙女』で悲惨な役回りだった彼女は、今度は明朗快活な少女「めんどりさん」を生き生きと表現した。笑顔と人情と、ちょっとしたユーモアで店の危機を切り抜けていく「めんどりさん」の姿は、どれほど爽快だっただろう。また、どんなに親近感を抱かせただろう。
「この頃めっきり、『めんどりさん』スタイルのお嬢さんが増えたわねえ。断髪、振袖、短い袴に、革の靴! 百貨店でも、女鳥ちゃんが着たような服をウインドーに並べているのよ。それを見た小さい子が、指差して、回らない舌で言うの……『あ、めんどりさんだ!』って」
ルミラが楽しそうに語るように、女鳥は、否、「めんどりさん」は――それが本当に女鳥の愛称になりつつある――センセーションを起こしたのだった。本作の成功のおかげもあり、ルリ・キネの名は、他の大会社の間に交じって、特異な光を放つようになったのである。
また、この前後くらいから、女鳥とルミラは村野女史に連れられて著名人の催し物などに参加するようになった。そもそも女流芸術家として、また慈善家としても名高い女史は、かねてから上流階級の人々にもてはやされていた。その女史が殊に目をかけている2人の女優もきっと、女史の薫陶を受けた素晴らしい芸術家に違いない……。そんな期待がやがて憧憬となり、女鳥とルミラに直接紹介されることが上流社会のステータスのように思われ出したのだ。結果として、2人はどのパーティーでも慈善音楽会でも歓迎された。2人のダンスや独唱は、浅草仕込みとはいえ、上流人種のお眼鏡に十分適うものであったらしい。
ルリ・キネの代表者たる村野女史は『めんどり娘』や看板女優の2人の出世を喜びながらも、現を抜かすような愚かな真似はしない。現在抱えている数多の仕事をこなしつつ、例の陣勇之進から依頼された方も着々と準備している。当初、超大作の製作にあたって懸念していた人材不足については、『めんどり娘』の成功以来、優秀な入社希望者が殺到しているのでいずれ解消されると思われる。資金の方は勇進日報社に任せきりになっているが、あれだけの大会社ならば、製作開始時には全て調うだろう。
事務室の掛け時計が夜の10時を打つ。仕事机の上には、書きかけの原稿用紙と、新聞の切り抜き帳。例の「子爵令嬢大波乱物語」後日譚のシナリオは、もう8割方書き終えたであろうか。乗り気で引き受けた仕事ではないのに、これまでにないほど彼女の筆はよくはかどった。主役を演じることになるだろう、女鳥とルミラのイメージに無意識に励まされてきたのかしら。ふいにそんな考えが浮かんで、彼女は微笑を漏らした。
背後に大物の影があるとはいえ、この大作は自分にとっても、また女鳥やルミラにとっても、特別な一作になるはずだ。単なる映画の枠を超えて、より大きな意味をもつようになるはずだ。
「……続きは明日にしましょう」
口に出してから、女史は椅子を立った。散らばった原稿用紙を順番にまとめ、きちんと揃えてから、机の右側に置く。
――電灯の消された事務室。青白い月光が窓辺からすっと射し込む。『花のゆくえ』……机上の原稿用紙にひときわ大きく記された題名が柔らかな明かりに仄々と浮かび出でた。
*題名は、帝国キネマで製作され、大正14年(1925年)1月に封切られた映画「映画女優」から。
*無声映画の時代、人物の台詞や事物の説明は全て、画面いっぱいの字幕(黒字に白い文字)で示された。その字幕を作成するのが字幕職人である。
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