第2話 二度目の対峙


「ほんっとに手のかかる。」

そう言ってユンナは左手を前に出した。手のひらから魔法文字がするすると流れ出てきて、空中に円を成していく。すぐに小さな銀の魔法陣が完成した。その中心をトーンと手のひらでを押したかと思うと、文字は僕に向かってまっすぐ進んできた。僕の体に文字がすぅっと入り込んでいく。と同時に懐かしい感覚に支配される。体から力がみなぎる感じ。共闘なんて久しくしてなかったもんな。

「バフるのが、遅い。」

「何言ってんのよ。」

ユンナとピタリと目が合った。一瞬、微笑み合う。

すんでのところで、釣竿を引き戻す。力いっぱい引きつけると、竿がしなってしなって仕方ない。今度はこっちから右へ左へ振ってやる。ふと、竿が軽くなり、手繰られているかのような振動が続く。

そろそろと水面が競り上がってきて、急に釣竿が軽くなった。かと思うと、空中に巨大な海蛇のようなものが飛び出してきた。


「きたっ!アレリグロスだ!」


僕たちの声が思わずそろう。

左眉から左耳にかけて大きな切り傷が見える。上下左右についた真っ赤な背びれは天敵のいない証だとでも言わんばかりに立派に広がっていた。目が合うや否や、僕への恨みを覚えているかのように空中で姿勢を変えて、青色に発光しながらこちらに飛びついてきた。


“セメレ・パフィロ”(静電銃)


左手の人差し指と中指先に電気を集めて圧縮する。そのまま主の左眼に向けて、真っ直ぐ放った。しかし、電気の線はアレリグロスの体に触れるとすぐに軌道を変えて、明後日の方向へ流れていった。やはり、だめか。


どこから見ても、素行不良の長くて大きなピラニアにしか見えないけれど、陸の上だろうと全く平気に水中と変わらない速度で体当たりをかましてくる。避けるので精一杯。陸地でも水中でもお構いなしか。でも、陸に来てくれたのなら、こっちにも多少は部があるはず。ユンナとゲインもサポートしてくれてる。不利なことには変わりないけれど、なんとか闘える。



“セルガ・ピード”(蓄電脚)


身体能力に一時的だがバフをかける。ユンナのものに比べると大した倍率ではないけれど、直接自分の脳から命令が来るから、感覚としてはずいぶん身軽になる。

主の攻撃を紙一重で交わしていき、喉元の中心に見えている鱗へと手を伸ばす。しばし攻防は続いたが、ほんの指先、なんとか逆鱗に触れることができた。瞬間、アレリグロスは硬直したかと思うと、体から湯気を放ち、みるみるうちに美しかったオーシャンブルーの皮膚は毒気のある緑と黒の縞々になっていく。


ようやく、ここまで来た。ここからが、命の削り合いだ。


少し距離を取り、丹田に意識を集める。イメージを持て。強く、鮮明に。左肩から指先までアームドで覆っていく。子どもの頃はよく粘土細工だとバカにされたが、今は違う。光の元素を練り込んだアームドは月明かりのようにしっとりと落ち着いた輝きを放っている。

元素を放つか、元素で殴るか。威力が高いのは…近接一択。

「ユンナ!」

「もう送ってる!」

もう一段階、身体を強化する。ここらへんが限度だな。幸いにも、光の元素は辺り一面に充満している。

アレリグロスは先ほどよりも、速く正確に僕に向かって突進してきた。怖い。背中の奥からピリピリッとする。さて、こういうときはどうするか。そんなの前進するに決まってる。少しでも臆すると、呑まれてしまう。さぁ、行くぞ。自分の両足をバチっとたたく。


「そこよ、ソラ!」

「曲がる横ビレに気をつけてヨ!」

二人の声を背に、僕は真っ直ぐ最高速度で突っ込んでいく。ここまできたら、意地の張り合いだ。すれすれで主の体をすり抜けて、喉元の鱗に向かって左拳を打ち出す。

ガギィン!

アレリグロスの体が尾の先まで波打っていく。パラパラと透き通るように青くなっている鱗が割れ散った。眼の光がプツリと消える。そして、心臓のあたりから白い煙がふわっと天に昇っていくのが見えた。


やっと…やっと自分に課した罪と一歩距離を置くことができた気がした。

「ソラー!やったね!すごいよ!」

「さすがソラだヨ!やるときはやると信じてたヨ!」

2人が駆け寄ってくる。まだ僕の両手はプルプルと震えていた。

討伐しても、父さんの傷跡が消えるわけではないけれど…でも、ちっぽけな自分を満たすにはそれで充分だった。



 ◇ ◇ ◇



 あの日も湖は反射するほどに透き通っていて、目の前には二つの空が広がっていた。今なら飛べる、そう本気で思った僕は思い切り助走をとって、強く地面を蹴った。

「ソラ!」

父さんの声が聞こえたような気もしたが、そんなことはもうどうでもよくて。重力から解き放たれた一瞬を永遠のように感じていた。何にも縛られない。確かに無の空間がそこにはあった。

と、すぐにおもりが四肢につながり、体中に鎖が巻き付いていく。気づいたときには、身動きの取れぬまま頭から真っ逆様に落ちていった。先ほどまで空に見えていたのは、やっぱり水で、僕を掴んで離さなかった。

「子どもが落ちたぞ!」

「早く逃げろ!主があがってくるぞ!」

もがいても、もがいても、あごを出すのが精一杯。なのに、不思議とゆっくりと時が流れていた。様々な声が飛び交う。近くに生き物の気配は全くない。やがて底の方から大きな光が近づいてきた。湖がせりあがる。長くて大きなピラニアみたいな怪物と対峙した。素行不良を絵に描いたような顔。周りをぐるりとなめ回すように見渡している。偉そうな仕草に、ぴんと張った赤い背びれが、この湖の主であることを物語っていた。助けに入ってきた他の者たちには目もくれず、僕だけを見つめて、ゆっくりと進んでくる。一呼吸おいて鼻を鳴らすと、待ちわびた食事にありつくように大きく口を開けて突進してきた。


だめだ、食べられる!


そう思った瞬間、目の前に黒い鳥が現れた。次に気がつくと父さんの腕の中にいた。手負いの主は湖上に立ち、睨めつけてくる。そして、つんざくような咆哮と共に襲いかかってきた。父さんは全く落ち着いていて、左手をすっと前に出した。手のひらが自分に向けられた瞬間、主は口を閉じ、ピタリと止まった。そして、瞳を震わせながら、しなびれた背びれとともに沈んでいった。

「無事で良かった。」

おもむろに岸へ向かいながら、父さんが言った。僕をのぞきこみ、柔和な笑みを浮かべている。額の真ん中から左頰にかけて、二本の長い血痕がじんわり広がっている。僕は泣き喚くこともできず、じっと唇をかみ続けることしかできなかった。

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