第30話
「あ……っ」
怖かったけれど、甘噛みだった。牙が肌に刺さっていないのがわかる。
ぺろりと舐められて、体がぶわっと熱くなった。
「小春」
耳に吹き込まれるささやきに心臓が早鐘を打つ。
ただ優しいだけじゃない、低い声。色っぽい吐息。
彼はその体勢のまま、大きくため息をついた。
「これにこりたら、もう俺に油断するな。まだしばらくの間は優しくしてやりたいんだ」
少し乱暴に抱擁をといて、一歩あとずさる左京さん。
このまま食べられてしまうのかと思ったのに、逃がしてくれたの……?
見た目もしゃべり方も昼間とは違うけれど、やっぱり優しい。左京さんになら食べられてもいいとつい思ってしまった。
左京さんはすぐにカフェの扉の向こうに姿を消した。
わたしはふらふらしながら、二階の自室に戻った。カーテンの隙間からは青白い月の光が差し込んでいた。
これは軽井沢の森の不思議なカフェのお話――。
このあと自分が、怖くて気まぐれで魅力的な〝あやかし〟たちとかかわることになるなんて、このときのわたしは思いもしなかったのだった。
【優秀賞受賞】旧軽井沢あやかしカフェ ~愛されメイドの幸せランチと内緒のディナー~ 月夜野繭 @MayuTsukiyono
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