纏氷
金沢出流
纏氷
一年以上も片思いしてるの?
うあー、ボクにはむりだなあ。
初対面からしかけていって相手にされてないって。
いやいや、月並みだけれどさ、世の中には女性なんて星の数ほどいるんだから、他当たりなよ。
好きだからとかいって一年も、うだうだうだうだウザ絡みをしつづけてむりなら、もうむりじゃん。
ウザ絡みだよ。
ウダ絡みだって。
あきらめたほうがよくない?
あきらめなさい。
そうかあ。
むりかあ。
あきらめきれないかあ。
友人はなんとも無益な恋をしていた。
そうとわかっていてもそれでもどうにも諦めきれないようだった。
ならば彼のためにも諦めさせてあげようとボクは思った。
おせっかいがすぎる。
そんなことはわかっているけれど、愉しいはずの呑みの場で、ボクに言ったところで対話では解決しない問題を、その場の全ての時間を浪費し、相談をしてきたということそのモノがもう、ボクの琴線を叩きつけるような行いで。
端的にいえばイラっとした。
当人からすれば気楽に愚痴りたい、できれば状況を好転させるアドバイスがほしいだけなのであったろう、されども。
呑みに誘われたとおもえば、カンパイするやいなや断りもなく無料相談を受けさせられ、酒に逃げれば不味く、飯に希望を託して裏切られ、話を変えようと試みればそれは霧散し、相談の中身のそのあまりの芽のなさに、幾度も、あきらめなよ、むりだよ。とたしなめれば「でもなあ。でもなあ。でもなあ」の一本槍で躱した気でいる。
そうして無益な愚痴と空想のノロケはつづく。
なんだったのだあの時間は?
不快である。
こういうことにボクはハッキリ言ってとても腹が立つ。
おもしろい話ならよいのだが、なんのおもしろみもなかったのがなおさらに苛立つ。
そしてダメオシの「財布忘れた飲み代貸して」
にへらと笑う友人のそのひとことで、ボクは俄然やる気に満ちてしまった。
この相談、ゼッタイに、なんとしても解決してみせよう。
それ、その布、マリメッコだよね、作ったの?
すごいね。手芸できるんだ、クオリティ高すぎない? 服飾学校とかいってた?
へぇー! 文化行ってたんだ。
専門のほう?
大学かー。
十六歳くらいの頃、向かいにあるワシントンホテルの地下のコンビニでね、みじかいあいだだけど働いてて、文化祭いったなあ。
むっちゃ時期かぶってるじゃん。
すれ違ってたかもね。
北欧雑貨、すきなの?
わかる。
ボクもカイ・ボイスンのカトラリーとか、カイ・フランクの陶器とかわりとすき。
北欧というかどっちもフィンランドだけどね。
そう! イッタラ。いいよね
口に出すともなく気が合うねとなったボクらは、どちらからともなく下北沢のライブハウス『club Que』を抜けだして、彼女のすすめの三軒茶屋のバーへ移り、ラムを呑んだ。
ルリカケスラムという奄美大島産のラム酒だそうで、廉価であるのに甘露であった。
いつのまにやら注文なされていたナッツ類やドライフルーツと合わせればもはや美酒佳肴といって過言ではなく、あわや脳髄辺りが溶けだしてしまいそうである。
はじめはオンザロックで呑んだが、二杯目からはルリカケスラムのストレートとミネラルウォーターを頼み、彼女に対し、おいしいお酒を教えてくれてありがとう、と感謝を伝えた。
彼女は照れているようなそぶりをみせ、いえいえと言い、杯を重ねた。
いくつもの杯を空にし、夜も更け、やがてボクは酩酊し、もちろん終電は逃して、タクシーの窓越しに茶沢通りの風景が流れていく様を眺めうつらうつら意識は遠のき、気がつけば三軒茶屋からほど近い、三宿にある彼女の部屋のベッドの上で、太陽の眩しさに悶えながら起床した。
パジャマを着ていた。
Nick&Noraのパジャマだ。
海外ドラマでよく使われているパジャマなんだよ、と昨夜、このパジャマを着せられているときに自慢されたことを思い出す。
曰く、クラウドナインという名称の柄らしい。
青い空にまばらに雲が浮かんでいる、そういう、北欧とはまた違ったアメリカスタイルのデザインだ。
これはこれでかんじがよい。
それからボクは案の定、何も履いていない。
昨夜、なにがあったにせよ、ボクは眠っているあいだ気づかぬうちに、ズボンもパンツも脱ぎ捨てる悪癖をもっている。
だからいつもどおりだ。
彼女が着ていた同じブランドの、サングラスを掛けた多種の大型犬らがリゾート地でくつろいでいる様が描かれた柄のパジャマは、上下とも床に落ちていた。
このファブリックにもおそらくなんらかの名称があるのだろうけれど、聞きそびれてしまった。
想像するに、サーティワン・アイスクリーム的な命名センスの名付けがなされていそうだと思った。
「痛いなあ」
そう言ってボクは彼の腹を蹴った。こちらが蹴りの動作に入る前からもう彼は怯んだ表情をしていた。
自身がヒトを殴ったコトそれ自体に驚いたのかもしれない。
もしかしたらはじめてニンゲンを殴ったのかも。
彼の体勢が崩れたところで二歩進み、肩を掴んで足を払った。
彼は受け身も取らず転んだ。
あれ、柔道って中学校で習うんじゃなかったっけ? 選択?
ふと疑問が浮かぶ。
ボクはろくに通わなかったからわからない。
ゆえに答えは出ない。
今はやれることをやろうと切り替えた。
彼の身体の上に乗り、重心を整える。
いとも簡単にマウントポジションが取れた。そのまま彼の顔に一発いれようとするが腕で防がれてしまう。
「当たんなかったからもういっかいだね」
言ったところで彼が顔を覆うのをやめるわけもなく、致し方なしにボクは腰を後方に下げて、床に左手をついてから右手を引いた。そうして左手を浮かせると同時に右の拳で彼の鳩尾を殴った。
彼は身体を九の字にして嘔吐した。
吐瀉物が服にかかる。
彼女から貰ったばかりの、学生時代に製作したという服が汚れてしまった。
「汚い」
この服を着ていることを失念していた。やってしまったかもしれない。
クリーニング代はいくらくらいだろうとぼんやり考える。
自主製作にありがちな取り返しのつかない素材ではないはずだけれど、どうしよう。
おまえのせいだぞというキモチで友人を見る。
彼は腹を押さえながら、どうにも既視感のある表情をしている。
『大人は判ってくれない』の劇中、アントワーヌもなにかのシーンで、こんな表情していた。
どんなシーンだったろう。
いずれにせよ、そんな顔をするくらいならヒトを殴るべきではないと思った。
「おまえはそんなやつじゃなかったじゃん」彼は弱々しく言う。
「先に殴ってきたのはそっちなのになんでそんなこというの?」
彼が言いたいのはそういうことではないのだろうなとはわかりつつもそう返答する。
ボクは普段も、今だって特段、なにも偽ってなどいない。すこしの苛立ちを隠して生きているだけだ。
ボクは右手を彼の左耳に伸ばした。追って彼の両手がボクの手を掴む。
気にせず、じゃらじゃらといくつもぶら下がっているピアスのなかから、一際気に食わなかったデザインのピアスを一つ手に取って、左手で友人のアタマを抑え、ぐぅーっと力をいれつづけ、引きちぎった。
彼は呻き、左耳を両手で押さえて喘ぎ、暴れる。
どうにも大袈裟で忙しい友人だ。
「キミのために撮ってきたモノ、見せてあげるね」
血と肉が付いたピアスをゴミ箱へ投げ捨て、ポケットから携帯電話を取り出し、動画を再生する。
そして液晶画面を彼の方へ向けた。
ピアスを引きちぎった辺りから彼はもう泣いていた。
こいつはなぜ泣いているんだ?
ピアスをじゃらじゃらさせながら喧嘩をはじめたら、ひきちぎられることもあるだろうに。
そんな想定もせずに殴ったのか?
いくらなんでも想像力がなさすぎる。そして軽率だ。
そもそも、やり返されて泣くくらいなら殴らなければいい。
あんまりかわいそうだからわざわざ体勢を崩して、いつでも彼がボクの上を取って殴り返せるようにと気を遣っているのに。
やる気さえあればボクを痛めつけられるというのに。
彼には殴り返す気概もない。
なんだかまたいらいらしてきた。
「目を開けろ。せっかくみせてやってんだから」
軽く鳩尾付近を叩く。
彼は一瞬のあいだ硬直したのち、おっかなびっくりというかんじで言葉に従い薄く目を開いた。
困惑の感じ取れる瞳から、重力に従い涙が流れ、おちる。
彼の部屋に、彼女の嬌声が響く。
夢にまでみたシチュエーションだろう。
音声だけは。
やがて彼の局部の膨らみが、ボクの臀部に伝わってきた。
「あれ、勃ってない? ふふ、抜いてあげよっか?」
デニム生地を隔ててひかえめに隆起したペニスをなであげる。
やめて、やめて、と嫌がり暴れる彼からボクは離れる。
彼はぐすんぐすんとでも擬音がつきそうな崩れた表情で泣いていた。
あまりに無様だ。
力ある者であるのに、無力なこどものようだ。
なぜやり返さないのかわからない。
これではまるでイジメだ。
『リリィ・シュシュのすべて』で観たあの不快なシーンを思い出して、ボクは厭な気分になる。
スッキリしない。
ボクは、あるいは平等な喧嘩かなにかをして、そうしてスッキリしたかっただけなのに。
なんだかやるせなくなり、友人を放ってその家を出た。
いろいろとまあ失敗だったかもしれないけれど、とはいえ友人の不毛な恋を散らすという目的は達成せられた。
つまりは成功である。
ボクは帰り道、外科へ寄って治療を受け、挫創と打撲により全治三週間との診断を貰った。
左の眉尻が切れてそれなりの出血があり、傷口の圧迫止血は行っていたものの、左顔面が血濡れの状態で拭いもせずに医院を尋ねたからか、それなりに混んでいたというのに待ち時間は短く、とても助かった。
しかしなによりも今、かんがえなければならないのは、彼女から貰ったばかりのこの服をどうしたものかという難問だ。
小細工は色々浮かぶけれど、結局のところ餅は餅屋だ。
餅屋に土下座して対処を乞うべきであろう。
疲れた。
空腹だ。
三宿に帰ったらCAMINOのつけめんを食べようかなとおもうと同時に、彼からあの因縁のあの夜の飲み代を返却してもらっていないことに気づく。
とはいえ、殴られて、腹を蹴って腹を殴って、ピアスに関してはダサいのを外してあげたのだからそこはプラマイゼロとしても、暴力一発分を多くもらっちゃっている。
貸した金くらいちゃらにしてあげないと不公平かもしれない。
本来、彼には最低でもあと一発、ボクを殴る権利がある。
その権利と返済を相殺したことにしよう、とそう思い返した。
帰宅するとあらあらまあまあというかんじで、大きな瞳をさらに開いた彼女が出迎えた。
怒りもせず、事のあらましを尋ねながら、そしてときおり叱りながら、汚れた服とボクの身をせっせせっせと、ウタマロせっけんや、コットン、シャワーなどを使ってケアしてくれ、最後に、ごはんいこっか、と微笑みながら言ってくれた。
「もうなんなのあいつほんとうにきもちわるい」と野菜つけ麺に京七味をふりかけながら、彼女は言う。
「いいところもあるんだけどね」とボクは言って、スープに麺を沈めた。
纏氷 金沢出流 @KANZAWA-izuru
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