堅くて白い石の存在が不確定なはずはない

荒糸せいあ

堅くて白い石の存在が不確定なはずはない

 筆者は物理にも古典にもど素人である。正確さをもとにした真剣な話題よりは、むしろ虚実ないまぜな談笑のタネとしてうけとってほしい。テーマは量子力学と堅白論(後述)の比較だ。


 量子力学というのは既によく世間に認知されている通りかなり難解な代物なのだが、ここ最近偶然それに関連した本を読む機会があった。

 読み物として楽しめたものは多かったが、こと量子力学の理解となると?マークがいくつあっても足りないというもので、何が分からないのか分からないという勉強が行き詰まる最もよくあるパターンに陥った。

 アインシュタインやボーアといった当代の鬼才たちが頭を悩ませながら進めてきた学問であるからそれもまた当たり前であろうか。


 読書中に出会うのは二重性やら不確定性原理やら相補性やら新単語に次ぐ新単語。その説明は逆立ちしても分からない。この用語が使われた事象の説明はなおさらだ。

 たとえば用語が簡単なものでも「粒子のは同時に測定することはできない」というような記述があるわけだ。この部分は学問的にも非常に重要な話であるらしい。

 どうやら粒子の持つ位置の情報のための測定方法と速度の情報のための測定方法が違うことに原因があるようだ。片方を測定したとき、もう片方に影響がでてしまうらしい。

 ハッキリ言ってちゃんと理解できていないが、しかし今は私の理解度は関係ない。表層の話さえできれば不足はないのである。

 量子力学と堅白論の比較のうち、量子力学側ではこの「粒子のは同時に測定することはできない」を言う話を使う。


 さて堅白論の話だ。皆さんは公孫竜という人を知っているだろうか。場所は中華、時代は二千年以上前の春秋戦国時代の人である。この時代は、周王朝衰微から長く続く戦乱の時代でありつつ、思想家が弁をふるい論を競ういわゆる百家争鳴の時代でもあった。

 公孫竜はそのうち名家(身分の高い家という意味ではなく思想家の分類)の有名(?)人である。現代ではほとんど名前を聞かない人だが、「白馬は馬ではない」論などはまだ知られている方であろうか。


 その公孫竜の説の一つが堅白論である。「堅くて白い石は存在しない」という論だ。何を馬鹿なことを、お思いになるだろう。その主張はこうだ。


 ここに石がある。

 その石の堅いのは触れば分かる。その石の白いのは目で見れば分かる。

 しかし触っている間は目で見えず、目で見ている間は触れないはずだ。

 一方の間は一方は分からないのだから「石」は存在しない。

 

 いかがだろうか。指でつまみながら見れば触りつつ見れるのでは?と思った人は筆者と同じ考え方の人である。

 石が大きい場合はそうだろう。しかしそれでも、全体の話は無視して石の一部分に注目すれば、触れている部分は見えないし、見ている部分は触れないのは確かである。

 石をすこし小さくするとどうだろうか?つまみつつ見るというようなことは難しくなるはずだ。さらにずっと小さくしていくと、やがて触るか見るかのどちらか一方しかできないくなる大きさになるはずだ。


 こうなると砂粒のような場合は堅白論に一理あるように感じる。少なくとも筆者はそう思った。

 当の公孫竜本人がどういうつもりで言ったのか、現代でどういう解釈が正解とされるのかはこの際おいて、今回はそういう解釈を許していただきたい。


 これで量子力学側と堅白論側の双方の役者の紹介が終わった。


 さて、量子力学だ。量子力学はミクロの世界の話だ。

 そしてどうやら「粒子の位置と速度は同時に測定することはできない」らしい。測定方法が別々だからだ。


 さて、堅白論だ。堅白論は石が小さいほど納得しやすい。

 石の白いのは目で測定した結果だ。石の堅いのは手で測定した結果だ。


 堅白論の雰囲気は量子力学のそれにいささか似てはいないだろうか。(物理学科の諸先生、諸学生には学問を詭弁と比較する失礼を謹んでお詫び申し上げます)


 堅白論は歴史の長い間ずっと詭弁中の詭弁として槍玉にあげられ続けてきた。しかし百歩バックステップしつつ断章取義をすると、「紀元前に公孫竜は堅くて白い石に対して量子学的にアナロジーな解釈をしていた」と言えなくもない……というのは、さすがに筆者のすぎた言葉遊びにしても、量子力学のこの話と堅白論にいささかの類似性を感じはしないだろうか。

 どちらも粒子の「」、石の「」という観測の問題で、しかも扱う量が小さいと特に顕著に現れるのだ。


 この堅白論の展開全体をはじめから些少些末な詭弁として切り捨てるのは、非常にもったいないことではないかというのは筆者の素直な感想である。本来は古代の詭弁と現代の科学に共通点などあろうはずがないが、これを手綱に思索を深めようと試みるのも一興だろう。私はまだ無理だが、量子力学と堅白論とをしっかり区別できれば、あるいはできないと論理的に断じられるようになれば、到達点としてはなかなかのではなかろうか。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

堅くて白い石の存在が不確定なはずはない 荒糸せいあ @Araito_Kaeru_0828

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ