第二章 暴食の槍

第14話 密林の王者 1

 レイは、周囲の風景をじっと見つめながら、フエゴサントの石畳を歩いていた。

 魔法国家ルスガリアの首都ルナベスから遠く、南の内陸都市。日差しが石の建物に反射し、白く輝くその街は、まるで過去と現在が交錯する場所のようだった。大きめの帽子の影がレイの顔を隠している。


 旅の途中、彼女は何度か瞬間移動を使い、町から町へと移動してきたが、今回は馬車を使ってのんびりと移動することにした。

 乗り合い馬車は揺れながら、フエゴサントを進む。

 乾いた大地とオリーブの木々が広がる景色を眺めながら、彼女は静かに目を閉じた。


 ☆☆☆


 騎士や自警団を見かけることは多いが、国の流通が滞っていることはない。むしろ、凶事を忘れるかのように市井の人たちは、忙しく働いているかのように見えた。


 それにしても、大変なことになってしまった。

 里帰りの帰路から、村が燃えているイメージを感じて、瞬間移動してからの大騒動。

 命懸けの戦いから、ほぼ不眠不休で働き通しで、今は国がどうなるかわからない事態にまでなっている。

 先月までの研究室に籠もっていた日々はなんだったのか。

 黒魔法で父や村の若者、騎士団の生気を吸い取りながら仕事をしていたが、やはり、心労は堪っていた。

 レイは馬車に揺られながら、いつしか軽い眠りについていた。


 ☆☆☆


 次に目を開けると、馬車はもうすぐフエゴサントの中心地に到着するところだった。

 レイは帽子を少し押さえながら、再び歩き出す準備を始めた。


 女の一人旅で、虚飾の魔杖を装備しているのは便利そのものだ。

 虚飾の魔杖の力は、ハッタリ――要するに虚勢ということになる。

 自分を大きく見せかけることができるという魔具だ。


 魅力を増す力と言えば聞こえは良いだろうが、それは威圧感も何割増しかにしてしまう。

 黒魔法の専門家であるレイが虚飾の魔杖を装備すれば、まず、他人に舐められることはない。


 よからぬ者は避けて通り、魔物は逃げる。

 得体の知れなさが底なしになる。見ているだけで不安になる。声をかけるのも憚れるなど、常人であったら腫れ物扱いされて、心を病んでしまう代物なのだが、レイにとっては便利なこと、この上もない。


 髪の毛の乱れを直してくれる魔法のリボンを買って、少し伸びてきた後ろ髪を括ると、街の男たちがチラチラ見てきた。

 よくわからんので、レイは虚飾の魔杖――今はブレスレット型だが――を光らせて威嚇する。

 男たちは毒蛇にでも出くわしたかのような顔で、走り去っていく。


 小柄で可愛らしい外見のレイが一人旅すれば、どんな危険があるのかわかったものではないが、これがあれば、ある種の煩わしさからは解放される。それは喜ばしいことであった。


 もし、光魔法――現在の呼び名は白魔法だが、その術者であれば、カリスマ的な人気者にでもなれるのだろうが。


 ☆☆☆


 視認できる範囲であれば瞬間移動魔法は使えるが、周辺の生き物の生気を吸うので町中では騒ぎになる。ただでさえ、魔女事件で国中がピリピリしているのだ。

 行く先々で騎士団や自警団が、警戒を怠っていない。

 この時勢で、白昼堂々と魔法を使うのは、いくらレイでも憚れた。


 その日の午後、石造りのレストランに入ると、甘い香辛料の香りが鼻をくすぐった。

 香辛料たっぷりの名物料理を薦められたが、レイが注文したのは、じゃがいもを使った分厚いオムレツだった。辛いのは苦手なのである。

 オムレツは、玉ねぎとハーブが織り交ぜられ、シンプルながらも豊かな風味があった。

 レイはその味わいに舌鼓を打ち、食後には、南の特産である甘いオレンジを絞ったフレッシュジュースが供された。

 その瑞々しさにレイは目を閉じ、旅の疲れを癒すように深く息を吸い込む。

 

 しばしの安らぎのひとときだったが、店の客の話は魔女、魔女、魔女である。

 普段ならわかりもしない政治談義や、近所のうわさ話で盛り上がっているのだろう。

 こんな時勢で、とてもじゃないが、街中で六階層以上の魔法など使う者などいない。

 街角から騎士が飛んでくる騒ぎになることは明白だ。

 

 ☆☆☆


 遠くでは、子供たちが駆け回り、雑多な会話が風に乗って耳に届く。

 オレンジの木が並ぶ通りに差し込む陽射しが、まばゆいばかりに地面を照らし、木々の葉が風に揺れて心地よい音を立てていた。

 レイはその自然の豊かさを感じながら、次第に忙しい市場の喧騒から離れ、静かな道へと足を向けた。


 進むごとに、街の喧騒は次第に遠のき、代わりに聞こえてくるのは鳥のさえずりと、木々の間をそよぐ風の音。

 フエゴサントの郊外へ出ると、広がるオリーブ畑やブドウ畑が、静かに迎えてくれる。

 青空はどこまでも澄み渡り、地平線まで広がる緑が、その中にいる者に安らぎを与えてくれるようだった。


 レイは自然の美しさに心を奪われながらも、その静寂の中で次なる目的地へと向かって歩を進めた。


 ☆☆☆


 レイはにぎやかなフエゴサントの街を抜け、広がる風景が次第に変わっていくのを感じながら進んでいった。石畳の道から、次第に土と草が混ざる道へと移り変わり、辺りの景色が緑で覆われていく。オリーブ畑やブドウ畑が遠ざかり、鬱蒼とした密林地帯が目の前に広がり始めた。


 密林の入口に差し掛かると、目の前に行商人の小さなキャラバンが停まっていた。彼は、重い荷物を背負い、休息のために腰を下ろしていたが、レイが密林へ足を踏み入れようとすると、急いで彼女を呼び止めた。


「お嬢さん、この先は危険だ。あそこには巨獣が生息しているんだぞ。知らねえのか? 生半可な装備や魔法じゃ……ちょっと!」


 行商人の声には切迫感があり、その警告は真剣だった。

 彼は密林に棲む巨獣たちの恐ろしさを知っているのだろう。その瞳には、過去に目撃したであろう恐怖が色濃く映っていた。


 しかし、レイはその言葉に耳を傾けつつも、自らの決意を固めた表情を崩さなかった。

 彼女は密林の先にある目的地を目指さなければならない。巨獣たちの存在がどうであれ、彼女の足を止めることはできない。


 レイは、行商人に軽く礼をして、再び歩を進めた。

 密林地帯の中へと入っていくと、緑の天蓋が太陽の光を遮り、空気は一気に湿気を帯びた。

 木々の間には不気味な静けさが漂い、時折、遠くで聞こえるかすかな獣の鳴き声が、ここが危険な場所であることを思い出させた。


 密林の中は視界が悪く、進むごとに一層の緊張がレイを包み込む。

 巨獣たちがいつ現れるかも分からない。

 レイは、やっと黒魔法が使えるな、と思った。

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聖剣悪女 たま @tama241008

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