恋人らしいことがしたい。〜『銀の華』番外編〜

長月そら葉

おうちデート

「じゃあ二人共、少しの間よろしくね」

「そんなに遅くならないから」

「わかりました。そんなに心配しなくても、俺と晶穂しかいませんし大丈夫ですよ」


 玄関の方から、三人分の話し声が聞こえる。あれはジェイスさん、克臣さん、そしてリンの声だ。わたし―晶穂―はお皿洗いを終えて、彼らのいる玄関へ向かう。

 わたしが近付くのに最初に気付いたのは、玄関から廊下を見られる位置にいたジェイスさんだった。


「晶穂、リンをよろしくね」

「ふふ、はい。お二人は今日、北の大陸へ行かれるんですよね?」

「そう、クロザたちに呼ばれてね。あっちで厄介なことが起こったらしい」


 クロザというのは、古来種という種族の青年だ。以前銀の華と敵対して戦った相手だが、今は和解して協力し合う関係に落ち着いている。そんな彼からの助けを求める声に応じるため、ジェイスと克臣が向かうことが昨夜決まった。

 それにしても、と克臣がリドアスの中を見回した。


「俺たちだけじゃなく、ユキたちも誰もいないなんてな。ジスターと一香、シンはリョウハンさんのところだっけ?」

「そうです。新たな修行だとか」


 リンの言う通り、ジスターさんたちは昨晩雪山に向かった。そこに籠っているリョウハンさんという女性を尋ねている。ちなみに、ユキたちは学校行事で南の大陸に課外活動中だ。今日の夕方には帰って来る予定になっていたはず。


「――ですよね」

「そうそう。だから、お前たち二人っきりなんだよ。夕方まで」

「あ……」

「……」


 克臣さんに指摘されて、わたしはようやくその重大性に気付いた。どんどんと顔に熱が集まって来ている気がして、パタパタと手で顔をあおぐ。

 ちらりと横を見るけれど、リンの表情はわたしから見えない。けれど、耳が真っ赤になっていることだけはわかる。

 そう、リンとわたしは数時間だけ二人っきりになるのだ。それがどういうことを示すのか、幾ら鈍いと言われるわたしでもわかる。


(リンと二人っきり……。ちょっと、ううん、凄く嬉しいな)


 リドアスの中にいて、恋人であるリンと二人きりになることはまずない。銀の華所属のメンバーは全員このリドアスと名付けられた建物で寝起きしているし、いつ何時戦いの渦中に放り込まれるかわからない。普段の自警団としての仕事もあるため、常に複数の誰かがいる。だから、たった二人でいることなどないのだ。


「でも、どなたか連絡をしてくるかもしれませんよ?」

「電話や訪問があるかどうかはわからないから、あった時は対応をお願いするよ。……出来るだけ、きみたちの邪魔がないように祈っておこう」

「……ジェイスさん、ニヤニヤしないで下さい」


 リンが照れ隠しにつっけんどんな言い方をすると、ジェイスさんは「ごめんごめん」と笑った。それから腕時計を見て、克臣さんと頷き合う。


「そろそろ行くよ。汽車の時間には丁度良い」

「そうだな。じゃあ二人共、頼んだぞ。ゆっくり家デートしとけよ」

「克臣さん!」


 弟分をからかうことを忘れない克臣さんが先に出て行き、ジェイスさんも軽く手を振って出て行った。

 足音が遠退き、リドアスの中に静寂が訪れる。


「……」

「……」

「……晶穂、後やることは?」

「ほとんど終わってるよ。後は、回している洗濯物を干すくらいかな」


 リンの問いに答えた直後、洗濯機が洗い終わりを告げる音楽を流す。わたしたちは顔を見合わせて、ふふっと笑った。


「干してくるね。リンも、やらなきゃいけないことしてきて」

「わかった。……後でな」

「――うん」


 わたしはリンと一旦別れ、洗濯物を干すためにまずは洗濯機のところへと向かう。リンもどうやら、残りの仕事を片付けに行ったらしい。今十一時前だから、ユキたちが帰って来るまで十分な時間がある。


「……」

「……」


 そう思っていたのはが、今から三十分前のこと。今わたしは、リンの部屋にお邪魔している。


「はい」

「あ、ありがとう」


 リンに差し出されたコップを受け取ると、リンはわたしの隣に腰掛けた。二人並んで、部屋に置かれたソファに座る。二人の距離は拳一つ分くらいで、わたしの心臓はドクドクと大きく拍動していた。

 コップの中には暖かなココアが入っていて、秋風の吹き始めたこの頃には丁度良い。

 少し猫舌のわたしがココアを冷ましていると、リンが不意に「熱かったか?」と眉を寄せた。


「少しは冷ましたんだけど……」

「ふふ、大丈夫だよ。心配してくれてありがと」


 もう平気だよ。そう言って飲んで見せると、リンは安心したようで自分のコップを口に運ぶ。わたしももう一口飲んだ。リンの好みもあって、甘さ控えめになったココアはほっとする味だ。


「……おいし」

「……晶穂」

「ん?」


 名前を呼ばれ顔を上げると、至近距離でリンと目が合った。ドクンと心臓が跳ねて、リンの赤い瞳に吸い寄せられそうになる。


「……」

「……」


 見つめ合うと、時間が止まったような錯覚に陥る。現実はそんなことはないってわかっているけれど、自分の心臓の音が世界の音全てになってしまう気がして、他のことに気を回す余裕がなくなる。


「……っ」


 気付けば、リンの指が自分の頬に触れていて。わたしがぴくっと反応すると、リンは一瞬手を引っ込めようとしてしまう。けれど結局手を引かず、軽く持ち上げられてわたしは目を閉じた。


 ――……っ。


 浅く触れた唇は熱を持っていて、離れがたく思ったわたしはリンのシャツを握り締める。瞼を上げると、頬にリンの指が触れたままだから、間近にリンの瞳があった。ギラッと彼の瞳が輝いた気がして、胸の奥がきゅっと痛くなる。たぶんわたしは、期待しているんだ。


「リン……?」


 声が濡れている気がする。こんなに甘えるような声、普段ならば絶対に出ない。わたしがリンの名前を呼ぶと、リンの瞳の奥が揺れた気がした。


「――っ。晶穂、もう少し良いか? 我慢出来ない」

「えと……いい、よ? ――あっ」


 食べられる。それが目を閉じる瞬間に思ったことだった。

 最初は、触れるだけの優しい戯れ。それが徐々に深く激しくなっていき、わたしは息をすることを忘れそうになる。リンも同様で、苦しくなってぼんやりと目を開けた時、彼の薄く開いた目を見てぞくりとした。

 噛みつくように繰り返されキスは、少しずつ深くなっていく。リンの舌に催促され、わたしはわずかに唇を開く。すると彼の舌が侵入してきて、舌を絡ませわたしを追いつめる。それに応えるのに必死になり、リンと繋いだ手に力が入った。

 わたしは徐々に腰が砕けて、リンの胸にもたれかかる。心臓が疾走して、体が熱くて、体の奥が切ない。


「リ……ンっ」

「晶穂……っ」


 体に力の入らないわたしを、リンはそっと抱き上げる。触れられた箇所から震えが走り、ぴくっと反応してしまう。それを知ってか知らずか、リンはそのままわたしを彼のベッドの上に連れて行く。優しく下ろされ、わたしはたまった熱をどうにかしたくて、走った後のように息を乱した。


「大丈夫か、晶穂?」

「リ、リンのせい、だもん。こんな風になるのは、リンだから……っ」

「――っ、かわいすぎ」


 右手の指を絡ませ、リンの左手がわたしをなぞる。頬に触れ、首筋、肩……徐々に下りて来る手に期待して、わたしはおずおずと覆い被さるリンの背中に腕を回す。


「……」

「……」


 二人の濡れた瞳が交差したその時、部屋の外から元気な声が複数聞こえた。


「――ただいま!」

「ただいま帰りました」

「兄さん、いるの?」

「確か、晶穂さんと一緒だって克臣さんが……」


 あれは、ユキたち年少組の声だ。四人が帰って来たらしい。

 わたしとリンは顔を見合わせ、苦笑した。リンが体を起こし、わたしを起こしてくれる。


「あいつら、帰って来たな」

「そうだね。お迎えしないと……わっ」


 顔の熱を冷まそうと、わたしは手で顔をあおぐ。その時、リンがわたしの腕を自分に引き寄せた。そして、唇をわたしの耳に近付ける。


「――続きは、また今度な」

「……っ!」


 その甘い声に、わたしは思わず耳を指で触れた。カッと顔を赤くするわたしに、リンは「後で来たらいい」と言い置くと、部屋を出て行ってしまった。聞こえて来る声を聞く限り、弟たちを出迎えに行ったらしい。


「……リン」


 わたしは落ち着かない心臓をなだめることも出来ず、しばらくリンのベッドの上に座り込んでいた。ユキたちを出迎えられたのは、それから十数分後のこと。


 こうして、わたしとリンのおうちデートは幕を閉じたのでした。


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