SNSだけが、発信の場じゃないと実感した話

白鷺(楓賢)

本編

発信をするなら、SNSだと考えている人は多いでしょう。私自身、ついこの間まで、そう思っていました。SNSは簡単に多くの人にリーチできるし、瞬時に反応が返ってくる。誰でも手軽に使える便利なツールだからこそ、発信の場として非常に魅力的です。実際、私も長い間、SNSを通じて自分の思いや考えを発信し続けていました。


でも、ある日、私はSNSをすべてやめてみることにしました。SNSを使うたびに心の中で感じていたモヤモヤが、日に日に大きくなっていったからです。リアルタイムでのやりとりや他人の評価、絶え間なく流れてくる情報の洪水に、気づかないうちに疲れ切っていたのだと思います。


SNSをやめてからは、空いた時間で執筆活動に打ち込むようになりました。最初は「SNSをやめたら誰にも自分の考えが届かなくなるんじゃないか」「発信をしないのは、存在していないのと同じなんじゃないか」と不安でした。でも、その不安は思い込みに過ぎませんでした。執筆活動を続けているうちに、私は大切なことに気づいたのです。


それは、「SNSでなくても、発信はできる」ということです。


SNSを通じての発信は確かに一瞬で多くの人に届くかもしれませんが、文章を書き続け、作品として形に残すことで、それが誰かの目に留まる瞬間が必ず訪れるのです。私の文章はSNSの「いいね」やコメントがなくても、誰かの心に響いているのではないかと思うようになりました。


続けていくうちに、文章が自分の中で形を成し、それが自己表現の一つとして完成されていく感覚を得ました。そして、それが誰かに届き、誰かの心に影響を与えているという実感が少しずつ湧いてきたのです。


発信というのは、必ずしも瞬時に反応が返ってくるものではないかもしれません。でも、継続することで、見えない形で誰かに影響を与えている。自分がやっていることが、思いがけない形で他者の心に届くという喜びがあります。


私の場合は、文章を書くことがその手段でしたが、発信の形はそれぞれ違います。絵を描いたり、音楽を作ったり、料理を作ることも、立派な発信です。誰かの目に触れる、耳に届く、心に響くことが発信の本質です。それがSNSでなくても、自分の表現を続けることで、いつか誰かに必ず届く瞬間がやってくるのです。


SNSがなくても、発信はできる。むしろ、SNSという制約から解放されることで、自分らしい発信ができるようになったと感じています。誰かに届けたいという思いを、目先の反応に囚われずに続けていくことで、本当の発信が始まるのではないでしょうか。


今では、SNSに頼らない発信の喜びを感じています。自分のペースで表現し続け、見えない誰かと繋がる感覚を楽しんでいます。SNSだけが発信の場ではなく、私たちにはもっと多様な発信の方法があるのだと気づかされました。


発信の形は、無限に広がっています。そして、その発信は、続けることで必ず誰かに届く力を持っています。SNSだけに囚われず、自分の表現を信じて続けていくことが大切なのだと思います。


おわりに


発信をすることは、自分を知ってもらうこと、そして誰かに影響を与えることです。しかし、その手段はSNSだけではなく、自分らしい方法で表現することができれば、それが立派な発信になります。焦らず、自分のペースで続けることが、何よりも大切なのだと私は実感しています。

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